【事件激情】その男、K。 #01【秋葉原通り魔事件】
とある正午のひととき

さて、彼はトラックの運転席で正直少し怖じ気づいているわけで。
自分でも訳が分からない勢いでここまで来てしまった。
目的地から100mくらい離れたところにトラックを止め、ディスカウントショップでトイレを借りたりして。
時間つぶしに。でもびびってもいる。あまりの人の多さ。ここってこんなに人いたっけ。
携帯電話を神経質にいじったりして。
街ではそろそろ交通規制の時間だ。
ちょうど3丁目の交差点では警察が南北の通りの自動車通行規制を始めていた。

警部補は交通整理中。今日初めて組む女性巡査は娘といってもいい年頃で、制服ではなくポロシャツにチノパンの私服だった。このところ騒ぎを起こすパフォーマーたちを見物人にまぎれて取り締まるためだ。そんな格好だとまだ学生にも見える。聞けばまだ警察学校を出て2年目というじゃないか。
キビキビと張り切っていて公僕たらんと目をキラキラさせて。
まあおれも年を食うわけだ、などと50代の警部補は思ったりもする。
毎週日曜の恒例。今日も一日立ち仕事だ。

大学生4人組は新宿でアニメを観た帰りに、マンガを買うのと昼メシのためにこの街に来ていた。
「つけめん食おか」
「そのあとゲーセンな。ぷよぷよ、今日こそ勝つかんな」
「おお、涙目にしてやんよ」
今年3月に引退したばかりの老歯科医は、医者になった息子と一緒に新しいデジカメを買いに来ている。

「へえ、けっこう安いもんだなあ」
「買っちゃおうか」
老歯科医は上機嫌だ。息子と2人でなんだか楽しい。
今日はいい一日になりそうだ。
アルバイトの彼女はいつものようにツートンカラーのワンピースに着替えて11時から持ち場に入っている。
そろそろ人も増えてくる。あと少しすると店の前は行き交う人でいっぱいになるだろう。今日もがんばろう。

携帯電話のチラシを手にとってアルバイトの彼女は、さっそく通行人に笑顔を向けて「こんにちわー、ソフトバンクです」と声をかける。
単身赴任中の父親は、妻と娘が上京してきたのでせっかくだからとこの街に連れてきている。
父親にはなんだかけばけばしくて派手派手しくて賑やかすぎる気もするが我が女性陣は楽しそうだ。
タクシードライバーは今日も街を流している。
ハンドルを握る手はかつてホテルのシェフ時代には包丁をにぎり、店をもっていた頃は何から何までやったものだ。

行き先を聞いて、あそこは今日人出が多いし帰りに客を拾えそうだ、なんて脳内の電卓をかちかち打つ。
とうにオヤジの自分にはあのヘンテコな街の何がどう楽しいのかいまいち分からんし、好きじゃないが。
友だちとテニスの約束をしていた大学職員の彼女は、ラケットバッグを下げ、交差点のソフマップ本館で待ち合せていた。
「ごめん、パソコンの部品を引き取ってもらうからちょっと待ってて」
「じゃ、そのへんにいるね」
大学職員の彼女は店内をぶらぶらと歩き始める。
「駄目だな、この台は」
会社員2人組はパチンコ屋から出た。午前中目一杯張り込んだのにちっとも出やしない。
昼過ぎには友人がもう一人合流することになっているがまだ少しある。
「もうお昼だね」
「昼めし食おっか」
カップルの彼女は、婚約した彼氏と一緒にネットカフェにいる。前日から泊まりでこの街へ遊びにきていた。

ネットカフェで少し仮眠をとって「そろそろ始まるよね」と彼女と彼氏は店を出ることにした。
コスプレの女の子が通り過ぎた。
あれメイドだよね。すごいねえ、ここはああいう格好の人が当たり前みたいに歩いてるんだ。
トラックの運転席にいる彼はまた携帯電話を手にとった。
掲示板を見た。やっぱり誰のカキコもない。自分が今朝から延々と打ったカキコがむなしく積み重なってるだけだ。
ああいう風に書けば、誰か止めてくれると思ったのに。やっぱり誰からも無視されてるんだもんな。不細工なおれは。
リアルでもネットでも一人。

彼はキーを操り、スレのタイトルと1番の書込みを書き換える。
──を使います みんなさようなら
昼12時10分。
彼は最後のカキコをする。


昼12時33分、
秋葉原歩行者天国で、
無差別殺傷事件
発生。

死者7人、重軽傷者10人。

オタクの聖地といわれる最もホットな街で起きた無差別殺人だった。海外でも大々的に報道された。

一方、事件直後の日本のマスコミの報道は、

こんなかんじで、



とまあ、
「オタクがネットやゲームにはまって現実との境がこしゅとう゛ぁ」
とか、いつかどこかでまたコピペのような報道ばかりで、
例によって圧力団体もないし叩きやすいオタクバッシングにもっていこうという思惑が見え見えで、
そして犯人が、某自動車メーカーはっきりいってトヨタ系列の派遣労働者なことも、派遣切りが直接の引き金となったことも最初の頃ほとんどシカトされていたこと。
一方で、死者を含む17人の被害者たちが正反対のよき市民よき家庭人だったこと。
当時の一大観光名所と化していた秋葉原の性格を反映して、10代から70代までのさまざまな年齢層、さまざまな階層、さまざまな職業の被害者がいたこと。
そして、犠牲者の中に犯人とは540度正反対つまりすごい180度正反対な“リア充”の女子大生がいたこと。

美人でエリート一族で美人で美人で高学歴で美人で将来有望で美人で性格もよくて美人で人気者で美人で美人というキラキラしたスペックはいかにも悲劇好きなマスコミ好みで、事件直後から異常なほど脚光を浴び、「彼女」ばかりが悲劇のヒロインとして過剰報道されるようになったこと。
だが一方で、犯人を負け組の聖人として英雄視し、

被害者のはずの彼女の死まで「リア充ざまあw」と嘲る憂さを晴らすような殺伐とした露悪的な空気がネットにあふれたこと。
やがて大手メーカーの非正規雇用や人材派遣会社の“蟹工船”ぶり、ワーキングプア、派遣切りに目が向けられ、
「アニメやゲームじゃなくて格差社会のせいである」
という見かたがじわじわ広がっていったこと。
皮肉なことに、その手の問題が事件をきっかけに少しだけ注目されるようになったこと。
そして犯人の尋常でない家庭環境も浮き彫りにされていったこと。
それでもマスコミはしつこくゲーム元凶説ありきにこだわって、戦闘美少女が短剣を使うゲームやドラクエの短剣まで「ダガーナイフを使う参考になった」なんてバッシングし続けたこと。

正直いうと、例によってこの事件、こまかなところはスルーしていた。毎回スルーするワ士。テレビを見ないと大抵のゴシップはスルーできるもんだ。
この事件、初めは犯人の憑かれたよう粘っこい「非モテ」根性はなんでなのかとちろちろ調べ始めたんであるが──。
で、被害者たちである。
通り魔だから犯人と被害者に人間関係なんてあるはずもない。彼らはたまたまそこに居合わせ、たまたま選ばれてしまった不運な人々だ。通り魔の被害者たちに落ち度なんてあるはずもない。
まったく無縁に営まれていた彼らの人生は、あの日あの交差点で不幸にも一度だけ交差してしまったってだけなんである。
だが犯人と被害者たち、とくに「彼女」の生い立ちを一望すると、不可思議なほど対極だ。
まったく赤の他人でありながら、数奇な細くて長い長い糸でからみ合い、現代ニッポン社会の縮図のようなメガタペストリーを織りなしていたんである。
よし、じゃあ、いっそできる限り全員を全角度から時系列で追ってやれ、という無謀きわまる試みである。

事件からちょうど今日で2年。
あれ以来、中止されていたホコ天は、2010年の今もなかなか復活しない。
ちなみに事件の公判は総勢40人以上の証人が出廷するギガ裁判となって、現在進行形だ。
この事件のもうひとつ特異なところ。
犯人はじつにこまごまこまこまその心情をケータイ掲示板にカキコしていた。だから通常なら分かるはずもないスプリーキラーが一体何を考え、どう殺意をつのらせていったかが、それこそ分刻みで綴られている。
その膨大なカキコはもちろん削除されたが、例によってコピペされ電子の海(以下略)。
それを読んで最初はなんて凡庸杉な男なんだ、と驚いた。あんな破壊力に満ちた大事件を起こしたわりにはしごく平凡、ちまちまして小スケール、病んでもいない。ついでに言うと自宅警備員とやらでもない。じつはオタクですらない。
本人は「不細工」というコンプレックスを何度も何度も繰り返すが、顔を見れば本人が言うほど不細工でさえない、なんというか…平凡。普通に目立たない。普通に地味。普通に影が薄い。
そしてあのカキコのすねっぷりの奇妙な知性。もはや一種の芸と言ってもいいほどの絶妙のネガティブシンキング表現。
なんなんだあのアンバランスは。
この事件の犯人、容疑者、加害者、被告、

名を加藤智大という。ここでは彼をKと呼ぶ。
Kは本州の最北の地、青森県で生まれた。
3歳下の弟が一人。

そして報道でもさんざ言われ尽くしたように、
異様きわまる少年時代を過ごして大人になる。
そしてK誕生の4年後、はるか西のある家庭で、一人の女の子が生まれた。
4歳上の姉が一人。
そこから2人の人生は、ある時点を境に、かたや常にポジティブに、かたや常にネガティブに、対称的に織り紡がれていくんである。
彼らが最初で最後の邂逅をはたす、あの瞬間まで。
【つづく】 #02 最涯ての「10秒ルール」>
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壮大なストーリーが展開するのですね。
期待で胸がはち切れそう!
良くも悪くも、時はあれだけの凄惨な事件も忘れさせることでしょう。
でもこうして、改めてKにスポットを当てて頂きますので、じっくり周辺世界や潜在意識を顧みる機会にしたいと思います。
| かあたん | 2010/06/08 12:27 | URL |