高卒の
弟に影響力の大きい
佐々木兄が関係ないはずがない、という理由。
さらに
黒川芳正に過去の
逮捕歴2回@
羽田事件と
空母エンタープライズ寄港阻止騒動が見つかり、元
中核派だったという記録も出てくると、今度はまた
黒川の序列付けでモメて、ますますこじつけみたいな図になっていく。
永田町1丁目の10は↓こういうシンプルな関係を主張。
腹腹時計
└斎藤和─浴田由紀子
└大道寺将司─大道寺あや子─片岡利明─佐々木規夫─荒井まり子
└黒川芳正

「
佐々木祥氏を無理に入れてるからおかしくなる。
佐々木兄は外して、
弟規夫を
大道寺夫婦・
片岡とのくくりで
“小隊”にして、
大道寺隊・斎藤隊・黒川を上下の序列なく同格で並べれば矛盾がない」

「
本が指導者ってwww」「本が命令するのかよwww」

「本が命令するわけないのは知ってます。複数チームが同等に活動するための
象徴という意味です」
「お嬢ちゃん本読みすぎ妄想すぎクソワロタwww」
「お嬢ちゃん顔真っ赤wwwwww」
「顔真っ赤とかwwwとか古くないですか! ていうか未来?」
「小娘涙目逃走wwwwwwwwww」
「………
( ╬ ◣ 益◢)」
荒井まり子、そしてその
姉なほ子が浮上したことで、
このグループのルーツが浮き彫りになってくる。
大道寺将司、片岡利明、荒井まり子の3人は
法政大の元学生、
在学中から
社会主義研究会を開いていたらしい。
この
研究会に、
国文科の学生
藤沢義実、
将司と同郷の
駒沢(旧姓)あや子@星薬科大生、
荒井姉なほ子@就職組も参加していた。
ほかにも何人か学生が参加してたが、わりと初期で抜けた様子。
この
研究会では
朝鮮人活動家や
左派系ジャーナリストによる史料やレポートを手に入れては延々と読みあさり、偏った
反日思想を深めていったらしく。
この
研究会が
東アジア反日武装戦線「狼」の原型となった。
その時点では、
斎藤、黒川、佐々木規が
「狼」と接触してた様子はない。
藤沢義実と
荒井姉なほ子、
1973年頃まで一味と行動をともに。
が、
三菱重工爆破事件より数か月前に相次いで
東京を離れ、それぞれ郷里に帰った。
以後
「狼」との交流はとぎれてる模様。
一方、
荒井妹まり子は
法政大中退後、
仙台で看護系の短大に入り直したが、その後も
大道寺たちと連絡を取り合い、たびたび上京しては会っている。
大道寺たちが
「狼」と知りつつも、なお交流つづけてる模様。
戦線にあと何人メンバーがいるのか、
アジトに集合して一列に並んでイーッとか分かりやすい行動してくれないし。
しかたないからメンバーとかかわった人間にかたっぱしから尾行を張りつけるんだが。網を広げすぎて、監視班の理解もあいまいになってくる。あくまで透明人間に徹する
隠密監視なのか、嫌がらせ牽制混じりの
見せつけ監視なのか。
後の方はきほんアホでもできるが、前の方はプロテクがないといけない。
ディスアポイントメント - ハテルマそういう監視対象のひとりだったのが
竹田賢一@ミュージシャン。
当時
竹田賢一は、若き
坂本龍一@東京藝大院生時代@YMO結成3年前と組んで、マルチメディアパフォーマーユニット
「学習団」やったり、時代の前めを走ってる、が、
昨年の暮れくらいから
公安の尾行をひしひし感じていた。
あと
警察からライブハウスに圧力がきて、ライブが中止になったり。
「オレたしかに左寄りだけどそこまで睨まれることしたっけ?」首をひねってた。
それはね、
斎藤和が
都立大にいた頃、友だちだったからだよ、なんて思いもよらない。
竹田賢一がそれを知るのは、
5月19日になる。
さて
佐々木兄、フタを開ければぜんぜん事件と関係なかったんだが。
後日いざ
裁判となったとき、
被告家族のイニシアチブをとうぜんのごとく取ったのが
佐々木兄だった。
権力相手にケンカ慣れしてない
被告の親たちを仕切って支援団体を牛耳る。で、人権派や“市民”も当然のように傍聴席に陣取る。誰やねんあんたら状態。
ところが
祥氏一派が張り切って
獄中闘争をあおったもんだから法廷も大荒れ。
被告も
傍聴人も
弁護士も大騒ぎして退廷、
もー
裁判にもなりゃしない、
遺族被害者激怒。
さらに
祥氏は
ある被告を異常なまでに敵視、その一言一句ネチネチ揚げ足とっては口撃、ほかの
被告たちにも
「あいつは敵だ」とけしかけたり。
一見知的風、と見せかけて
単なる憎悪に満ち満ちてる
佐々木兄の陰湿な罵詈雑言、
(ここで再現する気にならんくらいイヤらしさに満ちている)
はっきりいって
連合赤軍のリンチの理屈と同次元、いやそれ以下だった。
さらに
祥氏は調子づいて>
被告の親たちにまで
自己批判せよ!とか命令しだす、>
>昭和1ケタ生まれ世代困惑。
ていうか
ジコヒハンって例の
ソーカツ?
連合赤軍の? うわこっわー。
とうぜんながら
佐々木兄は空回りして主導権を失っていく。
佐々木兄、なんでこんな痛いかんじなのか。
ひょっとして、そんなに悔しかったのか。
自分が端役でしかなかったことが。
「よくない流れですよ。
韓産研」
「どういうことだ」
「
犯行声明」
「変化してます、
よくない方に」
これまでの
犯行声明、海外資産をぜんぶ手放して撤退しろとか、資産をぜんぶアジア人民に渡せとか、そんな非現実的な話、企業が「はい、わかりました」となんて従えるはずないです。
そんなムチャぶり受け入れられないのなんて連中も頭のどっかで分かってるでしょう。
爆弾闘争やるやつって結局それでなにをどうしたいのかって何も無いんですよ。
ライナー・クニツィアの革命万歳 テロでみんな不安>世が乱れる>権力が規制を厳しくして弾圧を強め>不満をもった有志が立ち上がる>
革命(≧▽≦)
たいていの
過激派は↑このくらいで思考停止してます。
「腹腹時計」ですらそうです。目的は
「オトシマエをつける」ですから。
なにそれ?任侠? それ誰がうれしいの?ってかんじでしょ。
あえて言うと彼らは
放火魔と似てます。
爆弾は人間のちっぽけな力以上の破壊をもたらすことができる。全能感というか神のような気分になれる。それに酔ってるのが大抵の
爆弾テロリストです。
いろいろご大層な大義名分をつけてもそれは建前で、爆破してなにかを為すんじゃなくて、
爆破したいから爆破するんです。
ところが今回の要求はちょっと違ってて、
具体的かつ実現可能です。
工業団地視察を決行するor止める。参加企業がテロの標的になる不利益×視察強行したときの利益、天秤にかけやすいです。
だから
韓産研と
オリエンタルメタルはすぐ中止を発表しました。
初めからこうする予定だったか、路線変更したのか。
今後、彼らがこういう具体的な脅しをしてくると、企業は言いなりになるしかないと思います。要求を拒否してもし死者でも出たら袋だたきですからね。
「社会的ダメージは、これまでとは比べものにならなくなりますよ」
じっさい少なくとも
斎藤和はこの頃から、
「実質的具体的に侵略を阻止する」へと路線をシフトしていた。
三菱重工爆破テロで
400人も
死傷者が出たのは、
戦線メンもビビった、
が、
三菱重工のアレがなければ彼らの
対企業連続テロも年間何十何百とある大小無数の
爆弾事件に埋もれてただろう。
丸の内の
惨劇、
太ももがもぎとられ服も焼け飛んだズル剥けの遺体の転がる光景、あの報道写真のインパクトが
東ア反日武装戦線の悪名をメジャーに押し上げた。
斎藤和はいち早くそれに気づき、乗っかったのである。
では
大道寺たちは?
1stチーム「狼」はこの間、ほぼ開店休業中なわけだが。
間組本社爆破も
共同作戦だったし。
やってるのは頼まれて
電気雷管をつくって渡したり、
警察無線傍受したり。
いちおう
1stチームなのに
下請けみたいな役割しかはたしていない。
片岡@技術力が抜けてリリーフ
佐々木もまだ育ってないし、思うように動けなかったのかもしれない。
でも自意識の強い
大道寺将司が下請けでよし、と思ってたかというと…?
これは捜査でも裁判でも言われてないんでかんぜん妄想なんだけども、
「狼」は宿願の
「虹作戦」をもういっぺんやろうと思ってたんじゃないか。
「虹(レインボー)作戦」?そう、じつは
1974年8月30日の
「1発目」より2週間ほど前に、
「狼」最大の
テロ計画↓があった。

1974年 昭和49年8月13日 深夜東京都北区赤羽 埼玉県境
荒川鉄橋暗い河川敷で、奇妙な連中同士にらみ合い中。
一方は、派手ファッションの
若い男女4人組
で、もう一方は、4人か5人の
浮浪者風派手4人組は、明らかに河川敷で酒盛りか花火か何かしたくて荷物を抱え、
浮浪者風数人組をうっとうしげに見てる。
浮浪者風はにやにや遠巻きに
派手4人組を眺めてる。
この河川敷はヤリヤリスポットなんで、ノゾキか痴漢かもしれない、
互いにじろじろにらみ合ってるんだが。やがて──
派手4人組「ちぇっ、行こうぜ」
ハタから見れば深夜に河川敷で花火でも打ち上げて騒ごうとしてた“とっぽい”若いやつらが、ノゾキ趣味の変態がうろうろしてるんでしらけて他の遊び場に行った、
てなように見える。
でも、
この
派手4人組、
「狼」だった、
となると、ただの酒盛りのはずもなく。
帰って行く
「狼」4人組、苦労が水の泡になってへろへろ。
何日もずっと徹夜続きで一睡もせずやっと
爆弾完成させて。
あとは
マルテンが通る橋に仕掛けるだけだったのに!
で、
「狼」の狙った
マルテンってなんのことかというと──
夜が明けて翌朝、
東北本線の
黒磯駅から出発した
特別列車が、
ひたすら南下して
東京方面へ。
毎年
終戦記念日に
武道館で
「戦没者慰霊式典」がある。
だから毎年決まって前日の
14日午前中には
那須御用邸から
東京に。
例年の
午前11時に少し遅れて──
お召し列車は
埼玉県と
東京都の境に架かる
荒川鉄橋を、
なにごともなく通りすぎた。
彼らは
「日本で一番有名な日本人」の
暗殺を実行しかけて──失敗したんである。
いきなり
初戦でてっぺん頂上狙いかよ!
つうかそんな大それた計画を、仕事の片手間に日曜大工で食器棚つくるくらいのノリでやろうとしてたのがムチャというかある意味すごい。
もしこの
8月14日の朝、
鉄橋が本当に
爆発してたら。
世の中たぶん右も左もとんでもない騒ぎになっただろう。
でもまあそれは起きなかった。
「狼」4人のしょんぼり感もひしひしひとしお。
せっかくつくった
セジットS爆薬詰めの
ペール缶2ケをみて、これどうしよっか、とかぼやいているんである。
鉄橋を吹っ飛ばすつもりで作ったから無駄に巨大破壊力だ。
てか眠みーよ。出勤前にちょっとでも眠れるかなあ、と実生活に引き戻されたり。5時からテロリストもたいへんである。
さらに、決定的なことに、
その
翌日8月15日、
対馬海峡の向こう岸で
大事件が起きた。
韓国ソウル、式典会場に入り込んだ
文世光@在日韓国人、
演説中の
朴大統領を狙撃、
大統領夫人と
合唱隊の女子高生が流れ弾で死んだ。
まあ
日本では
津川雅彦の
赤ちゃん誘拐事件の方が話題になったんだが。
同志文世光が決行したのにおれたちは何をしてるんだ!
いや
「狼」はべつに
文世光とまったく知り合いじゃないんだが、
なぜか凄いことした人はおれたちの戦友ってことになる。
おれたちもこうしちゃいられん、早く何かしなきゃ何か。
しばらくアパートの隅にほったらかしだった
セジット爆弾の新たな使い道を決める。
焦った勢いで。
名付けて
ダイヤモンド作戦。そんなかんじで
荒川鉄橋の夜から
半月後の
8月30日の昼、
まんま流用した
ペール缶爆弾2個が、
丸の内三菱重工ビル前に置かれた。
つまり
頂上作戦から、各論的な
企業攻撃に切り換えたわけなんだが、
もういっぺん頂上に立ち返ろう、と。
昨年も失敗した後日、
起爆用ケーブルを河川敷から掘り出して回収済み。
そんなのとうぜん次のチャンスを狙ってたわけで。
それにあの頃は戦術的にも技術的にもまだ未熟だったけど、
今なら
遠隔操作式の起爆もやれそうだし、
セジット爆薬も今度こそ間違えずにつくれそうだ。
じつはのち再審請求で明かされたんだが、
「狼」は
2月頃から
虹作戦の準備を進めていた。が、肝心の
セジット爆薬がなかなか出来上がらない。
セジットSは、一般入手可の原材料でつくれる中で最強の爆薬だった。鉄橋という堅牢な構築物を列車ごと吹っ飛ばす大仕事には、
セジットSは必須、だった。
なのに
爆破実験を何回やっても
不発つづき。
あや子は他の爆薬と同じく「
熱い粘土状のうちに
ぎゅうぎゅう詰めることが必要」と思いこんで出来たてをぎゅうぎゅう詰めた。
でもこれは間違いで、だから単なる粘土もどきしかできなかったんである。
この頃、さすがの冷静な
あや子も責任かんじてテンパってただろう。化学の専門家(薬剤師だが)だから
爆薬調合の大役を委ねられてるのに、で、自信だってちょっとあったのに。みんな優しくて責めないから余計つらい。正直ちょっと泣きそう。
が、
片岡が容器用に買ってきた
ペール缶2個が運命を変える。
買った
ペール缶はフタ式じゃなくて
口金式、これでは熱い粘土状をぎゅうぎゅう詰めるのは無理。しかたなく
あや子は冷めるまで待ったが、
そしたら乾いてぱらぱらの粒の山になってしまった。
いいんかな、と思いつつ、ざらざらっと
ペール缶に流し入れたんである。
でもじつは、それこそ
セジットSの正しい(に近い)つくりかただった。
正しい完成形は
「粉末」なんで、
「粒」ではやっぱり不発になるんだが。
ところが、さらに
8月13日の夜、また希有な偶然が起きる。
荒川鉄橋まで
スバルのトランクで揺られてるうち、着火しやすくするため口金近くの
雷管周りに詰めた
白色火薬がゆっさゆっさ攪拌、
セジットSの粒と粒の隙間にまんべんなく混じり込んだ。
これで発火しやすい
白色火薬力を借りて、
粒状でも起爆可能に。
丸の内の犠牲者にとってはあまりに不幸な偶然の重なりから、
セジット爆弾完全体もどきが仕上がってしまったんである。その結果は>
「1発目」
あや子は
三菱重工から今まで数か月、不発のつづいた原因を調べ続け、いろいろ検証していくウチに、そこに思い至った。
なんて
バカなの!>
私 >_<
でも、
次はやれる、成功する。マルテンの
8月14日のスケジュールは今年も同じはず。
今年こそ成功する、きっと。1stチームとして、後続チームと
格の違う戦果を挙げねば!
マルテンよりも格上の権威なんて、もちろん
日本には存在しない。
となれば
片岡利明もモチベ取り戻して復活するかもしれないし。そもそも
マルテンに関しては
片岡がいちばんやる気だったんだし。
△
と以上のソースは
セジットSもどき完成部分以外は妄想捏造全開。
でも彼らが捕まらないまま、
8月15日がまた近づいたら、
きっと
「虹作戦リターンズ」ねらっただろう。
と妄想混じりの回想シーンが繰り広げられてる間に
「さそり」がまた仕事をした。
4月28日 午後11時57分──
間組京成江戸川作業所当直の
間組社員@25歳、
重傷。土田総監がなにより恐れていた
人的被害が出た。
【17発目 女王陛下のサムライ】へとつづく
18発目 ■射角を考慮し、適時適切な状況を判断し、適時適切に拳銃を使用せよ
19発目
(終)■運命のかぎ爪 ■流れよ我が涙、と警官は言った。■夏、釧路で。
