警視庁公安4課文書係3担──
「おい」
「こら起きろ」
「あ、
課長代理補佐心得主査、ご無沙汰です。どうしたんですか、自分はいまナントカって鳥の森を守る会のパンフを解析中でたいへん忙しいんですが」
「寝てたじゃねえか。鳥なんかいいから放っとけ、仕事しろ」
「へ? 自分はもう専従ではありませんけど」
「今朝付けでまた専従に戻った。捜査再開だ」
「えっ、それ本当でありますか」
「目が醒めたか。ヨダレ拭いてさっさとケツ上げろ」
「おまえ今度こそ結果出せよ結果」
「
課長代理補佐心得主査、どんな魔法を使われたので?」
「さあな、
天の声か何かあったんじゃないの。
オレらは余計ごとを考えず、任務を遂行すればいいんだ、粛々と」
本郷はそらとぼけるんであるが。
まあでも、
五反田理事官の
(やりやがったな、おまえ)な意味深げの薄ら笑いからしてバレバレだろうけども。
じっさいの
天の声には
警視総監という肩書きがある。
土田総監は
中島@公安部長に
爆弾本部の捜査情報をぜんぶ持ってこさせて、
「この線はなぜ中止したのか」
と、いくつかの捜査を再開するよう命じたんだが。
そのいくつかの中に
「東京行動戦線」「佐々木規夫」「斎藤和」が、
“たまたま”混じってました
たまたまという摩訶不思議に魔法な偶然が。
爆弾本部専従にふたたびおさまった
永田町1丁目の10は、
イスも暖まらないうちに
キリッ 「今日から
東京行動戦線関係者の定点監視を、フルに切り換えてください」
「なに捜査方針決めてるんだ。おまえは解析係で本部長じゃないんだぞ」
「ですから
課長代理補佐心得主査に申し上げてます。
理事官に上げてください」
「おまえなあ、
公安部に視察要員が何人いるか知ってて言ってるのか」
定点監視は、家と職場にそれぞれ監視が付くが
尾行はナシ。3交代で6、7名程度。
フル監視では常に尾行が付き、さらに外で会った人間にも尾行をつけて徹底追尾する。
とうぜんながら必要な目耳手足は数倍になる。
電子技術の発達した現代とは違って、当時多くは人力であるからして人手も要る。
なにしろ本格的な尾行では、
対象者たった1人を
車14台、
部員30名が代わる代わるくっついて賑々しく動くことだってある。
「
東京行動戦線がらみぜんぶフルにしたら800名は要るぞ、
公安部現場総員より多くなるだろが。ぜんぶは無理だ」
永田町1丁目の10は少し考えて、
「では、
佐々木兄弟だけを。あとはぜんぶ引き揚げていいです」
「えらく思い切ったな、
佐々木に賭けるのか」
「賭けじゃないですよ、解析のうえでの判断です」
「分かってるのか、これが最後のチャンスだぞ」
「ご心配なさらずとも、必ず糸はつながりますよ」
たしかにもし彼らに、
「一切じかに会わない」
「電話や郵便物だけで計画を進める」
「現場でもそれぞれ別々に自分の役割だけ果たす」という手段を徹底されたら、
警察が彼らを逮捕できる可能性はゼロに限りなく近くなりますけどね。
「おいおい、冗談は止せ」
「本気ですよ。
『腹腹時計』を徹底して忠実に実行すると、そういうことになるんです。あれはそのくらい恐ろしい本なんです」
人と人が出会うと必ずそこで化学反応が生じます。そのときだけそこに何者かがいて、何かあった、と分かるんですけど。
東アジア反日武装戦線はそれが極端に少ないんです。
じっさい
丸の内の
事件は複数犯が分業してバラバラに動いた形跡がありますよね。
爆弾を運んで置くだけ置いてすぐ立ち去った
設置役2人組、
犯行予告の電話の主、

たぶん現場には
見張り役、
でもそれぞれ別行動です。現地では接触もしてないだろうし、合図くらいでしょう。
見張り役は比較的長めの時間その場にいたでしょうから、そこで立ってても不自然なじゃないような格好だったでしょう。
ランチョンプロムナードに何百人と行き来してたサラリーマンかOLのような。
というわけで
丸の内は、
犯人にたどり着ける目撃者も証拠もゼロです。
三井物産も
大成建設も、
鹿島と
帝人も同じで、
いつ、誰が、どのように仕掛けたのか、まるで分かってません。
昼間堂々と社員のような顔をして入って、堂々と
爆弾を置いて、堂々と出て行ったんだろうと思います。だからこそ目撃者もいないでしょう。
だからこれまでのルールを守って彼らが淡々とテロを行い続ける限り、
解決の難易度は途方もなく高くなって、まず不可能な数値になるでしょうね。
「暗くなる未来だな。でもおまえはそう思ってないわけだろう、どうせ」
「はい、
丸の内からこれで
半年です。そろそろ
彼らのルールが変わりますから」
「つまり、バラバラでなく、一緒に行動するようになる、メンバー同士の接触が増える、と言うんだな。そのときの化学反応とやらが俺たちにも見えると。
しかし奴らが絶対安全なルールをなんでわざわざ変える?
半年経つのがどうした?」
「ああいうことをする人間は、
寂しがり屋さんだからです」
“寂しがり屋さん”に代わる
公安的用語を思いつかなかったので、
しかたなく
理事官「五反田」にそのとおり報告した。
五反田が上に説明するときどういう用語に置き換えたかわからないけども、
ひとまず「
佐々木兄弟に選択と集中徹底マーク」にゴーが出た。
人手がますます足りなくなって、
爆弾本部は
公安各部署からさらに
50名を引き抜いて増員、
150名にふくれあがった。
秘め事は関わる頭数が増えるほど露見の危険も増すんだが、今回も例外でなく。
ここまで秘密捜査にかかわる
公安要員が増えると、
いいかげん
マスコミも変調に気づくってもので。
「
公安が、裏で何かこそこそやってる」
目端の利く記者たちが人脈を尽くして探り始めた。
そういう社のひとつに、
サンケイ新聞があった。

埼玉県与野市与野──
周りは工場や倉庫ばかり。住宅もなくわずかな店も夕刻で閉じて、
深夜になると静まりかえってしまう。
で、そんな時間こんな場所に若い女が1人でぽつんと立ってるのはふつうじゃない。
ってことくらい
都市ゲリラ新兵仮採用中の
由紀子@メガネっ娘にも分かるんで、
目立たないように暗いとこにしゃがみこんでるんだが。
「寒い…寒いわ」任務は標的の周囲の人や車の出入りは時間帯でどうかの下見中なんだが…
もー寒いったら。カイロくらい持ってくればよかった。ぶつぶつ。
「待たせましたね」
やっと
“タカシ”が交代に来た。
「ほんっと寒いよー。おしっこしたくて、お店までバス停2つ分は歩いちゃった」
「え、店? どこの」
「あっちに商店街があるの。そこの雑貨屋さんが店じまいしかけてたけどお願いしてお手洗い貸してもらっちゃった。親切なおばさんで助かったよ」
「いいですか、
ミヤタさん。そういうことはしてはいけないと、
何度も教えたはずなのに、どうしてやるんですか」
斎藤和、声が硬めに。
「こんなところで
夜遅く若い女が便所を借りに来るなんて変だと思われるじゃないですか。そのおばさんに顔を覚えられたかもしれませんよ」
由紀子、とたんに大むくれ。
じゃ、そのへんでしとけって言うの!
女なんですけどわたし!由紀子はまー相変わらずで、
三井物産本社爆破をやったあとも、
「月1回はお芝居を見に行くか山に遊びに行くって約束したじゃないっ」
とかぶーたれてるし。
由紀子がこうなるとさすがの口達者の
斎藤もなだめるのに苦労するんである。
で、秘密兵器をポケットから出す。
「まあまあ。寒かったでしょう、ほら」

ころっ
「わーい、
鯛焼きだー」
「ここの店のは尻尾まであんこが入ってるんですよ」
温かいー。やっぱり
タカシは優しいねーうふふ。
ねえ
タカシ、いまはお金も闘争に使わなきゃいけないから無理だけど、この国が変わったらさあ、形だけじゃなくて
タカシとちゃんと結婚したいな。
私ね、最低6人は欲しい、子ども6人。
いっぱい子どもいたら楽しそうじゃない?
2月28日夜8時5分──
北青山2丁目 間組本社ビル6階非常階段と9階のエレベーター付近で
爆発、
火災発生。
ビル内には夜間清掃の学生バイト10人がいたけれども、爆発から離れてて無事。
6階は
アタシェケース入り爆弾@「さそり」9階は
パンチテレックス室のパンチカードの箱に偽装した時限爆弾@「狼」。砂糖からつくった
塩素酸ナトリウム系白色火薬2キロ。
同日同時刻──
埼玉県与野市与野 間組大宮工場シンナー缶爆弾@「大地の牙」こちらは
5人が
負傷。
爆発15分前、近所の
日通倉庫に予告電話があった。
間組同時爆破は、
丸の内オフィス街爆破以来、最大級に被害甚大になった。
本社ビルでは9階から上の階が
炎上。
海外事業部と
電算室が丸焼け。
貴重な業務データもぜんぶ灰になった。
物理的被害だけで
15億円@今なら×2、失われたデータは
換算不能な巨額損失。
人は死ななかったものの、
間組の経営にひびくほどの盛大な壊滅っぷりだった。
「腹腹時計」には
「手製爆薬は5キロ以上でないと効果半減」と書いてあるんだが、
大道寺たちはあえて少なめの2キロにしてみた、それがうまくいった。
人は死傷せず、
日帝の一味に大打撃を与えることができたんである。
まあさりげに
「さそり」の爆弾、気づけばまたもやなんの役にも立ってないんだが。
黒川的にそのへんどうよ。
共同作戦といっても、3チームが爆発時間だけ合わせて勝手にやったんで。
ただし、仕掛け役の
大道寺&片岡@「狼」、
宇賀神@「さそり」は、
一瞬だけども
間組本社ビル内でニアミス、
大道寺「あやしいふんいき。ああ、あれだなと」
宇賀神「おかしなふんいきの2人」
面識もないし、いちおう他人のふりで目も合わせず。
にしてもそういうあやしいふんいきのやつらが勝手に出入りして他に社員たちもいるのになんも言われないって、ほんとに牧歌的のどかな時代だった。
間組爆破事件を受け、
警視庁はとうとう
都内に
「非常事態宣言」を発令。
都内主要企業1100社を総ざらい再点検、
とくに戦前戦中も含めて
アジア進出企業88社を重点防備対象に。
機動隊500名、
警察官1000名を動員、
1社につき10─50名が24時間体制で張りついた。
が、厳戒態勢をあざ笑うかのごとく、
東アジア反日武装戦線の次の
爆弾が炸裂するんであるが。
【14発目 網にかかる魚ども】へとつづく