四th 或る田舎的 インヘルノ
──
月ヶ瀬村中2女子殺人事件
名張川上流、小さな山の尾根に家屋敷が軒を並べる山渓の村。
梅林@3000本とお茶生産地。江戸時代の家屋やら能舞台やらが残って
文化財指定なんかもされて。
ちなみに
梅林は酔狂な趣味でつくられたんでなくて始まりはれっきとした産業で、江戸時代に染料としてバカ売れしてウハウハだったんだが、化学染料登場であえなくニーズはなくなった。が、さいわい本数が多かったもんだから観賞用として名所になった。
この小さな村で
丘崎誠人は生まれた。
35年前──
セイジ*と
リエ*、流れ流れてこの村に。
誠人の両親である。
2人とも
被差別部落や
在日朝鮮人の血が複雑に絡み合う出自で。
それぞれトラブルあって部落
(このばやいは被差別部落の意)界隈に住めなくなった、で、知り合って夫婦になった。といっても戸籍は入れない
事実婚。主義主張じゃなくていろいろやむをえずの
事実婚。
しかも
リエ*は幼い頃から働かされてたので小学校に通えず
読み書きができなかった。平安時代とかどっかの
発展途上国とかじゃなく
戦後の日本の話である。
夫婦は、村人からさっそく、
「おめえらは区入りさせん」と告げられる。
ここで登場するのが、村独自の自治制度
「区」と
「与力」村は
長引・月瀬・嵩・桃香野・尾山・石打など、尾根や谷で分かれた小集落の集まりで、これが
「区」に分けられ、
「区」の代表が
「与力」
与力っつっても↑こういう人がいるんじゃなくてってのはお約束。
区入りというのは「
区の一員」と認められること。
区民2人の推薦がないと
区入りができない。
もちろん明文化された条例じゃなく、
しきたりってやつである。
法的根拠はなくとも
与力の権威は絶大で、
区民の冠婚葬祭、トラブル解決、生活指導、納税、ぜんぶひとまとめで処理与力。
「縁者は一代、与力は末代」繰り返すが江戸時代じゃなくて、
1997年の話である与力。
明らかに
徳川幕藩体制期に定まった
農村支配制度が微妙に
土着化したの図。
ちなみに
月ヶ瀬では
土葬、
両墓制で
埋め墓と
詣り墓の2つ墓がある。かつて日本じゃ
両墓が主流だった。
いろんな時計の針がここでは止まってる。
五人組と近世村落―連帯責任制の歴史 封建時代の旧制がいまなお有効、は
意外と全国各地にある。こういう制度は共同体の内っ側にいて疑問持たずに生きてられるならそれはそれは分厚い帰属感に包まれてすこやかに暮らせるだろう。
でもその輪からはじかれた者にとっては、
そこは地獄と化すんである。
区入りがなければ
与力もつかず。村の社会的生活はみんな
与力がつかさどるんで、
区入りできない=自動的に
村八分になるのだった。
というか
リエ*は村人から初めっからじかに
「家ぇ
焼けるか、
葬式できんときは村が寄ってやってやる。
それ以外は付き合わねえからな」
と堂々と言い渡される。
それ
村八分そのものである。
成人式、結婚式、出産、病気、普請、水害、法事、旅行、葬式、火事
この十のうち葬式と火事以外の八には一切関わらない、
絶交だもんね仲間はずれシカトはばじ行為。
すなわち村八分。
葬式と火事だけ例外なのはじつは根はいいやつなんだな、じゃなくて、死体ほっといたら匂うし伝染病のもとだから、火事は延焼がイヤだから、にすぎず。
ちなみに近代ニッポンで村八分は違法である。が、田舎的には…
1952年には静岡県上野村で選挙不正告発した女子高生一家への村八分事件
1992年には兵庫県佐用町水根の村八分訴訟
2004年には新潟県関川村の村八分訴訟。ぜんぜん最近じゃん。
じつは現代にいたるも田舎的ワールドで村八分はザラなんである。
水根なんてたった7戸12人しかいない限界集落なのにそこの総代に命じられるまま1戸を村八分をしてる。もちろん総代が訴えられて敗訴したんだが、賠償金も6戸で割り勘するハメになった。なのにみんな文句も言わず裁判なかったかのように村八分続行中である。
村八分なんてのは、たいていそこの有力者の武器になってるだけって話が多く、
月ヶ瀬のようにシステマティックなのはさすがに珍しい。
郊外都市でもママ友集団あたりのシカト系イジメも装いを変えた村八分で、法的にも同じく共同不法行為として損害賠償どころか刑事罰の対象にもなる。ってことでママボスさん心するように。
田舎的は
田舎でばかり起きるとは限らない。
都会にだって
田舎的は存在する。
ただ
ライフラインおよび
全人生が一元支配されてる
田舎での
田舎的は生きるか死ぬかになるんで
より卑劣でより罪深い。で、まさに
セイジ*と
リエ*夫婦は住むところもない状態になったんだが、
村の
民生委員(
与力が公的役回りも兼任)が動いた。
当時のマスコミ報道は、この
「与力」という概念をどうにも説明しにくいんで、しかたないから
「民生委員」を肩書きとして記事を書いた、だからなんだか妙な記事になった。
まあとにかくこの
与力@
民生委員が、区民に空いてる土地を融通させ、
「この家に住むがええ」と夫婦に貸した。
区入りは認めぬ、が、住むことだけは許す。貧乏だろうから家賃も月1万な。
というと
与力どのいいとこあるじゃん親切じゃん、のようだが、
そこは村はずれの傾斜地、周りは藪、日当たりも悪くいつもじめじめして。
納屋だった掘っ立て小屋が、以後
35年にわたって夫婦のマイホームになった。
トタン屋根、壁はベニヤ@すきまだらけで夏は暖房、冬は冷房@すきま風付き。
風呂の湯沸かしは
薪を燃やして。そして
便所、なし。「下水道の分担金を払ってないから」だから一家は
裏山に穴を掘って用を足していた。あー
江戸時代でもどこぞの
発展途上国でもなく
戦後、それも
平成になってからも続いてた話である。
さて、
この
“親切な”与力@
民生委員の大きなお屋敷に生まれた
孫娘が、
のち
被害者となる
充代だ。
セイジ*リエ*夫婦は、行商、日雇いのガテン労働でなんとか食いつなぐ。
やがて長女
キリ*が生まれ、次女が生まれ、三女が生まれ、
長男
誠人が生まれ、さらに四女が生まれ。
セイジ*は、家族が増えるたびに板っ切れで斜面に家を継ぎ足した。
だから彼らの家は
一瞬3階建てに見せて、斜面に1階建て3棟が階段状に連なってるのだった。素人がやるんでさらに
あばらや指数が倍増である。
区入りなしでは
茶畑も持てないし
区有林の権利もない。
集会にも呼ばれないし、役員選出の
投票権もない。
けれども負担だけはかぶせられる。
区の奉仕作業もやらされるし、
負担金は最低ランクながら支払わされる。
30年住み続けても、
Z級村民扱いはガチ不変。とはいえ、ここが
旧弊にとらわれガッチガチ
隔絶された
排他的集団かというと、
じつはそうでもない。そもそも
梅林は
観光地だし。
都市生活に疲れて
「癒しの田舎暮らし」を求めて半移住してきた
都会人もいる。村人は排斥するでもなくふつうに受け入れて付き合っている。
そういう
寛容な顔もいちおう村は持っている。
が、その顔は、
丘崎一家にだけは一度たりとも向けられなかった。
日本が
経済大国になろうが
昭和から
平成になろうが。
そこだけは不変。諸行無常の例外。
そんな極貧かつ孤立の暮らしだが
セイジ*は愛人をつくった。
当然ながら夫婦仲は寒冷化する。
リエ*は子育てをしなかった。いや、
子育てという概念すら知らなかった。7歳から働かされてたんで。されたことも見たこともないものはできない。
家事も知らないから家の中はホコリと土だらけ。
家具もまったくない。生活用品は土だらけの
床にじか置きである。
一家団欒? そんなもんなかった。料理をなんとか覚えた長女
キリ*がつくりおきしたおかずをみんなが
食いたい時間に勝手にむさぼる。
家族の会話もない。みんなたまたまひとつ屋根の下で息してるだけ。
リエ*のもとにかわるがわる男たちが通ってきた。夫
セイジ*がいないときに。
で、隣り合う部屋で幼い
誠人はそれを聞いていた。
姉
キリ*が成長すると、村にある居酒屋の賄いとして働くようになった。
で、今度は
キリ*のもとにかわるがわる男たちが通ってきた。
で、隣り合う部屋で少年
誠人はそれを聞いていた。
キリ*は未婚のまま子を産んだ。
父親は…んー誰ってこともないまま。
──ていう何重苦ものヘビーすさんだ家庭で少年
誠人は育った。
で、そんな無茶な立場でも、日本には
義務教育なる制度がありまして、国籍住民票あるなし関係なく子どもはみんな小中学校に行かされるんだが。
誠人はとうぜんのようにひどい目に遭った。
小3のとき、公民館で
放火騒ぎ。
「丘崎の息子がやった」と噂が立った。
なぜなら
「丘崎の息子やさけ」村祭りで
金が盗まれた、ビニールハウスで
ボヤ。
「丘崎の息子がやった」なぜなら
「丘崎の息子やさけ」「あの子と遊ぶんやないよ」親たちは子どもらに言い聞かせる。
「なんでー?」
「丘崎の息子やさけ」少年
誠人はめっきり暗い性格になった。当たり前だ。
中2で
不登校。そのまま学校には二度と行かず。グレるでもなく(つるんでくれる相手がいない)。友だちもできず。家にこもった。
担任教師は
誠人に冷淡で、卒業まで数度しか様子を見に行かず。
法廷で
誠人は、「
不登校は
担任のえこひいきと体罰がひどかったから」と証言した。
卒業式だって行かなかった。
担任に命じられてしぶしぶ同級生が届けた
卒業証書。
誠人は
破って焼いた。裁判では、村の
住民、
同級生たち、当時の
担任も証人として出廷、
「そんな差別はなかった」口をそろえて否定した。
この
事件、
部落差別が原因、かというと、
微妙に違う。たしかに一部にはそれがあるものの、それだけじゃないのだ。
部落差別、在日差別、職業差別、貧困、村八分、いじめ──
丘崎家の人々は、
戦後日本の暗部を網羅したかのごとく背負わされた。
なのに一家はどのカテゴリにも入れずどこにも属せず。
だからマイノリティの互助も、被差別への支援も、救済も彼らだけをすり抜けて。
こうして一家は、
オリジナルの下層民として
「創造」されたのだった。
んー、そんな目に遭ってんなら
なんで村から逃げなかった?村から出なかったのが
悪い、
外で自立しなかったのが
悪い、
どこに住むかは
自由、どう生きるかは
自己責任、
こういうとき必ずその手の
自己責任論的バッシングが出てくるんだが。
そういう人は、孤立し虐げられ続けることが人の心の芯をどう破壊するか
想像できないしする必要もない幸せな人か、
要領よくいつも踏みつける側にいて、
「
いじめられっ子にも非がある、
ぼくらも被害者」
とかうそぶいてた人だ。
村のお地蔵さん。丘崎一家に御利益はなかったさて、
またタイムマシンにお願いして──
2004年兵庫県加古川市へと
「わしゃ、
ヤスに殺されるかもしれへん」
タツヒコ*氏が、勤務先の同僚に愚痴ってる。
ご近所では
タツヒコ*一家が突出して
ヤスと衝突し、憎まれてたから。
タツヒコ*家、西側の道を挟んだ
ヤス一家のお向かいさん。
タツヒコ*氏は
ヤスや
母屋の
ヒサコ*らと
同姓で隣に住んでるが
血縁はない。だから「親族」と言い切るとちっと語弊があるんだが。マスコミによっては
「遠縁」と表現されてる。
ただ
タツヒコ*家も代々同じ土地に住み続けてるんで隣り合ってるのは偶然じゃなく、かなり密で濃いー
地縁がある。
覚えてますか、もともと
アツコ*@
タツヒコ*妻が10年前から
うわさ広げ隊の切り込み隊長、だったんで
ヤスからの心証はデフォルトでよくない、
ってとこへ持ってきて、
タツヒコ*氏は前から
ヤスがご近所ともめると、怒鳴りつけたり羽交い締めにしたり、保安官的行動をよくとってて。だから互いに悪感情。
そこへ持ってきてさらに
「車騒動」連発。
サツキ*@
24歳@
タツヒコ*娘が家の前で洗車中、
ていう洗車風景だったら
ヤスも文句言わずにいただろうが。んなこたあない。
その水が、
「うちの土地に流れて来るやんけ!」ヤス怒声。
そのへんで大っ嫌いになったのか、
サツキ*は
ヤスを徹底してシカト。
「車で道譲っても礼も言わず当然って顔で行きよる」ヤスむかむか。
そのあと、こんなことも重なる。
ヤスが自分の車を出そうとすると、
ノブオ*@
26歳@
タツヒコ*息子の車が道路にはみ出て駐車中。
ヤスは当然ながら
タツヒコ*氏の家に怒鳴り込むわな、
「こら、車出られへんやないかいっ」
ところが
タツヒコ*氏、また
ヤスめが…と思ったのか、
「今からどけるやんけ」逆ギレ気味に返す。
そりゃとうぜん
ヤスお決まり癇癪コース、
「なんやとこらっ」ヤスに押されて
タツヒコ*氏尻餅。
騒ぎに慌てて駆けつけた
ヤス母
キミヨ*が息子をたしなめようとしてるところへ、
今度は
ノブオ*@
タツヒコ*氏息子が現れて
キミヨ*にいきなり、
「クソ婆ァ、黙っとれ!」ヤス、あまりのことに一瞬フリーズ、
遅れてぶちぶちっ
「何どおいッ」
ノブオ*「警察呼んどおぞ! なんや、おー、やるんか!」あとは怒鳴り合い。というか
警察呼んで
強気って…ちと…あれな…
まあ最後には
ノブオ*がしぶしぶ車どけたんだが、
タツヒコ*氏がまた
よけいな捨てゼリフで、
「覚えとけよ!」こりゃどうよ? ここだけ見たら
どっちがトラブルメーカーだよって域。
ヤスはあとで母親
キミヨ*にぶちぶちと、
「なんやあのガキら! ひとこと“ごめんな、のけらあ”言うたら済んどおやないか!
それをあのクソガキ。おかあにクソ婆いいおって。
クソ生意気なちょこざいな。ああごうがわく!」珍しく
ヤスの言い分の方がもっともでござい、ではないかである。
もちろんこれだけじゃ
殺人まで行き着くような話じゃない。でも今までの積み重ねに積み重ねたマグマの
最後の一押しには充分すぎて。
ヤスの
デスノートに
タツヒコ*氏と
その家族4人全員が並んだのである。
時代はまたさかのぼる──
1997年 「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室
「………そうか、それはつらかったな」
そう一言で片付けられるのもイヤかもしれんが。
「しかしな、
丘崎くん、君は中学を卒業してまもなく村を出たよな。ヨソで就職したんだろ。
なのに、
なんで村に戻ってきたんや?
嫌な思い出しかない村じゃないのか?」
「………」
そう、時代はさらに10年さかのぼって
1986年、
月ヶ瀬──
丘崎誠人、1日たりとも登校することなく
中学(形だけ)卒業。働かにゃってことで、
測量のバイトを始めた→
辞めた。
東京や
大阪の飲食店で
調理師見習いとして住み込み→
辞めた。
土木作業員を始めた→
辞めた。
警備員になった→
辞めた。
左官見習い→
辞めた。ま→
やめた。やめた。やめた。家族の会話もなし、中学でも人間関係もなしだった
15歳少年が、
外界で急に円滑なコミュニケーションなんてとれるはずもない。毎度毎度毎度いつの間にか実家
なんちゃって3階建てに舞い戻ってる。
家では数少ない贅沢品
プレステで黙々とゲーム。これまた贅沢品
ビデオでは
18禁ビデオ鑑賞。とくにお気に入りは
少女凌辱もの。そのへん買う金は、老いてまだ日雇いガテンを続ける親にねだった。
丘崎家には
1台しかテレビがないので、
誠人がAV見たくなると、そのたびにテレビを自分の部屋にえっちらおっちら運ぶ。
終わるとえっちらおっちら戻す。そのテレビで見たくないよ兄ちゃん。
もはや何度目かしらん、
またもや
誠人は
なんちゃって3階建てに舞い戻ってきた。中学を出て10年経ってた。
もう2・3番目の姉はとっくに自立して家を出ていた。
姉
キリ*@
28歳の
子どもはさらに2人増えてた。やっぱり父親は、んー…誰ってこともなく。
狭い家に、まだガテン現役の老父母
セイジ*リエ*、姉
キリ*+
3人の子ども、
誠人と
妹、計8人がひしめく。
もはや
誠人、働こうって気配すら見せず。
プレステと
AVビデオ、たまに
滋賀県のソープ街
雄琴まで遠征して
肉肉しいものを発散。その軍資金は親にねだってせしめる。
もうひとつの楽しみ、自慢の
三菱ストラーダ(中古)。
もちろん親にねだって農協でローンを組んでもらって買った。
チャゲアスと
ドリカム、アーーーバンなかんじの
ラブソング系を流しつつそのへんをひた走るのが
誠人の幸せタイムだった。
深夜までゲーム。昼まで寝る。夕方に
ストラーダ(中古)でどっか行って夜戻ってきて深夜までゲーム以下無限の毎日。
睦やんも
ヤスも、そして
誠人も、
なぜか
田舎的殺戮者は、
同じ道を同じように往くんである。えいやっと
外の世界へ出て行ったことだってあるにもかかわらず。
なぜか本人にとってもっとも忌み嫌って憎みまくってるはずの
そこに
わざわざ戻ってしまう。糸でもついてんのかってくらい。
彼らは
そこを忌み嫌い憎悪を燃やしつつ、でも外じゃ生きられない。
だから
そこに帰ってくるしか道を知らない。
で、
そこは家もあるし親(の金)に依存してとりあえず生きる。
でも
そこを憎んでるのは変わらんわけで。
それでますます
毒々な澱をためていく。
そこに未来がないことも分かっていてもそれでも。
そこに居続ければ必ず
破滅すると分かっていてもでもそれでも。
事件は、
丘崎誠人が村に舞い戻って1か月後。
1997年5月4日に起きる。
その日──
自慢の愛車
ストラーダ(中古)で夜明けの
月ヶ瀬へ朝帰り中。
前日の夜、例によって母親からせしめた金で
滋賀県の
雄琴ソープ街で肉肉しく発散、
晴れやかかつ仙人的な気分で翌朝、
月ヶ瀬へと帰ってきた。
さすがに眠くて、途中の
村営パーキングでちっと仮眠。
起きたら昼過ぎ。また運転開始。家へ家へ。
愛車
ストラーダ(中古)飛ばし飛ばし。
と、
県道を
ジャージ少女が歩いてるのを見つけた。
あれって──おお、
充代やないか。
帰る途中か。部活かな。
与力@
民生委員の孫娘
充代@
13歳は、卓球大会が終わって、家に帰るところだった。
この先、まだ高台にあるお屋敷までずいぶんある。
誠人は愛車
ストラーダ(中古)のスピードをゆるゆる緩めて、
少女に、
追いついた──
【伍th 或る田舎的ファイナルカウントダウン ─名張ぶどう酒事件】へと続く> 目次 contents >> 参考文献 web_book_magazine >