「
下山さんは
自殺と新聞に出てましたけど、後で聞いたらそうじゃなかったんですね」
「いやいや、まだ捜査中でね。どちらとも決まったわけじゃない」
「それで、もういっぺん洗い直ししてるんだが、どうしても失踪前日
7月4日の
下山氏の行動が気になるんでまた協力願おうとこうしてね」
「あの日の
夕方、
日本橋交差点で専用車を降りた
下山氏は、
車に戻るまでの
半時間、どこで何してたのかってことで」
「前にも申し上げたとおり、うちにはおいでになりませんでしたよ」
「ええ覚えてますよ。それでうんうん考えた。
で、その前の、ある行動が浮かび上がってきた」
午後2時半、
下山総裁は
呉服橋の薬屋に寄って胃薬を買い、
つぎに
東京駅南口の
三菱千代田銀行で車を降り、
大西運転手を
5、6分待たせた。
このときのウラは取れてるんだ。
銀行の受付で
金庫係長から
私金庫の
カギを受けとり、
地下私金庫に降りていた。
何を出し入れしたかは、
行員が
私金庫を開けたところを見ていないのでわからない。
翌日
5日、失踪の朝も
下山氏は
三菱千代田銀行に寄って、また
私金庫を開けた。
そのときは
カネを持ち出してる。自宅を出るときは持っていなかった古い紙幣で
二千五百円ばかり。一部は
遺体と一緒に見つかり、
運賃や
宿代と合わせてそのくらいだ。
じゃあ前日
4日の
夕方は、なんのために
私金庫を開けに行ったのか。
私はね、それこそが空白の
半時間を解くカギだと読んでるんだ。
下山氏の
私金庫の中身は、
古紙幣で
3万円と自宅土地建物の
登記書類、
貴金属少々、そして
春画。
まあ
春画はおいとくとしても、他はたしかに貴重品だ。
が、どうもしっくりこない。貴重は貴重だが、
銀行に
私金庫わざわざ借りてまで隠しとかなきゃいけないほどのもんなのか。
そこで、
下山氏の身になって、あの日の行動をおさらいしてみた。
4日の
午後2時半過ぎに
銀行の
私金庫に寄ってから、
国鉄本庁や
警視庁、
首相官邸、
東京駅へと巡り、
そして
夕方、
日本橋交差点で車を降りて、
30分という半端な時間、どこかへ行った。
その行き先について、だけどね。
「なあ、
女将よう、そろそろあんたに本当のことを打ち明けてもらいてえんだ」
「本当のこと? って一体なんの話ですか」
「あんたの
調書を読んだし、何度か話も聞いた。おれはどうも腑に落ちなかった。あんたの話したとおりなら、あんたと
下山氏が最後に会ったのは何日も前になる。それにしちゃあんたの態度が不自然だったんだ。
もっと直近で会ったばかりの人の
訃報をきいたとき、ちょうどあんたのような様子になる。たとえば
その日の朝、遠くとも
前日に。もっとはっきり言うと、」

「失踪前日
4日、あんた、
本当は
下山さんに会ってるんだ」
「
会ってませんよ! 急に何をおっしゃるんですか」
「毎日
夕方──今ぐらいの時刻、ご
亭主は留守。店先にいるのはあんただけだ」
「でも
刑事さんもおっしゃったじゃないですか、
日本橋からここだと、
半時間じゃ往復するので精一杯だって」
「ああそうだ、挨拶くらいしかできないね。しかしそれで充分だった。
下山氏はあんたに会いにやって来て、そしてあんたに手渡しただけだったから。
銀行の
私金庫から持ち出したものをね。
あんたに預けたもの、それは」
「
もうひとつの
私金庫の
鍵だ」
「…………」
「ここからはおれの推測だ。
下山氏は
私金庫を
2つ持っていた。
1つは
大金と
春画入りの
私金庫、これは
警察も見てる。
もう1つが
本当に隠したいものを入れる
私金庫。
春画の方の
私金庫の中には、もう1つの
私金庫の
鍵──おそらく
鍵の
預かり証が隠されていた。二重三重の用心だ。
で、理由は分からねえが失踪の前日
7月4日、
下山氏は
鍵の
預かり証を持ち出して、
それを信頼を置く
成田屋の
女将、あんたに預けた」

「
のぶさん、あんたは今もそれを持っているはずだ。どうして
警察に届け出ないのか、これもおれの勝手な想像だが」
「あんた恐くなったんじゃないかい? ま、無理もねえと思うぜ。
鍵を預かった翌日に
下山氏は死んじまった。世間じゃ
殺しだと騒がれてる。
私金庫の
鍵が関係あるかもしれない。つぎは自分が狙われるかもと思い、言い出せなくなった」

「な、あんたは何も悪くない。責められるこっちゃねえよ。
だがな、黙ってれば時間が経つほどつらくなるぜ」
「おれは、もう1個の
私金庫の中身を見たい。
ひとつおれに任せて楽にならねえか」

「えーと、前もあれっと思いましたけど」
「
ニイタカさんと最初に会ったときの会話と、
わたしに初めて会ったときの会話、
なんか微妙に混じってません?」
「ん、そうだっけか?」
「そうですよ、だって
昭和24年の
ニイタカさんに、
今年昭和何年だとか
他の時代に居たかなんて言わないでしょうふつう。わたしに言ったんですよ、そのセリフは」
「そういやそうか。どっちも場所が
警視庁の廊下だったし、
相手の人相も同じだし、ついごっちゃになるんだよ」
「わたしと、
ニイタカさんって人、そんなに似てるんですか?」
「ああ、顔も声も背格好もな。あっちはけっこう
英語訛りがあったが。あとおまえさんのほうが若いか。ま、あっちの方が大人っぽかったかな」

ぶー
「それはわたしの方はガキっぽいってこと?」
「なんつうか、おまえさんの方が、もっと愛嬌があって、おきゃんでな」

一周して新鮮っす
「おきゃん、って言う人、初めて会いました」
「なにぶんジジイだからよ、言葉が古いのは勘弁しろや」
「おいおい、若い娘ッ子があんなケツ見えそうな格好で、うわっ、股おっ広げて、こんなのテレビで見せていいのか」
「え? 開放的でかわいいじゃないですか。わたし踊ってみましょうか?」
「踊らんでいい。ジジイにゃついてけねえなあ。今どきの流行りもんにゃよっつーかだから踊らんでいいって言ってるのに
踊るなっつーの!」
「しかし時代は変わったな。おまえさんもよ、最初てっきり手伝いの
婦警かと思ってたら、
公安の
警部補だろ? その若さで、それも女子で。てえしたもんだよ。おれなんてもっと年上になるまでヒラ
巡査だったぜ」
「でも
八っちゃん、元
警視様じゃないですか」
「いつのまに
八っちゃん呼ばわりになってんだ、ま、いいけどよ」
「あ、おかあさん、この煮付けとてもおいしいです、ふだん食べてるの
カップヌードルばっかりなんで、体が浄化される気がします」
「たくさん食べてね。この人もご機嫌だし。あなたが来るのいつも楽しみにしてるのよ。今日だって先週からまだかまだかって。自分は飲めないのにお酒まで買って」
「あーおまえよけいなこと言わんでいいから」
「この人ねえ、
息子が
警察官にならなかったのが気に入らないもんだから、あなたとの方が話してて楽しいみたい」
「えーお
医者さんも立派な仕事なのに」
「ねえ? この人、
事件の話しかできないでしょ? だからあんまり盛り上がらないの」
「だからばーさんよけいなこと言わんでいいから! さあさ行った行った!」
「へへ、そうだ、いま読んでますよ、『
刑事一代 八兵衛捕物帖』」
「
捕物帖じゃねーよ、何時代の岡っ引きだよ」
「
刑事捜査は
公安の
作業とぜんぜん違ってて勉強になります。いつのまにかあんなにたくさんインタビューやってたんですね」
「ふん、隠居したジジイはせいぜいヒマだからな」
「
下山事件の章、
ニイタカさんまだ出てこないですけど、 いつ登場するんですか」
「アホ、最後まで出てこねーよ、あんなの表沙汰にできるわけねーだろ」
「で? この間、
養い親ん処の誰かにひさびさに会うって言ってたろ」
「会ったというか、その
親戚に電話して、伝言お願いで精一杯でした。
こっち来てからかんぜん縁切れてたので」

「わたしの声を聞いただけで失神しちゃうかもしれないし」
「おまえなにやらかしたんだよ」
←麦茶 「で、
ニイタカのことは、聞けたのか?」
「んー
親戚さん経由の伝言ゲームだったせいか、答えてもらえませんでしたよ。
昔もあの
メガネと
写真のことはふれちゃいけないかんじだったし、
こちらの線はやっぱりあきらめるしかないかな」
「わたしと
白鳥家の人たちがぎくしゃくし始めたのもあれが理由なのかなやっぱり。
たしかに
中学くらいからわたしの顔、あの
写真にそっくりですもん」
「その
丸メガネも、もしやその当てつけか?」
「ぜんぜんそんなつもりなかったって言ったらウソになります。
けど、なんていうか、こんなに写真と似てるわけだし、
警察に入ったら、
写真の人の知り合いがいて気づいてくれるかも、と思ったんですよね、漠然とですけど」
「ん?
札幌市警にいた
おやじさん関係ならふつう
北海道警だろ。
なんでおまえ
警視庁に来てんだよ」
「え? いやー最初は
道警のつもりでしたよわたしも。
でも推薦枠の関係で
警視庁の方へ回れって言われちゃったんですよね」
おっほほほ、参った参った「でも
待遇も
補助もこっちのほうがよかったし、
まいっかって」
「カネに目がくらんで思いっ切り初心忘れてるだろ」
「でも
警視庁に来たおかげで、
八っちゃんに見つけてもらったわけですよ」
「ま、結果オーライ、ってやつかもな」
「最初は、急に
昭和何年とかなにこのジジイ、
死んじゃえ変態とか思いましたけど」
「
死んじゃうほど悪いこと言ってなかったろ!」
「あの年、
8月の終いまで
ニイタカは
東京にいたと思うんだ。で、それから
2年ちょいの空白のあと、
2歳かそこらのおまえさんが
札幌の
白鳥警部に引き取られた、と。どんな接点があったんだろうな」
「あれ?」
「
八っちゃんが
ニイタカさんと最後に会ったのって
7月末じゃなかったですか? 撃たれてケガをした
ニイタカさんを
金井刑事の家で匿って、そこを
キャノン機関に襲われかけて、
ハットリ中尉が迎えに来て一緒に立ち去った、
その夜が、
ニイタカさんと会った最後、でしたよね?」
「……いや、本当は
そうじゃねえんだ」
「
え?」
「………やっぱりおまえさんには話しとくべきだろうな」

「じつはな、あのあと一度だけ──」

「えー
委任状と、ご本人の
身分証明──たしかにこれだけ書類が揃っておれば、契約上、
森田様に
鍵をお渡しできます。しかし……」
「しかし? 契約
上以外に何
上の問題が?」
「
事件が関係しておりますので、そのう……」
「
係長さん、前お話ししたとき、なぜ
下山さんがもう1つ
私金庫を借りてたのを隠してたので? あんたは
私金庫の責任者だ、とうぜん知ってたんでしょう?」
「えーそのう、名義が違いますので」
「そんな理由じゃお上は納得せんと思いますがね、ま、いいや、」
「ならばなおのこと、こちらの
森田のぶさんに契約のとおり
鍵を渡しても一向に構わないわけだ、名義が違うんだから」
「おたくの事情がなんだろうが、おれは詮索しませんぜ。
おたくが契約どおり、この人に
私金庫の
鍵を渡してくれれば」
「
刑事さんも立ち会われるのですか?」
「付き添いでね。だがおたくの事情が取り沙汰されることはないですよ。
ただねえ、あくまで突っぱねられると、こっちもやむを得ず上の指示を仰がなくちゃならなくなり、そうなるとまことに申し訳ないが内々には済ませられなくなる」

「契約にまつわるおたくの事情とやらもムダに詮索される、かもしれませんな。
下山氏に一見さんじゃ借りられない
私金庫を2つも、しかも1つは本人でない名義で借りる便宜を図ったのはいったい誰なのか、とかね」
「………私の独断ではお受けしかねる。上に確認をして参ります」
「どうぞ、お待ちしてますぜ」
“もしもし、お久しぶりです、ディテクティブハチベエ”
“先日はありがとうございました。その後お礼にも伺わず、申し訳ありません”
「こちらが
鍵です」
“今日あなたにお電話した用件は──”
“──あの事件のことです”
「
係長さんも立ち会いますかね?」
「…いえ、私はここまでにさせていただきます」
「ま、それが無難でしょうな」
「
刑事さん、中身が何だろうと、わたしの名前はいっさい表に出ない。
この約束は守っていもらえますよね?」
「請け合いましょう、
デカに二言は無い」
「開けますぜ」
「どうぞ」
“あの事件、わたしがおさめなければならない事情が生じました。そこで──”
“あの事件に縁のある皆さんにお声がけしまして、
ささやかな夜会を催す予定です”
“ディテクティブハチベエ、あなたにも──”
“──ぜひ夜会にご出席いただきたいのです”
“急ではありますが、今夜11時、場所は、五反野の陸橋のたもと──”
“──そう、すべてが始まったあの場所で、”
“そこで皆さんに、わたしが物語りましょう──”
“──下山事件の真実の風景を”
第8便 二十万の十字架 ─911/シモヤマインシデント へとつづく





