【事件激情】その男、K。#12(終)【秋葉原通り魔事件】
<contents <#11 「2分間のできごと─凶刃」
6月8日の事件関係者リスト> そのほかの事件関係者リスト>




セカイのかけら

秋葉原で一気に凝縮されたKの世界は、加藤智大が逮捕された瞬間、粉々に飛び散った。
もはや見えるのは切れ切れのかけら。できるだけ拾い集めて──
親たち
東京──
病院に駆けつけたタカの親父は、息子の遺体と対面して叫んだ。
「バカ野郎!なぜ死んだ!」

青森──
夜7時。加藤智大の実家にマスコミが群がる。
すでに離婚、家に住んでるのは父親だけだったが、両親そろって玄関前で頭を下げた。
母親は腰が抜けて立てず、這いつくばって屋内に消えた。
鎮魂歌

事件から数日後──
6月8日の事件関係者リスト> そのほかの事件関係者リスト>




セカイのかけら

秋葉原で一気に凝縮されたKの世界は、加藤智大が逮捕された瞬間、粉々に飛び散った。
もはや見えるのは切れ切れのかけら。できるだけ拾い集めて──

東京──
病院に駆けつけたタカの親父は、息子の遺体と対面して叫んだ。
「バカ野郎!なぜ死んだ!」

青森──
夜7時。加藤智大の実家にマスコミが群がる。
すでに離婚、家に住んでるのは父親だけだったが、両親そろって玄関前で頭を下げた。
母親は腰が抜けて立てず、這いつくばって屋内に消えた。


事件から数日後──
死者7人の葬儀があった。
なかでも異彩を放ったのが彼女の通夜、告別式。

会場は、寛永寺輪王殿、
雨の中、参列者は3時間の列。
そして宗教色を排した音楽葬。
先輩@彼氏や親しかった5人の藝大生の演奏、「ヘイ・ジュード」「G線上のアリア」、彼女の好きな曲で弔った。
社葬や著名人の葬儀場格の輪王殿、東京藝大の学長臨席、日比谷高校の校長も参列、三笠宮崇仁親王(客員名誉教授だからだが)の弔電、政府関連や大企業からも弔電(このへんは父親といとこおじラインで)、
21歳の一女子大生には破格の大葬になった。
マスコミは“視聴者ウケ”する彼女の悲劇ばかり追った。もちろん音楽葬も。
これがあるニッチな集団を刺激した。
負け犬たちの宴

「加藤は神」「格差社会の英雄」「加藤の乱」「勝ち組に一矢報いた」「我々のスケープゴートとなった聖人」

ネット上の“負け組なおれら”だ。
はじめ彼女は不運な「バイトの女の子」だった。でも報道でそのプロフィールが明らかになってくると、彼らの脳内で
負け組の聖戦士×勝ち組のお嬢様
の図がすぐできあがる。
たしかに誰もが死を悼む彼女に比べて、加藤はじつになんの価値もない人間のように見えた。
事実、そんなかんじで報道される。
それがますます“おれら”を刺激。
金持ち女め!勝ち組め!

おれたちの加藤が勝ち組に目にもの言わせてやったぞ!
“おれら”は本気にしろネタ(つまりまあ奥底で本気)にしろ掲示板やブログで加藤を讃える書込み、彼女の死を「勝ち組ざまぁwww」と嘲笑い、彼女を中傷、藝大生のブログまで荒らした。
参列者のこんな言葉も、

「負け組のくせに」と言ったとわざとか字が読めないのか曲解してののしった。大はしゃぎで。
もっともこの手のバッシングは週刊誌とかが「最近の若いもんは…異常」的に取り上げなければ、市井の人々は知りもしなかった。
世間様の感情はだいたいテレビ的価値観に沿った。だいたい。
犯行予告ごっこ

「小女子は“こうなご”という魚のことで、小学生女子という意味じゃない。魚を焼いて食べると書いただけ」
「そういう言い訳がますます悪質。はい有罪」
「明日*時に**小学校の前で小女子を焼き殺します」「おいしくいただいちゃいます」と2ちゃんねるで“犯行予告”した被告無職@23歳。上みたいに主張したけど、まあもちろん認められず。
事件以来ネットの犯行予告激増え。
が、こちらのおイタは大人のルールで罰を受ける。
警察庁は「冗談でもネタでも逮捕」を厳命。事件から3か月でとッ捕まったのは66人。
ケータイ掲示板に「秋葉原で人を殺します」の犯行予告が更新されたのは事件23分前。事件発生までに何人もそれを事件前に見ていた。
が、この犯行予告が警察に知らされたのは、事件から5時間半も経ってから。だめじゃんぜんぜん。
このあと総務相が「犯行予告をサーチするソフトを開発する」「予算は数億円」と発表。
これを聞いたWebエンジニアがその翌日に「1人で、0億円、25分で」つくった予告.inをアップした。

予告.inにサーチされてどんどん逮捕者。
犯行予告は意外と重罪。ずいぶん破滅な目に遭う。>
2009年1月まで通報しますたされた犯行予告は2800件。逮捕・補導は82人。上は66歳から下は9歳まで。>

ピーピング・トムズ

瀕死の被害者にカメラを向け、写メし、動画配信した人々。
直後映像をストリーミング配信した野次馬は、警官から「人の不幸を撮って楽しいか」と吐き捨てられた。
彼には何がいけないか分からなかった。起きたことをみんなに知らせたいだけなのに。
赤外線で見知らぬ同士で画像交換>増殖
彼らはマスコミから現代の病巣呼ばわり(その病巣から画像を買い上げて報道したんだが)。さらにネット方面からも(しっかり閲覧してから)禿げ禿げしくバッシングされ。
TVリポーターの後ろでおどけてた連中も画像をばらまかれ、その顔がネットの海に漂っている。
アイ・アム・ア・ヒーロー
マスコミといえば、

犯人逮捕(直後)の決定的瞬間を独占スクープした日テレ2人組はヒーローになった。
日テレ2人組は自局の番組に出演。巡査部長と加藤が路地で対峙してるとき、「銃使え」「足撃て足」とサポートした、と武勇伝を語った。
そんなの巡査部長には邪魔っけな野次馬のヤジだったろう。

そのうち日テレ2人組は、
「警官が警棒を落とし、その間に犯人が路地に逃げて、ここらで2人刺されて、また戻ってきて警官と二度目の対決」
と景気よく語った。
が、クリエイティブすぎた。
2人組のいう「ここらで刺された2人」とはコウベパパとヤイヅのことだろうが、
2人が路地のここらで倒れてたのは、そこで刺されたんじゃなくて刺されてそこまで逃げたからで。
日テレ2人組はそれを知らず。ってことは…まあ言うまでもなく。
けっきょく、日テレは番組内で、
「ほかにそういう目撃証言がないそうなんでご迷惑おかけしました」
妙ちくりんな言い回しで警視庁に謝罪。
「でもウソやねつ造ではない」とも主張。うやむやして終わった。
この日テレ騒動では多彩な陰謀論も飛び交った。
花泥棒

現場の三丁目交差点には献花が積まれた。飲み物食い物やグッズが続々と山に。
そのうちこれを「お下がり」と称して盗んでいく連中も現われた。
マスコミの取材班は献花の山をあさり、“悲しみを醸し出せそうな”ものを目立つようにして撮影した。
コピーキャッツ
事件から1か月半。7月22日──
自称派遣社員菅野昭一@31歳。
100円ショップで文化包丁を買って八王子駅に向かった。
駅ビルの書店でバイトの女子大生@22歳を刺した。続いて女性客@21歳も刺した。女子大生が死亡。

前途有望な若い犠牲者と、親子して歪んでなんの価値もない犯人、という構図まで同じだった。

2年後の2010年6月22日、広島。

マツダ工場に乱入したファミリアが暴走。12人をはね、社員1人死亡。
元期間工引寺利明@42歳が逮捕された。

加藤以上にニート然な姿に「おれがいる」とショックの人多数
「マツダに恨み」と動機を語って、また「ネ申」扱いしようと“おれら”がはしゃぎかけたが、
ろくに出勤せずすぐ辞めた最近の期間工時代でなく、20年も前に下請けメーカーにいたとき仕事できなくて担当外された、というなんとも苔むした恨みだった。
引寺は事件のあと、知り合いに電話して誇らしげに、
「わしは秋葉原超えた」
殺人暦

この年は、土浦通り魔@死刑になりたい、大阪個室ビデオ店放火殺人@生きてくのが嫌、岡山駅ホーム突き落とし殺人@刑務所に行きたい、元厚生事務次官夫婦連続殺傷@年金テロと思いきやワンコの敵討ち#34年前、と“理由なきor理由ヘン”系殺人が続けざまに起きた。

加藤智大の年齢に「またやった」的な声がちらほらった。
「また」?

母親も愚痴っていたように、加藤智大は酒鬼薔薇聖斗(14)とタメだ。
さらに西鉄バスジャックのネオむぎ茶(17)、豊川市主婦殺人の高校生「人を殺してみたかった」君(17)とも同い年。
この学年は「キレる17歳」「サカキバラ世代」と延々といわれつづける。
まともなほかの同い年組は立つ瀬がなくてキレそうだ。
善きサマリア人
ここまでが事件の醜悪な顔とすると、善き顔もある。

負傷者の第一次救命にがんばった通りすがりの人々。
被害者にB型肝炎のキャリアがいて、血にふれた人は全員検査、という余波もあったが。
この69人には、のち警察から感謝状が贈られた。
後出しジャンケン隊

事件時の救命救急も尾を引く問題となった。
野次馬の出歯亀的動画や居合わせた人々の証言で、混沌の現場が生々しく知れ渡ったからだ。
とくにやり玉に挙げられたのがトリアージ。

「搬送に1時間近くかかった」「黒→赤、黄→赤とタグの付け間違いがあった2人が死亡した」「トリアージから漏れた被害者の方が早く病院に運ばれた」などが突っ込まれ、

「17人でトリアージは必要だったのか」「トリアージのせいで救える命が救えなかったのでは」なんて批判報道さえされた。
まるで全元凶がトリアージにあるかのごとく。
医者や救命医、救急同士でさえ基準や認識が食い違った。そろえてないのかよ基準。
ネット界での医療関係者と一般人の論争は不毛なののしり合い化。> >
東京消防庁は検証を行い、
「トリアージは適切に行われ、成功した」
詳しい検証情報は非公開。

東京メディカルコントロール協議会は、
「トリアージは必要」「死亡した7人は、早く運んでも助けられなかった」「ただし連絡通信はもう少し改善望む」と発表した。
波紋
加藤智大の職場だった関東自動車工業、人材派遣会社日研総業、トラックを貸したニッポンレンタカーが謝罪文を発表した。
6月29日、関東自動車工業東富士工場で派遣切りが始まった。予定どおり。


秋葉原のホコ天は、事件翌週から無期限中止となった。

秋葉原では警官増員、パトカー常駐、制服私服が巡回、職質も増えた。


「ダガーナイフ」はじめ刀剣類の規制が強化。警察は所有者に自主的な提出をうながした。

だけでなく↑短剣型ゲームコントローラーや「ダガー」という言葉まで自粛する毎度の流れになった。


2008年9月、リーマンショック。
大手メーカーで盛大に派遣切りが執行された。
受難のひとびと

被害者たち。遺族たち。
杖と車椅子の生活になった人、後遺症に悩まされる人、PTSDで外出もままならなくなった人、職を失った人、周囲の誹謗中傷に苦しんだ人。
遺族もまたさまざま。自分の使命のように取材で語る遺族。一切沈黙の遺族。

目撃者たち。
惨事トラウマになったり虚無感で人間関係が壊れた人々。
彼らは二度と秋葉原を訪れなかった。

拘置所の加藤智大。

会うのは弁護士だけ。面会も手紙も拒んだ。
でもその一方で遺族や被害者、自分を捕まえた巡査部長に計18通の謝罪の手紙を送った。ただしぜんぶ同じ文面で。

受け取り拒否の人も、読んで憎悪増の人も、まだ読めない人もいる。
そんな中、加藤に返事を書いた被害者が2人だけ。

タクシードライバーとテニスさんだ。
2人とも軽いケガじゃなかった。死にかけた。

タクシードライバー。肺と横隔膜と肝臓に傷。3日間も意識不明。九死に一生。が、全治半年。職も失って元タクシードライバーになった。

元タクシードライバーは「なぜ彼がこんなことをしたのか、知りたい」と、ヘルパー資格とって就職活動しつつ、月命日には秋葉原で花を供え、人々と対話の場を設けている。

テニスさん。現場でほかの人の心配ばかりしてたが、じつは本人かなり危なかった。背中まで刃が貫通。腎臓を摘出。腸も傷ついていた。
全治3カ月。さいわい職場に復帰、元の生活に戻れた。
このテニスさんの立ち位置はややほかと違った。
加藤の手紙を「言い訳ばかり」とバッサリしつつ、
「被告には被害者のことをもっと知ってほしい」
「事件のことは忘れたくない。亡くなってしまってもう語れない人のためにも、覚えていたい」
と証言でこたえ、裁判も毎回傍聴している。
センチュリアン

警察官たち。
警部補

一時心停止になるほどの重体だった。ようやく職務に復帰。後遺症で当時の記憶は薄れ気味だ。
女子巡査

交通課から異動して、
殺人、強盗など凶悪犯罪相手の刑事課強行犯係に配属。
巡査部長@秋葉原交番

加藤と単身戦った最大の殊勲者はやはりストイック。
あの日、巡査部長は家族に「遅くなる」とだけ電話した。なんも知らない家族はニュースで「お父さんと犯人の対決」を観て仰天することになった。
妻は「無事でよかった」、子どもたちも「お父さんかっこよかったよ」とねぎらった。なんだか一家そろってかっこいい。
巡査部長と蔵前署巡査長は警察庁長官賞詞と警視総監賞詞を受けた。
(これにもネット方面の警察嫌いクンたちが「警察が犯人捕まえるのは当然。どうして誉めるの?」と文句つけた)
そして巡査部長は、今も巡査部長だ。
今日も華々しい出世とは遠く、地道に“お巡りさん”を続ける。
音楽、はるか遠く

2008年秋、
リーマンショックのあおりで、イベント大手本多芸能スポーツサービスが倒産した。
彼女の内定してた会社だった。

東京藝大では、
「娘の遺志を継ぐ学生を応援したい」という遺族の思いから、
若い音楽家を支援する奨学金がスタートした。
父親の勤務先系列が労組も加わって全社的に基金に参加。
“負け組のおれら”はぶつぶつケチをつけた。
「音楽やってる奴らなんて金持ちだろ。その金を派遣切りの奴らにやれよ」

2009年秋、民主党政権の事業仕分けが大々的に開催された。
彼女が音楽家とともに全国を回った財団法人「地域創造」も仕分け対象になった。
#地方のハコモノに利用実績つけるためのお手盛り事業、#天下りの温床、#官僚とクラシック界の癒着、があらわにされた。

悲しいながら音楽界の現実。
彼女が強く願い、目指し続けた「音楽を人々の身近に」の道はいまだ遠く。いやむしろ閉ざされていく。
万華鏡
この事件は万華鏡かよというくらいくるくるくる顔を変え続ける。
最初はお約束のコレ。場所もアキバだし。叩きやすいし。
▼

▼
それがだんだんだんだん、

▼
こっちが主流に、

“負け組のテロ”の顔が台頭。
▼

非正規雇用や格差社会の問題が、皮肉にも事件でクローズアップ。
加藤自身のドロップアウト気質を指摘する声は華麗なまでにスルーされつつ。
▼
▼
ところが、
加藤智大本人がまた物語をひっくり返す。
裁きのトリセツ

2010年1月28日、
ようやく加藤智大の裁判が始まった。
起訴時期が早かったんで裁判員裁判でなく。

弁護団が検察の用意した証人の供述書を不同意。おかげで被害者や目撃者、関係者が総勢40人以上も呼ばれる巨大裁判化。弁護団に怒り剥き出しの遺族もいた。

加藤の両親は青森から出ず、出張尋問になった。
母親は名言を残した。
「申し訳ありませんが、経済的な損害賠償は不可能です」
「息子を見放さず、できる範囲で支えていきたい」
さすがK母である。

加藤本人。初公判で一度だけ口を開いた。
「私にできるせめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」
以来だんまり。
が、
すでに、はいはいもう言わなくても分かってるよ格差でしょ派遣でしょ彼女いなくて人生崩壊でしょ的な空気になっていた。
どうせ極刑、と誰もが思っている。
もう一人の男
2010年5月、
政権交代で発言力を失っていたこの人が、

日本経団連会長を退任した。
ホワイトウォッシュ
7月29日、
加藤智大の被告人質問の日。
最後に裁きの場に引きずり出された罪人は予定調和的な懺悔をして、おごそかに断罪される、
……はずだった。

ここで加藤は、
「2年間、獄中で考え続けて思い至った」と、
ちゃぶ台をひっくり返した。
「6月5日のツナギ事件はきっかけじゃない。刑事や検察官が勝手に結びつけて調書をつくった」
「格差や派遣切りも動機じゃない」
「彼女がいないのが嫌だ、というのもネタ。本心じゃない、動機じゃない」
今までの話を覆し、シュールな動機を語り出した。
それは、
「本当の動機はケータイ掲示板の荒らしやなりすまし、無視した管理人に対して自分がこんな事件を起こすくらい嫌だと思ってたというアピール」
検察も裁判官もア然。
「えーと、なにそれ?」
そんな主張は情状酌量面からいっても逆に本人超不利なんだが、
弁護団でさえ「本人が“動機は掲示板のみ”にこだわるから(ーωー;)」と当惑気味で。

テロ説の人とネ申言ってた人、ビショ濡れ
さらに、「“秋葉原で人を殺します”は、本当に殺す意味なら殺傷します、と書くはず。本来の殺しますという意味ではなくて危害を加えるかもしれないかな、という程度の意味で、殺すという強いものではなくもしかしたら死ぬかもし(以下略)
なんと加藤智大は裁判を争うのだ。「本当の動機」をアピールできるまで。
最後の最後までKはKだった。
ママ
そんな具合だし、法廷ではまるで抜け殻、被害者や証人の言葉にもほぼ無反応、「やったのは確かだが記憶がない」「だったと思う」と、他人事のような加藤智大が、
二度だけ人間ぽい顔を見せた。
一度は、証人として出廷した元派遣の後輩くんが、「加藤萌え~」と落書きされた作業着についてふれたとき。
小さく含み笑い。
もう一度は、コウベママの証言のとき。

コウベママは証言の最後に、加藤に向けて怒りを滲ませて、
「あなたも頭で考えるんじゃなくて、体で働いて償ってほしい。あなたのやったことは許されることではありません。でも何かひとつだけでもいいことをしていってほしい!」
母親が子どもを叱りつける口調にもなんとなく似て。
ぐすん、ぐすん。
鼻をすする音がした。被告席から。

加藤智大の頬を、涙が伝った。



エピローグ

2010年6月8日、秋葉原。
早ければ7月にもホコ天復活という噂が流れていた。
2年目のこの日も、交差点には慰霊の花束。手を合わせる人々。
どこぞの記者が、
「あれから2年」的なテーマで、
ビラ配りのメイドに事件をどう思うか取材している。
10代のメイドは屈託なく、

「まだここにいなかったし、よく知らないです」
ホコ天の再開は、この夏も先送りとなった。
【終】
▼2011年1月24日追記▼
1月23日、午後1時。
2年7か月ぶりに秋葉原ホコ天が復活した。
何度も再開が前ぶれされながらそのたび無期延期になってきたものの、防犯カメラを増やしたり全長800mを570mに縮めたり警備員を増やしたり近くに消防車を常駐させたりってことで、千代田区と地元団体アキバ21と万世橋署の間でひとまずメドがついた。
待ちかねた若干のレイヤー含む10万人(とうわさ)が寒い中、喜んで中央通りの車道を歩いた。文字通りただひたすら車道を歩いた。なにしろ復活ホコ天ではパフォーマンスや即席撮影会は厳禁だからだ。でも警官ズラリだろうと規制が厳しかろうとみんなこうやって歩けるだけでもまずうれしいのだ。
現場となった三丁目交差点は以前とちがって完全にクルマ通行止めだ。
人混みのなか、交差点で花や折り鶴を供える人も多く。
もはや事件の語り部的存在と化した元タクシードライバー現介護士がマスコミの取材にこたえて伝道する姿もある。
6月26日までは仮復活で、仮ホコ天が当面つづく。
▼1月25日追記▼
長い長い裁判の末、加藤智大への論告求刑が1月25日に行われ、世間の予想どおり死刑が求刑された。
▼2月9日追記▼
意見陳述に立った加藤智大被告は、
「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています。以上です」
とだけ。
初公判で償いとして明らかにすると言った「どうして事件を起こしたか」は結局本人以外にはよくわかんないままだった。
弁護側は最終弁論で、
「人を殺すことが目的ではなかった」
「強いストレスで心神喪失か心神耗弱状態だった」
「更正の可能性は否定できず、考えさせ来るしみ抜かせることがふさわしい」
と、打つ手がないときのデフォそのものディテールまで予想どおりの極刑回避を訴えて。
長い長い第一審は終わった。
裁判員裁判でないので、裁判官による判決は、
3月24日に言い渡される。
▼4月2日追記▼
3月24日、
加藤智大被告に、求刑どおり死刑が言い渡された。
3月31日、
加藤被告の弁護団は、判決を不服として控訴した。
▼2013年4月27日追記▼
2012年9月12日、東京高裁は第一審の死刑判決を支持。被告加藤智大の控訴を棄却。
被告は最高裁に上告した。
▼2015年2月3日追記▼
「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」
事件から6年後、被告の弟は自殺した。
2015年2月2日、最高裁は上告を退け、死刑が確定した。
秋葉原を訪れる人々の多くは事件を知らず、目立つのは中国人旅行者だ。
*イザ!/秋葉原17人殺傷事件 法廷ライブ>
*2008年6月8日に秋葉原で発生した通り魔事件 まとめwiki>
*閾ペディアことのは>
*SCRAMBLE-8/加藤智大「秋葉原通り魔事件」>
*あなたの子どもを加害者にしないために>
*こころの散歩道 通り魔事件の犯罪心理学~池袋・下関駅・秋葉原~>
*秋葉原マップ>
*人を殺してみたかった―愛知県豊川市主婦殺人事件/藤井誠二 山田茂(双葉社)
なかでも異彩を放ったのが彼女の通夜、告別式。

会場は、寛永寺輪王殿、
雨の中、参列者は3時間の列。
そして宗教色を排した音楽葬。
先輩@彼氏や親しかった5人の藝大生の演奏、「ヘイ・ジュード」「G線上のアリア」、彼女の好きな曲で弔った。
社葬や著名人の葬儀場格の輪王殿、東京藝大の学長臨席、日比谷高校の校長も参列、三笠宮崇仁親王(客員名誉教授だからだが)の弔電、政府関連や大企業からも弔電(このへんは父親といとこおじラインで)、
21歳の一女子大生には破格の大葬になった。
マスコミは“視聴者ウケ”する彼女の悲劇ばかり追った。もちろん音楽葬も。
これがあるニッチな集団を刺激した。


「加藤は神」「格差社会の英雄」「加藤の乱」「勝ち組に一矢報いた」「我々のスケープゴートとなった聖人」

ネット上の“負け組なおれら”だ。
はじめ彼女は不運な「バイトの女の子」だった。でも報道でそのプロフィールが明らかになってくると、彼らの脳内で
負け組の聖戦士×勝ち組のお嬢様
の図がすぐできあがる。
たしかに誰もが死を悼む彼女に比べて、加藤はじつになんの価値もない人間のように見えた。
事実、そんなかんじで報道される。
それがますます“おれら”を刺激。
金持ち女め!勝ち組め!

おれたちの加藤が勝ち組に目にもの言わせてやったぞ!
“おれら”は本気にしろネタ(つまりまあ奥底で本気)にしろ掲示板やブログで加藤を讃える書込み、彼女の死を「勝ち組ざまぁwww」と嘲笑い、彼女を中傷、藝大生のブログまで荒らした。
参列者のこんな言葉も、

「負け組のくせに」と言ったとわざとか字が読めないのか曲解してののしった。大はしゃぎで。
もっともこの手のバッシングは週刊誌とかが「最近の若いもんは…異常」的に取り上げなければ、市井の人々は知りもしなかった。
世間様の感情はだいたいテレビ的価値観に沿った。だいたい。


「小女子は“こうなご”という魚のことで、小学生女子という意味じゃない。魚を焼いて食べると書いただけ」
「そういう言い訳がますます悪質。はい有罪」
「明日*時に**小学校の前で小女子を焼き殺します」「おいしくいただいちゃいます」と2ちゃんねるで“犯行予告”した被告無職@23歳。上みたいに主張したけど、まあもちろん認められず。
事件以来ネットの犯行予告激増え。
が、こちらのおイタは大人のルールで罰を受ける。
警察庁は「冗談でもネタでも逮捕」を厳命。事件から3か月でとッ捕まったのは66人。
ケータイ掲示板に「秋葉原で人を殺します」の犯行予告が更新されたのは事件23分前。事件発生までに何人もそれを事件前に見ていた。
が、この犯行予告が警察に知らされたのは、事件から5時間半も経ってから。だめじゃんぜんぜん。
このあと総務相が「犯行予告をサーチするソフトを開発する」「予算は数億円」と発表。
これを聞いたWebエンジニアがその翌日に「1人で、0億円、25分で」つくった予告.inをアップした。

予告.inにサーチされてどんどん逮捕者。
犯行予告は意外と重罪。ずいぶん破滅な目に遭う。>
2009年1月まで通報しますたされた犯行予告は2800件。逮捕・補導は82人。上は66歳から下は9歳まで。>



瀕死の被害者にカメラを向け、写メし、動画配信した人々。
直後映像をストリーミング配信した野次馬は、警官から「人の不幸を撮って楽しいか」と吐き捨てられた。
彼には何がいけないか分からなかった。起きたことをみんなに知らせたいだけなのに。

彼らはマスコミから現代の病巣呼ばわり(その病巣から画像を買い上げて報道したんだが)。さらにネット方面からも(しっかり閲覧してから)禿げ禿げしくバッシングされ。
TVリポーターの後ろでおどけてた連中も画像をばらまかれ、その顔がネットの海に漂っている。

マスコミといえば、

犯人逮捕(直後)の決定的瞬間を独占スクープした日テレ2人組はヒーローになった。
日テレ2人組は自局の番組に出演。巡査部長と加藤が路地で対峙してるとき、「銃使え」「足撃て足」とサポートした、と武勇伝を語った。
そんなの巡査部長には邪魔っけな野次馬のヤジだったろう。

そのうち日テレ2人組は、
「警官が警棒を落とし、その間に犯人が路地に逃げて、ここらで2人刺されて、また戻ってきて警官と二度目の対決」
と景気よく語った。
が、クリエイティブすぎた。
2人組のいう「ここらで刺された2人」とはコウベパパとヤイヅのことだろうが、
2人が路地のここらで倒れてたのは、そこで刺されたんじゃなくて刺されてそこまで逃げたからで。
日テレ2人組はそれを知らず。ってことは…まあ言うまでもなく。
けっきょく、日テレは番組内で、
「ほかにそういう目撃証言がないそうなんでご迷惑おかけしました」
妙ちくりんな言い回しで警視庁に謝罪。
「でもウソやねつ造ではない」とも主張。うやむやして終わった。
この日テレ騒動では多彩な陰謀論も飛び交った。


現場の三丁目交差点には献花が積まれた。飲み物食い物やグッズが続々と山に。
そのうちこれを「お下がり」と称して盗んでいく連中も現われた。
マスコミの取材班は献花の山をあさり、“悲しみを醸し出せそうな”ものを目立つようにして撮影した。

事件から1か月半。7月22日──
自称派遣社員菅野昭一@31歳。
100円ショップで文化包丁を買って八王子駅に向かった。
駅ビルの書店でバイトの女子大生@22歳を刺した。続いて女性客@21歳も刺した。女子大生が死亡。

前途有望な若い犠牲者と、親子して歪んでなんの価値もない犯人、という構図まで同じだった。

2年後の2010年6月22日、広島。

マツダ工場に乱入したファミリアが暴走。12人をはね、社員1人死亡。
元期間工引寺利明@42歳が逮捕された。

加藤以上にニート然な姿に「おれがいる」とショックの人多数
「マツダに恨み」と動機を語って、また「ネ申」扱いしようと“おれら”がはしゃぎかけたが、
ろくに出勤せずすぐ辞めた最近の期間工時代でなく、20年も前に下請けメーカーにいたとき仕事できなくて担当外された、というなんとも苔むした恨みだった。
引寺は事件のあと、知り合いに電話して誇らしげに、
「わしは秋葉原超えた」



この年は、土浦通り魔@死刑になりたい、大阪個室ビデオ店放火殺人@生きてくのが嫌、岡山駅ホーム突き落とし殺人@刑務所に行きたい、元厚生事務次官夫婦連続殺傷@年金テロと思いきやワンコの敵討ち#34年前、と“理由なきor理由ヘン”系殺人が続けざまに起きた。

加藤智大の年齢に「またやった」的な声がちらほらった。
「また」?


母親も愚痴っていたように、加藤智大は酒鬼薔薇聖斗(14)とタメだ。
さらに西鉄バスジャックのネオむぎ茶(17)、豊川市主婦殺人の高校生「人を殺してみたかった」君(17)とも同い年。
この学年は「キレる17歳」「サカキバラ世代」と延々といわれつづける。
まともなほかの同い年組は立つ瀬がなくてキレそうだ。

ここまでが事件の醜悪な顔とすると、善き顔もある。

負傷者の第一次救命にがんばった通りすがりの人々。
被害者にB型肝炎のキャリアがいて、血にふれた人は全員検査、という余波もあったが。
この69人には、のち警察から感謝状が贈られた。


事件時の救命救急も尾を引く問題となった。
野次馬の出歯亀的動画や居合わせた人々の証言で、混沌の現場が生々しく知れ渡ったからだ。
とくにやり玉に挙げられたのがトリアージ。

「搬送に1時間近くかかった」「黒→赤、黄→赤とタグの付け間違いがあった2人が死亡した」「トリアージから漏れた被害者の方が早く病院に運ばれた」などが突っ込まれ、

「17人でトリアージは必要だったのか」「トリアージのせいで救える命が救えなかったのでは」なんて批判報道さえされた。
まるで全元凶がトリアージにあるかのごとく。
医者や救命医、救急同士でさえ基準や認識が食い違った。そろえてないのかよ基準。
ネット界での医療関係者と一般人の論争は不毛なののしり合い化。> >
東京消防庁は検証を行い、
「トリアージは適切に行われ、成功した」
詳しい検証情報は非公開。

東京メディカルコントロール協議会は、
「トリアージは必要」「死亡した7人は、早く運んでも助けられなかった」「ただし連絡通信はもう少し改善望む」と発表した。

加藤智大の職場だった関東自動車工業、人材派遣会社日研総業、トラックを貸したニッポンレンタカーが謝罪文を発表した。
6月29日、関東自動車工業東富士工場で派遣切りが始まった。予定どおり。


秋葉原のホコ天は、事件翌週から無期限中止となった。

秋葉原では警官増員、パトカー常駐、制服私服が巡回、職質も増えた。


「ダガーナイフ」はじめ刀剣類の規制が強化。警察は所有者に自主的な提出をうながした。

だけでなく↑短剣型ゲームコントローラーや「ダガー」という言葉まで自粛する毎度の流れになった。


2008年9月、リーマンショック。
大手メーカーで盛大に派遣切りが執行された。


被害者たち。遺族たち。
杖と車椅子の生活になった人、後遺症に悩まされる人、PTSDで外出もままならなくなった人、職を失った人、周囲の誹謗中傷に苦しんだ人。
遺族もまたさまざま。自分の使命のように取材で語る遺族。一切沈黙の遺族。

目撃者たち。
惨事トラウマになったり虚無感で人間関係が壊れた人々。
彼らは二度と秋葉原を訪れなかった。

拘置所の加藤智大。

会うのは弁護士だけ。面会も手紙も拒んだ。
でもその一方で遺族や被害者、自分を捕まえた巡査部長に計18通の謝罪の手紙を送った。ただしぜんぶ同じ文面で。

受け取り拒否の人も、読んで憎悪増の人も、まだ読めない人もいる。
そんな中、加藤に返事を書いた被害者が2人だけ。


タクシードライバーとテニスさんだ。
2人とも軽いケガじゃなかった。死にかけた。

タクシードライバー。肺と横隔膜と肝臓に傷。3日間も意識不明。九死に一生。が、全治半年。職も失って元タクシードライバーになった。

元タクシードライバーは「なぜ彼がこんなことをしたのか、知りたい」と、ヘルパー資格とって就職活動しつつ、月命日には秋葉原で花を供え、人々と対話の場を設けている。

テニスさん。現場でほかの人の心配ばかりしてたが、じつは本人かなり危なかった。背中まで刃が貫通。腎臓を摘出。腸も傷ついていた。
全治3カ月。さいわい職場に復帰、元の生活に戻れた。
このテニスさんの立ち位置はややほかと違った。
加藤の手紙を「言い訳ばかり」とバッサリしつつ、
「被告には被害者のことをもっと知ってほしい」
「事件のことは忘れたくない。亡くなってしまってもう語れない人のためにも、覚えていたい」
と証言でこたえ、裁判も毎回傍聴している。


警察官たち。
警部補

一時心停止になるほどの重体だった。ようやく職務に復帰。後遺症で当時の記憶は薄れ気味だ。
女子巡査

交通課から異動して、
殺人、強盗など凶悪犯罪相手の刑事課強行犯係に配属。
巡査部長@秋葉原交番

加藤と単身戦った最大の殊勲者はやはりストイック。
あの日、巡査部長は家族に「遅くなる」とだけ電話した。なんも知らない家族はニュースで「お父さんと犯人の対決」を観て仰天することになった。
妻は「無事でよかった」、子どもたちも「お父さんかっこよかったよ」とねぎらった。なんだか一家そろってかっこいい。
巡査部長と蔵前署巡査長は警察庁長官賞詞と警視総監賞詞を受けた。
(これにもネット方面の警察嫌いクンたちが「警察が犯人捕まえるのは当然。どうして誉めるの?」と文句つけた)
そして巡査部長は、今も巡査部長だ。
今日も華々しい出世とは遠く、地道に“お巡りさん”を続ける。


2008年秋、
リーマンショックのあおりで、イベント大手本多芸能スポーツサービスが倒産した。
彼女の内定してた会社だった。

東京藝大では、
「娘の遺志を継ぐ学生を応援したい」という遺族の思いから、
若い音楽家を支援する奨学金がスタートした。
父親の勤務先系列が労組も加わって全社的に基金に参加。
“負け組のおれら”はぶつぶつケチをつけた。
「音楽やってる奴らなんて金持ちだろ。その金を派遣切りの奴らにやれよ」

2009年秋、民主党政権の事業仕分けが大々的に開催された。
彼女が音楽家とともに全国を回った財団法人「地域創造」も仕分け対象になった。
#地方のハコモノに利用実績つけるためのお手盛り事業、#天下りの温床、#官僚とクラシック界の癒着、があらわにされた。

悲しいながら音楽界の現実。
彼女が強く願い、目指し続けた「音楽を人々の身近に」の道はいまだ遠く。いやむしろ閉ざされていく。

この事件は万華鏡かよというくらいくるくるくる顔を変え続ける。
最初はお約束のコレ。場所もアキバだし。叩きやすいし。
▼

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それがだんだんだんだん、

▼
こっちが主流に、

“負け組のテロ”の顔が台頭。
▼


非正規雇用や格差社会の問題が、皮肉にも事件でクローズアップ。
加藤自身のドロップアウト気質を指摘する声は華麗なまでにスルーされつつ。
▼
▼
ところが、
加藤智大本人がまた物語をひっくり返す。


2010年1月28日、
ようやく加藤智大の裁判が始まった。
起訴時期が早かったんで裁判員裁判でなく。

弁護団が検察の用意した証人の供述書を不同意。おかげで被害者や目撃者、関係者が総勢40人以上も呼ばれる巨大裁判化。弁護団に怒り剥き出しの遺族もいた。

加藤の両親は青森から出ず、出張尋問になった。
母親は名言を残した。
「申し訳ありませんが、経済的な損害賠償は不可能です」
「息子を見放さず、できる範囲で支えていきたい」
さすがK母である。

加藤本人。初公判で一度だけ口を開いた。
「私にできるせめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」
以来だんまり。
が、
すでに、はいはいもう言わなくても分かってるよ格差でしょ派遣でしょ彼女いなくて人生崩壊でしょ的な空気になっていた。
どうせ極刑、と誰もが思っている。

2010年5月、
政権交代で発言力を失っていたこの人が、

日本経団連会長を退任した。

7月29日、
加藤智大の被告人質問の日。
最後に裁きの場に引きずり出された罪人は予定調和的な懺悔をして、おごそかに断罪される、
……はずだった。

ここで加藤は、
「2年間、獄中で考え続けて思い至った」と、
ちゃぶ台をひっくり返した。
「6月5日のツナギ事件はきっかけじゃない。刑事や検察官が勝手に結びつけて調書をつくった」
「格差や派遣切りも動機じゃない」
「彼女がいないのが嫌だ、というのもネタ。本心じゃない、動機じゃない」
今までの話を覆し、シュールな動機を語り出した。
それは、
「本当の動機はケータイ掲示板の荒らしやなりすまし、無視した管理人に対して自分がこんな事件を起こすくらい嫌だと思ってたというアピール」
検察も裁判官もア然。
「えーと、なにそれ?」
そんな主張は情状酌量面からいっても逆に本人超不利なんだが、
弁護団でさえ「本人が“動機は掲示板のみ”にこだわるから(ーωー;)」と当惑気味で。

テロ説の人とネ申言ってた人、ビショ濡れ
さらに、「“秋葉原で人を殺します”は、本当に殺す意味なら殺傷します、と書くはず。本来の殺しますという意味ではなくて危害を加えるかもしれないかな、という程度の意味で、殺すという強いものではなくもしかしたら死ぬかもし(以下略)
なんと加藤智大は裁判を争うのだ。「本当の動機」をアピールできるまで。
最後の最後までKはKだった。

そんな具合だし、法廷ではまるで抜け殻、被害者や証人の言葉にもほぼ無反応、「やったのは確かだが記憶がない」「だったと思う」と、他人事のような加藤智大が、
二度だけ人間ぽい顔を見せた。
一度は、証人として出廷した元派遣の後輩くんが、「加藤萌え~」と落書きされた作業着についてふれたとき。
小さく含み笑い。
もう一度は、コウベママの証言のとき。

コウベママは証言の最後に、加藤に向けて怒りを滲ませて、
「あなたも頭で考えるんじゃなくて、体で働いて償ってほしい。あなたのやったことは許されることではありません。でも何かひとつだけでもいいことをしていってほしい!」
母親が子どもを叱りつける口調にもなんとなく似て。
ぐすん、ぐすん。
鼻をすする音がした。被告席から。

加藤智大の頬を、涙が伝った。



エピローグ


2010年6月8日、秋葉原。
早ければ7月にもホコ天復活という噂が流れていた。
2年目のこの日も、交差点には慰霊の花束。手を合わせる人々。
どこぞの記者が、
「あれから2年」的なテーマで、
ビラ配りのメイドに事件をどう思うか取材している。
10代のメイドは屈託なく、

「まだここにいなかったし、よく知らないです」
ホコ天の再開は、この夏も先送りとなった。
【終】
▼2011年1月24日追記▼
1月23日、午後1時。
2年7か月ぶりに秋葉原ホコ天が復活した。
何度も再開が前ぶれされながらそのたび無期延期になってきたものの、防犯カメラを増やしたり全長800mを570mに縮めたり警備員を増やしたり近くに消防車を常駐させたりってことで、千代田区と地元団体アキバ21と万世橋署の間でひとまずメドがついた。
待ちかねた若干のレイヤー含む10万人(とうわさ)が寒い中、喜んで中央通りの車道を歩いた。文字通りただひたすら車道を歩いた。なにしろ復活ホコ天ではパフォーマンスや即席撮影会は厳禁だからだ。でも警官ズラリだろうと規制が厳しかろうとみんなこうやって歩けるだけでもまずうれしいのだ。
現場となった三丁目交差点は以前とちがって完全にクルマ通行止めだ。
人混みのなか、交差点で花や折り鶴を供える人も多く。
もはや事件の語り部的存在と化した元タクシードライバー現介護士がマスコミの取材にこたえて伝道する姿もある。
6月26日までは仮復活で、仮ホコ天が当面つづく。
▼1月25日追記▼
長い長い裁判の末、加藤智大への論告求刑が1月25日に行われ、世間の予想どおり死刑が求刑された。
▼2月9日追記▼
意見陳述に立った加藤智大被告は、
「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています。以上です」
とだけ。
初公判で償いとして明らかにすると言った「どうして事件を起こしたか」は結局本人以外にはよくわかんないままだった。
弁護側は最終弁論で、
「人を殺すことが目的ではなかった」
「強いストレスで心神喪失か心神耗弱状態だった」
「更正の可能性は否定できず、考えさせ来るしみ抜かせることがふさわしい」
と、打つ手がないときのデフォそのものディテールまで予想どおりの極刑回避を訴えて。
長い長い第一審は終わった。
裁判員裁判でないので、裁判官による判決は、
3月24日に言い渡される。
▼4月2日追記▼
3月24日、
加藤智大被告に、求刑どおり死刑が言い渡された。
3月31日、
加藤被告の弁護団は、判決を不服として控訴した。
▼2013年4月27日追記▼
2012年9月12日、東京高裁は第一審の死刑判決を支持。被告加藤智大の控訴を棄却。
被告は最高裁に上告した。
▼2015年2月3日追記▼
「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」
事件から6年後、被告の弟は自殺した。
2015年2月2日、最高裁は上告を退け、死刑が確定した。
秋葉原を訪れる人々の多くは事件を知らず、目立つのは中国人旅行者だ。
*イザ!/秋葉原17人殺傷事件 法廷ライブ>
*2008年6月8日に秋葉原で発生した通り魔事件 まとめwiki>
*閾ペディアことのは>
*SCRAMBLE-8/加藤智大「秋葉原通り魔事件」>
*あなたの子どもを加害者にしないために>
*こころの散歩道 通り魔事件の犯罪心理学~池袋・下関駅・秋葉原~>
*秋葉原マップ>
*人を殺してみたかった―愛知県豊川市主婦殺人事件/藤井誠二 山田茂(双葉社)
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