【事件激情】ウルトラ : 2機目【シモヤマ インシデント】





お山の中ゆく汽車ポッポ
ポッポ、ポッポ黒いけむを出し
シュシュシュシュ白いゆげ吹いて
──『汽車ポッポ』作詞・作曲 本居長世

7月6日 水曜日
午前零時20分──

国鉄869貨物列車は操車場を8分遅れで発車していた。
運転士が寝過ごしたんである。
すでに電動機関車も活躍してたが、馬力はまだまだデゴイチことD-51蒸気機関車。
エコ?CO2?なにそれおいしいの?

運転士は遅れを取り戻そうと速度をめいっぱい上げていて。

発電機が不調で、予備の蓄電池じゃヘッドランプはたった10ワット程度、
線路もほとんど見えやしない。
さらに蒸気機関車D-51は轟音の尾を引きながら走るわけで、

ドシュコッコ、ドシュコッコ

ブオオオオオ

ドッシュコッコ、ドッシュコッコ
さらにさらに雨も激しく、

ゴトンガタンッ、ゴトンガタンッ

荒川鉄橋を渡るとすぐ、常磐線のレールは東武線と交叉するガード手前で、
ゆるゆるゆる東へとカーブしていく。

昼日中でも前方視界がめっさくそに悪く。
ガードの向こうの様子は、ガード直近に来ないと見えないんである。
しかもD-51はその形から、運転士はでかいボイラーのせいで左の前方しか見えない。右前方は死角。それ補うために助手がいるんだが、視界超悪しは同じ。
しかも線路に敷き詰めてある砂利がはね上げられ、
デゴイチの底面ではじけてカンカン音を立てた。

だから、その瞬間に、

"それ"が、線路上にどんな状態でいたのか、

立っていた? 横たわっていた?

まったく見えなかったし。

"それ"とぶつかったことすら、

運転士も、助手も気づかなかった。



下山事件の背景と経過、警視庁による捜査は公開された情報にもとづく。
平塚八兵衛はじめ黒字の人名は実在の人物だが、
一部の会話や行動はちっとばかし変えられている。
またこの色の名前は、架空の人物である。

と、ここで時計が、東武線ガード時点から19時間ほど巻戻りまして──
──7月5日 火曜日

──午前7時
6月に就任したばかりの初代国鉄総裁下山定則、
いつものように起床。家族とともに朝食をとる。
今日は名古屋大学に行っている長男がひさびさに帰省するんで、
その話も家族団らん的に少ししてみたり。

──午前8時20分
大田区上池上町1081番地の自邸を出て、丸の内の国鉄本庁へ向かう。

総裁専用車ビュイック41年型の総裁専属の大西運転手@国鉄職員。
本来は国鉄の制服着て運転するんだけども、ときがときだし、下山総裁から「制服は目立つから私服で」と言われて、スーツないんでしかたなくジャンパーだった。
空襲の爪痕もちらほら横目に入れつつ旧帝都をビュイック走る。
モータリゼーションなんてまだずっと未来の話なんで、行き交う車も少ない。
下山が出かける前に読んだかどうかわからんけども、
新聞各紙はきのう発表されたニュースが一面トップに。

「国鉄、3万700名 解雇を通達」
公務員300万人のうち42万人をクビ、
国鉄62万人のうち12万人をクビ、
という大ナタぶるんぶるん振るいを決定する。
なかでも最大の難敵が、国鉄こと日本国有鉄道の労働組合。

国鉄は運輸省の国営事業から切り離され、この年6月に公社として誕生したばかりで、
まず9万5000の職員を整理つまりクビにすることに。
国鉄の初代総裁になるってこと=この大量クビ切りをやれってことで。
そんな損なだけの役回り、誰もなりたがらない。
最終的に貧乏くじ引くハメになったのが、運輸次官の下山定則。
もちろん速攻で拒否ったけども立場からして断り切れずしぶしぶ受けた下山である。

に対して、とうぜんながら国鉄労組の反発は必至。
国鉄労組はGHQの容認のもとタケノコのごとく増えた労働組合のなかでも最大最強最強硬、左派勢力の牙城。だからこそここを一番に陥落させることが、GHQと日本政府の必勝戦略だった。
さっそく福島ではクビ対象の組合員があらぶって、
警察署が占拠されるムチャな騒ぎも起きたばかり。
事件当時の空気はそんな殺伐なかんじで。
と、説明してるあいだにビュイックは、Aアベニュー@第1京浜国道から日比谷通りに入って、御成門までやって来た。

──午前8時39分
「佐藤さんのところへ寄るんだった」
"佐藤さん"は運輸省の先輩佐藤栄作のことと思われ。下山が東鉄局長のときに運輸次官で、このときはもう政界に転身していた。のちの総理大臣である。

「またにしよう」
──午前8時45分 和田倉門ロータリー
国鉄本庁もこのあとすぐ、まで来たとき、
とつぜん、
「買い物をしたいから、三越へ行ってくれ」

「ぶつぶつ役所は10時までに入ればいいんだぶつぶつ」
というのは下山が嘘こいたか、記憶違い、
この日、午前9時に国鉄本庁の局長会議に出席することになっていた。
GHQからせっつかれてる第二次クビ切りを会議で話し合い、
午前11時にはGHQに報告に行く予定だったんである。

なので、いつもと同じく、大塚秘書が午前8時45分から
国鉄本庁玄関前で待ってるんだが。

「白木屋でもいい」
なんか当人はぜんぜん国鉄本庁に向かおうって気配もないみたいなんですけど。
で日本橋まで来たんだが、朝早すぎて、三越も白木屋もまだ開店前。

「9時半開店ですね」
「うん…」
「役所に参りましょうか」
「うん」
が、常盤橋まで来ると、

「神田駅へ回ってくれ」
で、ぐるりと回って神田駅まで来て、

「お降りになるのでしょう?」

「いや」

「右へ回ってくれ」

「三菱銀行へ行ってくれ」「もっと速く走れんか」
のち有名になった謎の都内ぐるぐる迷走である。
「もっと速く走れんか」はちょうど国鉄本庁の前に差し掛かったときで、遅刻なおかつ通りすぎる総裁専用車を国鉄関係者に見られたくなかったと思われ。

この朝、下山のやることなすことまー支離滅裂なんだが、忠実という言葉にぴったりの人を連れてきてくれと言われたら連れて来られるくらいに忠実な大西運転手は、忠実に言われたとおりにする。
──午前9時5分

この頃、三菱銀行は財閥解体で、三菱を名乗れず千代田銀行と改名中だが、みんなそんな名前で呼びゃしない、三菱は三菱だった。
三菱銀行に入った下山は、大西運転手を20分くらい待たせてからビュイックに戻り、

「これから行けばちょうどいいだろう」
大西運転手は、この行けは国鉄本庁に行けでなくて、最初の行けの三越に行けってことだろう、と忠実に察して、また忠実に日本橋方面へ。
──午前9時30分
毎朝9時前には登庁するはずの総裁がいまだ来ないんで、
大塚秘書、さすがに焦れて下山邸に電話。

「あら、大塚さん、おはようございます。え?」

「下山はいつもの時間に出ましたけど?」
几帳面な下山が、なぜかこの朝、電話のひとつも国鉄本庁に入れないまま、
何ってこともなく遅刻、予定もすっぽかしていた。

──午前9時35分
三越日本橋本店南口 上得意様専用の車寄せにビュイック到着。
「なんだ、まだ開いてないのか」
「もう人が入ってますよ」

「5分で済むから待っていてくれ」
カバンを車内に置きっぱなしの手ぶらで店内へ。

──午前9時37分
これが、生きている下山が下山として確認された最後の時刻
それきり、下山は行方不明となる。

とはいえこのあと、三越店内で少なくとも3人の店員が、下山らしい人物を見ている。
下山らしい人物は、1階の売場を行ったり来たり、
とくに何か買おうってわけでもなく、化粧品売場や履き物売場をうろうろしたあとで、

案内嬢「10時15分頃、地下道の方に階段を降りて行かれました」

案内嬢「後ろからひと足おくれて、2、3人の男の方が、やはり地下道の方に降りて行かれましたが、この方たちがお連れ様であったかどうか、私にはわかりません」
この案内嬢の目撃証言がのちのち、陰謀論の根拠の一つにされる。
さらにそのあと、

──昼12時頃
地下鉄銀座線 渋谷発浅草行
乗客「痛でッ」

下山似の男に足を踏まれてにらみつける、

が、
謝りもしないし、なにか考えごとしてるような、なんも考えてないような…
(へんな野郎だ)
これと同じ正午頃、国鉄から「総裁ゆくえふめい」の急報を受けた警視庁、
失踪人の地位が地位、時期が時期なんで、
制服私服ともわさわさと出動、下山総裁を捜し始める。
そんな騒ぎをよそに──

銀座線の終点浅草駅西口
靴磨きのおっちゃんが"下山似の紳士"を見かける。
ちなみに、この浅草駅で地下鉄を降りると、
日光方面へ向かう東武伊勢崎線に乗り換えることができるんである。
そしてこのあと、やっぱり東武線に乗ったらしい。
次に"下山似の紳士"が目撃されたのが、
──午後1時45分
東武伊勢崎線 五反野駅
「このあたりに旅館はありませんか」

駅員@20歳「この先、橋のたもとに末広旅館というのがあります」

──午後2時頃 その末広旅館

「6時頃まで休ませてください」

2階客室の窓に腰掛けて、「涼しいですねえ、水を一杯ください」
女将の長島フク@46歳が宿帳を差し出すと、

「それは勘弁してくれ」
──午後5時
国鉄が下山総裁失踪を発表。
報道を聞いて誰もが「国鉄のクビ切りがらみ?」と連想した。
ちょうどこれと同じ日、

首相の吉田茂が国家地方警察の斎藤昇長官の罷免と長官交代を要求、
に対して国家公安委員会がこれを公式に拒否。
に対して増田官房長官が記者会見で拒否を批判。
政界と官界がGHQまで巻き込んでガチンコ激突、
ギラギラの権力抗争も勃発してる真っ直中での、
大量クビ切りを発表したばかりの国鉄総裁失踪、またもやキナくさい事件発生だった。
その頃、忠実を絵に描いた男のなかの男大西運転手はというと、

忠実にもほどがありすぎで8時間くらい三越南口の車内で待ってるんだが。
ラジオで「下山総裁失踪す」のニュースを聴いて、
慌てて三越に飛び込んで店内放送を頼み、下山がよく行っていた三越劇場ものぞいて。
もちろんいない。顔面真っ青で国鉄本庁に電話。
これが午後5時半過ぎ──
警視庁から捜査員が駆けつけ、三越周辺日本橋界隈で聞き込みをはじめた。

──なんて大騒ぎもまだここへは届かず。

"下山似の紳士"は、3時間もひとりで何やってたのか、
2階から降りてくると、宿賃200円とチップ100円を古い100円札で払って、

その後も、"下山似の紳士"は、目撃されつづける。
末広旅館から1キロほど南へ下った、

東武鉄道伊勢崎線と国鉄常磐線の交叉する例の「東武線ガード」付近、
だいたい300m円内のあちこちで。
17人もの人々が彼を目撃した。
今でこそ東武線ガード界隈は、公園や住宅地なんだけども、当時は五反野まんまやろの地名どおり、田畑がほとんどで、あとは民家がちらほらと、ってかんじだった。
さらに線路の南側は小菅刑務所の塀が延々と黒々して、寂しさもひとしおである。

──午後6時頃
どぶ川でエビガニ(=ザリガニ)採りの父子@36歳+5歳が、
ガード近くの土手をうろうろする"下山似の紳士"を見かけ、

つづいて東武線ガードから150mくらい北の隧道「東武線トンネル」近く
銭湯に行く途中の父娘@38歳+9歳、
土手下のあぜ道からトンネルへ向かう"下山似の紳士"を見かけ、

(お、上等な靴だなあ)

(なんか睨んでくるぞ、なんなんだ? クツ見ちゃいけねえのかよ)

つづきまして、畑仕事中の夫婦@45歳+40歳

(なにやってるんだろあの人)
下山似の紳士、ガード下とトンネルの間をふらふら行ったり来たり、

──午後6時半頃

ふたたびエビガニ(=ザリガニ)採りの父子、
あと娘@8歳+義妹@15歳加わりました。
(あれ、まだいるのか)

エビガニ父「ええ、その人、鉄塔のそばで、タバコを吸ってました」
義妹@15歳「悲しそうな顔で、線路の方を見ていました」
つづいて近所の主婦@43歳@怒られるけど線路脇歩いてショートカット帰宅中が、
「その人は畑のところでぼんやり立ってました。
じっと見てると、そのうちしゃがんで、

草の葉むしってました。カラス麦の」
──午後6時50分頃

港区役所赤坂支所職員@37歳
(線路歩くなんて危ないな。それも列車の来る方に背を向けてるなんて)

(命知らずなやつだ)

わんこ散歩中の主婦@51歳
(あー、線路歩いとる、あぶないねえ)

(ふらふらしてる。酔ってるのかね)

(あっ、あぶないっ)

わんわんッ

(ふう、よかった)
「その人はガードから2本目の電柱に寄りかかって汽車を避けてました」
それと同じ場面を、
わんわんッ

その真ん前に住む若者@20歳が、20mくらい離れた家の縁側から見ていた。
2人の見た汽車は午後6時58分にガードを通過した889貨物列車と思われ。
──午後9時頃
もうこの時間になるといくら夏でもさすがにとっぷり夜である。

「その人は、刑務所の裏道をぶらぶら歩いてきて──」

(なにあの人)

(気味が悪いなあ)
地元の女性2人@33歳&20歳が目撃
さらに、
──午後10時過ぎ
この目撃のときだけ、"下山似の紳士"は鉄橋を渡ったらしく、荒川の向こう岸にいた。

常磐線下り263貨物列車の助手@43歳、
「荒川土手踏切警標の陰に立ってました。はい、洋服の立派な方で」
「背広つまりスーツ上下、上等な靴、七三分けの髪、ロイド眼鏡、立派な男性、社長のような人」←東京辺境の田んぼには違和感ありすぎの格好だった。
一億総中流意識なんてまだまだまだはるか未来な話で、庶民とアッパーミドルの越えられない壁は高く、見た目でどのカテゴリーの人間かたやすく見分けられるような時代。
だから目撃者たちの記憶に"立派な紳士"はけっこう強く刻まれたんである。
ある予感とともに。
──午後11時頃
雨が降り始める。
さらに目撃はつづく。

銭湯帰りの母娘@43歳&11歳
(こんな夜遅く、雨降ってるのに──)

(なんであんなとこに立ってるんだろ)

──午後11時30分頃
自転車で帰宅中の住民@32歳、

「その人は街灯の真下にいたので、顔はよく見えません。
家に帰ってまた見ると、その人は雨に濡れながら、西の方へ歩いて行くところでした」

午後11時30分。これが"下山似の紳士"の目撃された最後の時刻。
やがて雨はどしゃ降りになった。

そして日付が変わり──

──午前零時20分


その6分後──
国鉄常磐線最終電車 上野発松戸行

こちらは1キロワットの強力ヘッドランプなので運転士にも"それ"が見えた。

「おっ」
次の綾瀬駅で停車すると、

「東武線のガードのそば、女の"マグロ"があったぞ」
「あーあまたか」「こんな雨の夜に」「帰れねえなあこりゃ」
鉄道マンはこういうのも対応しなきゃいけないんで大変である。
あのガード下、見通しがよくないんで自殺の名所化してて、
しょうじき駅員の悩みのタネ。

「どこだ」「あった、そこ、あ、あっちにもこっちにも」
「うわー、こりゃひでえな」
「女じゃない、これ男だよ。大雨でふやけたんだよ。土左衛門みたいだ」
「身元、わかるか」

「お、背広のポッケから名刺が出てきた。……しもや…まッ」
──午前2時過ぎ

「えー、こちら五反野南町駐在所の、中川巡査であります。
足立区五反野南町938番地、国鉄常磐線の東武線ガード近くで轢死体です。綾瀬駅から通報がありまして。汽車にはねられたようであります。
それで、所持品から下山さんではないかと──」

「は? どこの下山さんって……だから 失踪中の! 国鉄総裁の!」
──7月6日 水曜日
1949年@昭和24年

──午前6時
警視庁と東京地検から50人がぞろぞろやってきて、小雨のなか現場検証が始まる。
エビガニ息子@5歳「ねー見てー、昨日のおじさんがいるよー」


目撃証人のうち、"カラス麦"おばさんは早くも6日早朝に南町駐在所に「ラジオの二ュースでやってる下山さんらしい人をきのう見かけた」、夜にはエビガニ父と義妹が千住新橋派出所に「下山さんと似ている人を2回、現場近くで見た」と届け出た。
"……ラジオニュースの時間です。
「綾瀬川の鉄橋付近に下山さんの死体らしいものがあがったそうですが。
これ、下山さんの死体ですか?」
「はあ、それは間違いないです」
「死体の模様はいかがでしたか」
「そうですなあ、まあ、だいぶ…あー轢死でありますから、ちょっと壊れておった」"

大田区上池上町
「このへんって空襲じゃ焼けなかったんだねえ」

「あのー、現場検証、手伝わなくていいのかい?」
「いま見るべきもん見たからいいさ」
「えー、いつもブツがすべてってうるさいのに」
「いいって。課長も関口さんも目を皿みてえにしてるし。雨だしよ。今はこっちの方が大事だ。雨だし。一報を聞いてすぐの反応を見たいんだ。雨降ってるしよ」
「つまり雨がいやなんだね」

「いいか、金井。こういう高級な界隈に来たらな、
"奥さん"と言うんじゃないぞ、"奥様"、ってな、様をつけるんだ。
反対に下町に行ったらな、"奥様"はダメだ、"奥さん"もダメだぞ、
"おかみさん"って言うんだぞ。どうだい、おかみさんよぉってな」
「そうだ、このへん、淡谷のり子のお屋敷とかもあるんだって」
「てめーこら金井、人の話、聞いてんのか」


平塚八兵衛@刑事一代 昭和事件史
警視庁捜査1課
のち伝説の名刑事、このとき35歳

「奥様、ご心痛お察しします」

「主人は、自殺するような人ではありません」

「捜査には全力を尽くします」

「いやー国鉄総裁の奥様ともなると、気丈でしゃんとしてるなあ」
「うーん」

「ん?」

「…………」

(なんだあの女)

「どっちなんだろ。他殺か自殺か」
「ま、今んとこ半々だな」
「自分は他殺だと思うよ」
「なんでだ? 理由は?」
「え、いや、だって、ほら、下山さんは3万人もクビにするんで労組ともめてたし。このあいだは組合の連中が福島で警察署占領したり、脅迫まであったっていうし。他殺じゃないって考える方が無理ないかい?」
「バカやろ、そういうの予断っつうんだ。はいその通りでしたなら警察いらねーだろ」

「たしか東調布署が昨日から家族の警護に付いてたんだよな。
金井、それ誰か調べといてくれ。あとで話聞きてえ」

「そんときのあの奥さんの様子とかな」
「あれ? "様"つけないといけないんじゃ?」
「いーんだよ、本人がいねーとこじゃ! こまけーことガタガタ言うなばーろー!」
下山事件特別捜査本部 第1回捜査会議

「機関車にはねられ、車輪に巻き込まれて、轢断されたと思われます」
現場で確認された遺体は、頭部、右腕、左足首、右足首、胴体。
頭部は粉砕、顔面の表皮ごと剥離し、脳も脱離。
これらは鉄道の轢断事故では珍しくない現象だそうです。
そのほかの部分はバラバラで、線路上の85mにわたって散乱。細かなものは雨で流されてしまったようです。

衣類は車輪に巻き込まれた際にはぎ取られたとみられ、靴、上着、ワイシャツ、ズボンが現場に落ちていました。いずれも損傷が激しく、血と油らしいものがぐっしょり染みこんでいます。
ネクタイ、下着、ロイド眼鏡が見つかっていません。
どしゃ降りだったこと、最終電車後も現場封鎖の前に貨物列車が何本か通過していますから、吹き飛ばされ、水田に沈んだものも多数あるようです。
ちなみに衣類の一部は、水戸機関区やはるか遠く福島県平駅で見つかった。
ロイド眼鏡は、現場周辺の草を刈り、電波探知機まで駆使して捜索されたが、
いまにいたるも見つかっていない。
下山総裁を轢断した列車は、発見される6分前の零時20分に
現場を通過した869貨物列車と思われます。

機関車D51を水戸機関区で分解調査するということで、
平塚、金井の両捜査員が出張してます。
「右先輪の排障器が、後ろに曲がって先輪にくっつくほど変形してますね。
まずこの部分にぶつかり、そのあと車輪に巻き込まれたんでしょう」

「うわー」
「おう、金井、どうだ」
「油と、うわ、これ肉? ひーっ」

「ひーじゃねえや金井、おめーもっとちゃんと見ろよ隅々まで」
「八っちゃん、なんでおればかり油まみれなんだよ」
「バカやろ、経験あるおれは重大な上部分を見てるんだ」

現場検証は監察医務院の八十島先生が来られまして。
轢死体をこれまで百体以上検視されたベテランで、
「他殺の疑いはなし」
しかし死者の社会的な立場やいまの情勢からして、確実な結果を得るために法医解剖に回すのもいいんじゃないか、と八十島医師みずから提案、
というわけで、

東大法医学教室に法医解剖をお願いしております。

法医解剖の指揮は、日本法医学の権威 古畑種基教授

執刀医は桑島直樹博士
「轢断面に生活反応が見られない」

「死後轢断である」
つまり、はねられて死んだんではなく、
はねられる前からおまえはすでに死んでいる、
死んでたら自分で歩いてそこまで行けないんで、
誰かが死体を運んで、線路に置いた。
つまり殺──
この「古畑鑑定」の「死後轢断」認定が、
延々と半世紀以上にわたってつづく陰謀論の引き金になるんである。

下山事件の自殺か他殺かについては、当時から今にいたるまでマスコミおよび一般大衆の空気、さらに日本政府、GHQまでふくめて「他殺」が圧倒的で。
「自殺」派はつねに劣勢。「自殺」が主流になったことは一度もない。
事件当時の容疑者候補は、共産党か国鉄労組内の武闘派。
自殺をとなえてるのは、犯人認定されそうな共産党だけだった。
GHQやらキャノン機関やら亜細亜産業やらCICやらKGBやら白洲次郎やら陰謀的な悪玉が、他殺論の主役として脚光あびるのは、も少し未来になってからである。

事件直後から「他殺」を推しまくったのはマスコミ各社
なかでも常軌を逸する圧倒的な勢いでそれを牽引したのが↓この男、
「よし、ありったけのルミノール薬を集めろ!」

「轢断現場で血痕を見つけるんだ。
下山が死んだ状態で運ばれたという証拠見つけるぞ! スクープだ!」
「下山は殺されたんだ。謀殺だ!」
朝日新聞社会部記者 矢田喜美雄


「謀殺下山事件だーッ!」

警視庁@自治体警察
この当時、日本警察は二本立て警察である。
GHQが戦前戦中の内務省警保局による中央集権を嫌ってこれを廃止、全国の市町村ごとに独立性の高い「自治体警察」をつくり、それ以外の地域を全国組織「国警」こと国家地方警察本部が引き受けるって二本立て形式になったんである。
ちょうどアメリカの市警、州警察のようなイメージである。アメリカ的理想。

「国家地方警察」は、旧内務省官僚がこそっと滑り込ませたワームだった。
大都市以外の自治体は自前の警察を抱えるには財力も足りず、すぐ火の車に。全国のあちこちで警察権を返上する中小自治体が続出。それを国家地方警察が吸収合併した。
やがて日本占領が終わるとともに、するするっと巻き返し、自治体警察はわずか8年足らずで消滅、国警に吸収されて、警察庁を頂点とする中央集権な都道府県警察がちゃっかり誕生するんであるが。それはまたべつの話。
とにかくこのころの警視庁@自治体警察の管轄は、いまとちがって旧東京市@現東京23区のみ、それ以外の都内は、八王子市警 青梅市警 武蔵野市警 町田町警 三鷹町警 立川市警、そこからもこぼれてる分が国家地方警察の縄張りだった。
このときの日本警察は政府のさらに上の権力の顔色も気にする難しい立場である。

General HeadQuarters,
the Supreme Commander for the Allied Powers

GHQ/SCAPこと連合国最高司令官総司令部
なんか最高で司令官で総元締っぽいすごい偉い風な名前である。司令は大事なことだから2回言ったんだろうな。

最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥をトップとした、日本占領軍の司令塔。
GHQは日本の国体を維持するため、人間宣言した天皇を棚上げ状態にして、きほん日本政府に政治をやらせ、それをあれやこれや横からダメ出しする間接支配をとった。

空襲で焼けずに残った丸の内の主なビルはGHQが接収して使い、
総司令部本部は、皇居を見下ろす第一生命館に置かれた。
ちなみに占領軍じゃ聞こえが悪いから「進駐軍」とお呼びってことになり、
占領っつうネガティブイメージを薄めようとしていた。

とはいえ占領は占領。占領の7年間で、
日本の警察はどれも手を出せない屈辱を強いられ。
なかには警官が職務として犯罪の片棒かつがされる例すらあり。

そんな敗戦4年後の日本の熱い夏──
GHQは下山事件にも暗い暗い影を落とす。

この当時の警視総監、田中榮一。薩摩士族の出身。
現場の刑事や婦警を気軽に総監室に入れて意見をきく「人情総監」
もちろん第一生命館方面からの来客もやってくる。

「おはようございます、総監閣下」

「おお、ミスニイタカ、よくおいでなさった」

「閣下、こちらガールスケット中佐です」
「はじめまして」「イッツァノナートゥミーチュー」

「ちっ、毛唐が。我が物顔によう、なにがミーチューだ」
苦々しく眺める平塚八兵衛@刑事一代 昭和事件史、大のガイジン嫌いである。

「おう、八っちゃん、下山さんの事件、2号部屋もかかってるんだろ。どうだい」
「山ちゃんか。わかんねえよ。まだかかったばっかりだっつうの」
「また功労賞ねらえそうかい、帝銀みたいにさ」
「なに言ってやがる、ああいうのは狙ってとるもんじゃねえや。ただの結果だよ」

「なんの匂いだこれ、臭くねえ?」
「ん? 例のデゴイチ調べに行ってよ、トンボ帰りしてきたばっかだからよ。
しみこんでるんじゃねえか? 肉片とか血とかの臭いが、夏だし」
「うえー、早く風呂入れよ」
「ブンヤも血まなこだろうなこのヤマは」

「ミーチューミーチュー、ミーチューっとくらあ。
あ、このやろ、口についちまったじゃねえかミーチューこん畜生」

「うーむ、さてどっちかね」

「自殺か」

「他殺か」

「自殺か他殺か」


「自殺他殺自殺他殺……ミーチューミーチューあ、このやろ」

「あなたが、ディテクティブ、ハチベー?」

「毛唐の女に名前を呼び捨てされる謂われはねえ」

「ご機嫌悪そうですね」
「おめえ、さっき総監室で、中佐だかガールスカウトだかにくっついてた通訳だよな。日本人…じゃねえな」

「日本人の血も半分ほど私の血管を流れていますよ、国籍はイギリスですけれど」

「はじめまして、平塚八兵衛さん。私、ニイタカと申します」

「はじめましてじゃねーだろ、しらじらしい。
このあいだ下山邸の窓からこっち窺ってたじゃねえか」
「うふふ、よくお気づきで」

「あんなとこでGHQの通訳が何してやがっ──ん?」

「私の顔に何かついていますか?」
「……おい、今年って、昭和24年だよな」

「はい、あなたのお嫌いな毛唐の暦で1949年ですね」
「だよな、んー? おかしいな、おい、
ニイタカさんっつったっけ、おめーさんなんつーか、
今とぜんぜん違う別んときに、居たりしたことなかったか?」

「さあ?」

「なにを言われているのか、分かりかねますが?」
【3機目 7分25秒くらいで解る911への道】へとつづく




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