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【事件激情】その男、K。 #04【秋葉原通り魔事件】

#01  #03 「酒鬼薔薇聖斗と同い年なんだよ」

  「格差が出ることが悪いとは思わない」
     ──小泉純一郎 党首討論にて

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□□ デモン・シー □□□

はまったく知りもしなかったが、
遠く“御簾の向こう”では日本社会の仕組みを根っこから変貌させる、ある事件が起きていた。




岐阜県坂祝red_convert_20100623001144

2002年、──岐阜県坂祝町。
「さかほぎ」と読む。

加藤智大ことの入学した中日本自動車短大は、

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いちおう短大ではあるが、事実上は専門学校的。
イタリア国立のフェラーリ専門学校と提携して、フェラーリに乗ったりいじったりできるのがウリ。クルマの整備士になるかフェラーリ乗れるしな的な若いのが全国からやってくる。
だから進学校卒K@18歳~20歳は異色の存在。すぐ「成績優秀」になれた。

バイク部に入って、ツーリングとかでまずまずキャンパスライフをエンジョイしてたらしい。

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ところが、


「加藤。おまえ、出席日数が足りんぞ。講習ずいぶんサボったろう」
「はあ、そうですか?」
「呑気に構えてる場合じゃない。このままだと、2級整備士の実技、免除にならんぞ」
「はあ…」
「試験の成績だけよくても、これじゃなあ」
「あ、いいです。整備士にはならないですし」
「は?」
整備士になるための学校なのに、ここに何しに来たんだ?
「ならないって、じゃ、どうするんだ?」
  
先生になろうと思ってるんです。中学校の先生に」
  
「は?」
「だから地元の弘前大学に編入できればいいなと」

先生は唖然である。弘前大学なんておまえ、ここより20も偏差値が上じゃないか。というか中学の先生になるのにウチの授業ぜんぜん関係ないぞ。ふざけてんのか。それとも隠れて猛勉強してきたのか?

そんなわきゃもなく、


2003年3月、

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結局、K@20歳は、整備士資格すら取らないまま、ただ漫然と短大を卒業。より優秀でなかった同級生たちは整備士資格を手にそれぞれきっちり就職していった。

進路希望先に「弘前大学、希望」と書いたが、そんなの無理な話だ。

このときのの不可解なやる気ゼロは、いろいろと説や分析が出されたがぜんぶハズレで、のち公判で、
「アピールのため」
だと明かされた。

また例によってアピールかよ。

今度のアピールの相手は父親で、
K父は入学祝いにバイクを買ってくれたものの、バイクが壊れたとき修理代を出してくれと頼んだら言い合いになって、それから疎遠になっていた。

さらには、奨学金がK父の口座に振り込まれたはずなのに、それを自分にくれなかったことに憤った。

それが「資格すらとらない」「アピール」になった。
父親になぜだろうと考えさせたかった。思い当たるフシがあれば気づくだろうと思った。

もちろん気づくわけがない。それについて言葉でぜんぜん説明しないんだから。

この独自の不言実行シンキングは、学生寮の友だちとの関係まで壊した。いびきがうるさい寮生がいて、は迷惑なのをアピールしようと壁をどんどん叩いた。
だけど「いびきがうるさい」とも何とも言わず、いきなり壁叩いただけじゃあカドが立つ。それでうとまれ、無視されるようになった。まあこの腕白どもも小中学生みたいで大人げないが。

は卒業寸前に寮を追い出されるようにして出た。

それからの行き当たりばったり生活が始まる。


しゃて、

からは遠く遠く離れた“御簾の向こう”で、ある事件が起きていた。それが社会をまったく違うものへと変えてしまうと気づいて声を上げる人もそのときはほとんどいなかった。いても巧みに黙殺された。

suzuri_horror#

人呼んで“財界総理”

大企業ロビー団体・経団連の会長にしてトヨタ自動車会長にして経済財政諮問会議民間メンバーにしてえーとオレの名はすずりじゃない的な奥田碩の、

グローバル時代の競争のためにも、柔軟な雇用体制を」

という要求に従い、

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“聖域なき構造改革(除く大企業)”を華々しく謳う首相、小泉純一郎は、
「労働者派遣法改正」を打ち出す。2003年6月6日、自民党、公明党、保守党の賛成で参院強行可決。

この法改正には、
遅効性の猛毒を含んだ種子が仕込まれている。



□ 毒のある花


しゃて、であるが、

2003年7月、
──宮城県仙台市。

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独眼竜政宗の君臨した奥州の街──、


ここで警備会社でアルバイトになっていた。

こんな感じの仕事である。

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中学までは勉強できただから、基本的な作業能力はまあまあ高い。「真面目で仕事できるヤツ」と思われ、正社員に昇格。100名の警備員の指揮配置を担う仕事を任されるようになる。

上司の所長とは相性が悪くて不満も多かったけれども、他の同僚たちとは気も合って円満だった。

同じ青森出身の同僚もいてアニメとかクルマの趣味も一緒で仲良くなった。休みには一緒にメシ食いに行ったり、ゴーカートで遊んだり。郷里の幼なじみとも連絡をとり合っていた。

両親との付き合いもしぶしぶ復活していた。仕事探し中のときアパートを借りるのに金が要ったからだ。
K母は「合鍵をつくること」を条件に資金援助した。K母が一、二度アパートを訪ねて来たが、は会いたくなかった。親は金だけくれればいいのだった。

自動車免許も取った。取ってなかったのは「母親が車を買ってくれなかったこと」への「アピール」だったが(またかよ)、さすがに大人になって免許もないんじゃいかんだろうと、K母が費用を出したのだった。

が、やはり
ときどき走り出すと止まりゃしない症が顔を出す。

現場でプチギレて「アピールのため」帰ってきてしまい、こっぴどく怒られて、取引先に謝りに行く羽目になったり、
取引先とモメて電話で「おまえのとこに火をつけるぞ」と怒鳴って叩き切って事務所の隅でしくしく泣いた。当然あとで問題になったけれど、そのときも大事に至らずに終わった。


この頃、はまあまあ楽しい日々を過ごしていた。


またまたしゃて、
がゴーカートを飛ばして遊んでる頃、

前年に芽吹いた毒の花がついに咲いた。

2004年3月1日、

改正労働者派遣法施行。

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のち格差社会の元凶として怨嗟の的となる、
「製造業への派遣解禁」である。

これまで禁止だった製造ラインへの派遣労働が、大手メーカーの思惑通りに合法となったんである。

その毒素は社会を少しずつ少しずつ、徐々に根っこを蝕み、腐らせ、破壊し始めた。

ちなみに──、
製造業への派遣解禁で、人材派遣業界はこの世の



人材派遣会社の年間総売上げ──、

2005年 …4兆351億円、前年比41%増
2006年 …5兆4189億円、前年比34.3%増

その急増した利益はもちろん、本来なら労働者自身が手にできたはずのものだ。


のちに経団連の御用政治家たちは、しっかりご褒美にあずかった。

小泉純一郎──、
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自民党が野党に転落する前に政界を引退。
奥田の設立したシンクタンクの顧問におさまった。


小泉の片腕として“構造改革”を主導した、
竹中平蔵──、
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間違えた、平蔵──、
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あんまし変わらんか、まあとにかく平蔵──、

政界引退後、人材派遣大手パソナ、パソナグループの特別顧問を経て、
2009年、パソナグループ会長職という報酬を受け取った。


が、それはまた別の話。


2005年2月──、

K@22歳は、せっかく正社員になれた仙台の警備会社をとつぜん辞めてしまった。

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退職の理由──、
自動車関係の仕事を希望しているので」


が、じつはこれ、またもや「アピール」シリーズの一環だった。今度は、あいかわらずウマの合わない営業所長が相手。
が業務改善のための提案を何度しても却下か放置。自分の成績のことしか考えない“バカ上司”だった。

「自分がいなくなったら業務が滞って、困った所長はどうしておれが辞めたか考えるに違いない。おれの言い分が分かるだろう」

このときもいつもとまったく同じ思考法。損するのは自分だと思いもしない。いつもやらかしてからバカだったことに気づく。

こうして、たかがアピールのためにせっかくの正社員の仕事を投げたは、アパートをさっさと引き払って、友だちの部屋に居候しながら次の職を探し始める。

合鍵を渡してある両親のことはまったく考えもしなかった。



□ 音楽エリートの雛鳥たち


2005年4月、

取手キャンパス

──茨城県取手市東京藝大取手キャンパス

こちらは、
マイキー@18歳

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夢と希望に満ちあふれてキャンパスに立っていた。

やっと来たね!

念願の東京藝大に合格したんである。もちろん現役ストレートで。

取手キャンパスにある音楽環境創造科1学年につき20人。少数精鋭のエリート学生たち。


マイキー@18歳の忙しい毎日が始まった。音創で求められるレベルは高いのだ。

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こういうのはもちろん、
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こんなんや、
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こんなことやあんなことも、

とまあ、あらゆる音楽、さらに映像、演劇や舞踏舞踊、パフォーマンス、アートなどもろもろ芸術の知識、コラボ実践、音響、録音、空間設計、文化環境づくり──森羅万象におよんだ。

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そんな忙しい中で、音環1年生の有志で音楽ユニットを結成。
もちろんマイキー@18歳がそのダイナモとなって張り切ってたのは高校時代と同じだ。

大学でもマイキーは優秀な一方で庶民的でなつっこい空気を変わらず持ち続けた。だから内外に友だちも自然と増えていった。

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慌ただしいながら充実した毎日を送る彼女は、やがて音楽学部の別の科で学ぶ先輩(@のち彼氏)と出会った。


□ ・おれ仕事辞めました


その頃、K@22歳は、埼玉にいた。
“自動車関係の仕事”をしていたんである。

2005年、
──埼玉県上尾市

appy_kako.jpg 上尾市のゆるキャラ、アッピーだよ

人材派遣大手・日研総業に登録。日産ディーゼル上尾工場で派遣労働者。

仕事内容は、トラック組み立てラインの部品取付け。

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日研総業の手配した“社宅”と工場をただただ往復する毎日。

社宅といっても日研の借りた賃貸マンションだった。
3LDKの部屋だが、派遣3人でシェア、6畳間3つを個室として使う。家賃数万円はしっかり天引き。その金額は相部屋になっても同額とられ、あげく契約が切れると「会社の借りてるものだから」と即刻追い出される。

3人ともシフトがばらばらで、顔を合わせることも少ないから付き合いはほとんどなかった。

だから地元の友だちへのメールと、ケータイ掲示板がメインの人間関係になった。仕事以外はほとんどの時間を掲示板に割いていた。リアルの交流が激減し、ネット経由がだんだんと大きくなってくる。

この頃、ケータイの料金が数十万円に膨れ上がってるのにびっくりして、慌てて定額4000円のコースがある会社に切り換えた。

まだ番号ポータビリティは始まってなかったから当然電話番号も変わったんだが、新しい番号は両親には教えなかった。縁を切ろうというよりも、頭に思い浮かびもしなかった。

の親は息子が今も仙台のそのアパートに暮らしてると信じ込んでいた。ケータイがつながらなくなって慌てたやっと親がアパートを訪ねると、そこはすでにもぬけの殻で引き払われていた。
息子行方不明。

そんな騒ぎになるなんて思いつきもせず、埼玉で収入と身分もそこそこ安定したは、
この頃、秋葉原にちょこちょこ通うようになった。ゲームソフトを買ったり売ったりするためだ。ホコ天も体験した。


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この頃、秋葉原はパソコンやオーディオ、電器部品を売る電気街から、アニメ、ゲーム、同人誌のオタクの聖地アキバへと変わりつつあった。

埼玉からなら地理的にも近かったから、一人でたまに行くようになった。

K@22~23歳、奮発して手に入れた自慢の愛車を乗り回すのが唯一の気晴らし。500万以上するスポーツカーで、いかにも“分不相応”だった。ローンは苦しくて日曜にバイトを入れた。

△ただし、Kの公判の発言では、「工場で買わされた70万する車」で、なにやら矛盾がある。日産なのでGT-Rでつじつま合うんだが、いくら割引があっても70万円じゃGT-Rは買えないだろう。700万円の誤植じゃないのか。


のちに報道でもしきりと取り上げられ、事件の核心となるケータイの掲示板にハマり始めたのもこの頃。

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最初は好きなゲームの情報を探すためで、掲示板も質問を書いて教えてもらうのに使う程度だった。

初めはロムッて読むだけだったけれども、思い切って自分でもカキコするようになった。
それに返答が返ってくるのに驚いた。

おれを相手にしてくれる人たちがいる!

ろくに会話もない単調な日常には、新鮮、鮮度ぴちぴちだった。

書き始めたら止まらない。
日々の鬱憤や不満たらたら、悩みをカキコで吐き出した。
慰めの言葉や「こうしたら?」という助言のカキコがあった。
みんな優しかった。温かい慰めの言葉をくれる女性もいた。

(こうしていれば、おれを大切に思ってくれる女と知り合えて、けけけけ結婚できるかもしれない)

↓Kの脳内風景
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はそんな希望の光にますます萌えたいや燃えた。ますますケータイ掲示板にのめり込んだ。
2ちゃんねるとかもちょっと覗いて少しだけ書き込んだりもしてみるけど、あそこの連中は攻撃的でとげとげしくて、なんだか好きになれなかった。優しい女の人もいないし。


2006年4月
それまで真面目に出勤していたK@23歳は、とつぜん無断欠勤。

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それきり音沙汰なし。

このときの理由も、なんと「アピール」だった。そのへん一環してる。
きっかけは、正社員に部品の置き方を相談したら、「派遣のくせに黙ってろ」とののしられたことだった。

これはけっこう騒動になり、派遣会社と派遣先の上司が話し合いをもって手打ちとなった。もねぎらわれ励まされた。

ただ「派遣のくせに」発言の正社員からはなんの詫びもない。にはそれがいちばん許せなかった。またもや視野狭窄。

何も言わずにいなくなったのは、「それが会社へのアピールの形」だと思ったからだった。
もちろんそんな形、伝わりません、はい終了。

行方を絶ったまま、の派遣契約を解除、クビになった。


□ ・おれ仕事辞めました、&おれ失恋(T-T)物語

は1か月も経たないうちに次の職を見つけていた。

2006年5月、
今度は、茨城県つくば市(以前の報道では隣の常総市)。

さいわい景気はまあまあいいから職探しには困らない。
でも、なぜか派遣の募集ばかりだったけれども。

あれ? いつからこんな風になったんだっけ?

ともかく今度の職場は住宅建材メーカーの工場。
組み立て作業担当。もちろん派遣。半年契約だった。

例によって勤務態度は真面目、無遅刻無欠勤。

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最初のうちはいつもこうなんである。

なんでちゃんと定職に就けないんだろう」
は悶々としていた。
いやそれはキミが毎回バックれてるからだよだが、さすがに自分でも不安になってきたらしい。

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そんな頃、もはや肉体の一部とすら化しているケータイの出会い系サイトで、ある女性と知り合う。

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メール交換するうち、が例によって恵まれないおれです話をさらけ出すと、彼女は心配してくれた。

はすっかり舞い上がる。
「こここここここの子と付き合って、ももももしかしてけけけ結婚してしまうかも」

bride_kako02.jpg 服着てねえのかよ

中学生並の妄想力だが、は本気と書いてマジと読む。
“彼女の有無”人生の絶対的評価基準になってきている。

ところが、

花嫁候補から「顔写メ見せて」というおねだりに、が自分の顔写真をメールすると、


それきり花嫁候補からの連絡はぷっつり途絶えた。

adress_sakjo.jpg

アドレスも変えられてそれっきり。






なななななななんでだ?!

sunaface_kai.jpg
 
あんなに優しかったのに!
おれを好きなはずなのに!←妄想

あんなに仲良くなれたのに顔だけで速攻ダメなんて!

そんな瞬殺されるほど不細工なのかおれは。ああそうだそうに違いない。

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報道でさんざんっぱら顔が出てるが、
加藤智大は冴えないオタク顔ではあるけれど、決して造作は本人のくどくどくどくどこだわるほど不細工じゃない。

でも、当人は不細工ゆえ非モテ説に取り憑かれていた。


不細工だからダメなんだ。女はイケメンじゃないと好きにならないってことか。そうかそうなんだ。







おれは、不細工だから、モテないんだ。



2006年8月、夏休み明け。
「青森に1週間くらい帰ります」と告げて出発したまま、それきり音沙汰なし。

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行方不明のまま、しかたなく派遣会社は契約解除した。つまりクビ。
今度はたった3か月しか保たなかった。

じつはそのとき、は車で自殺するために故郷を目指していた。


□ 勉強、音楽、ライブ、バイトに絶賛リア充中な彼女

2006年11月、
──東京都

千住キャンパス

東京藝大は新たに千住キャンパスを増設、マイキー音創科も移転。前の取手より都心に近くなった。


マイキー@19歳。大学2年生。

かつてのボーイッシュな秀才少女は、もうあのマイキー人形を出せないくらいの、魅力あふれる華やかな女性になっていた。
それでも持ち前の溌剌とした性格は変わらない。よく勉強してよく動きよく楽しんだ。

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それにバイトにもいそしんだ。「音楽で忙しい」と金銭面をぜんぶ親に頼り切りな子が多い中、マイキーはできるだけ自分でなんとかしようと決めてる女子だった。

大好きな作曲も演奏マイキーはやめなかった。むしろ前よりどしどし取り組んだ。音楽ユニットもどんどん組んでライブも精力的に出た。才能ある音楽家の卵たちとどんどん親しくなって、友だちの輪もどんどん広がった。

これは5人くらいのことを言ってるんではなくて、マイキー1人の以下略。

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今夜は、別の大学のオカリナ奏者とコラボしたライブだった。マイキーの担当はシンセ。
ライブは好評だった。
先輩も忙しい中、見に来てくれた。うれしい。楽しかった。

今夜も彼女は、輝いている。



▽2005

▽2006.11.21
▽2007

▼2008.06.08


【つづく】 #05 「善良なる人々」



 【事件激情】
 *ネバダたん─史上最も可愛い殺人者 佐世保小6同級生殺人事件 
 *狭山事件と「となりのトトロ」事件編 /うわさ検証編 
 *東電OL殺人事件 
 *借りてきた「絶望」。─殺戮ゴスロリカップルと毒殺女子高生タリウム 


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