「彼らは
GHQのなかであなた方の
特高に似た部隊ですね。
何人か下働きの
日本人も混じっていたようですけど」
「あなたの
捜査の一部が、敏感なところをかすめていったので、脅してやめさせようと思ったんでしょう。なにかいいとこ見せようと焦ってるんですよあそこのボスが」
「
キャノンとか言ってたやつか」
「でも痛い目に遭わせるくらいで命まで奪うつもりはなかったと思いますよ。
彼らは
人を殺す権限まで与えられてませんし。
軍人は与えられた任務以外の行動は固く禁じられてますから。皆さんの思うより
軍隊ってそのへん窮屈で融通きかないので」
「ますますあんたがただの
通訳や
秘書とは思えねえな。
そういう剣呑な連中をへらへら喋るだけでびびらせてただろ」
「私はそんな偉い人ではないですよ。ただどこを押したら車輪が回るか、
人よりちょっと多めに知ってるだけです」
「そういうあんたが、
下山事件にいろいろ首突っ込んできてる。
あいつらに
ニイタカがおさめる、とか啖呵も切ってた。ありゃどういう意味だ」
「その言葉のとおりですよ、
おさめるつもりです」
「どうするって言うんだそりゃ。あ、前にたしか、俺を
一番の敵だのぬかしてたよな」
「今回はあなたにとても大きな借りができましたね、
ディテクティブハチベエ」
「ま、あんたのおかげで俺も助かったし、これでチャラだ」
「
チャラ?」
「お互いに借りつくったから差し引き貸し借りなしで一から始めようぜってこった」
「なるほど、
チャラ、勉強になります」
「このメモを裏書きの場所に届けてください。然るべき所に渡って対応してくれます」
「
結び文かよ。あんた外国育ちのくせになぜか和式のもんに器用だな。こんなもん今どきの
日本の女にゃできねえぞ。
じゃ、そこらで遊んでるガキを小銭とアメ玉で釣ってやらせよう」
「これで少し時間ができました。チャラのついでに質問してもいいですか」
「なんだ」
「あなたがなぜ
帝銀事件の
犯人を
平沢貞通と確信しているのか、聞かせてください」
「またそれか。どうせ
捜査報告も読んでるんだろ、それ以外言うことなんてねえよ」
「いいえ、
公文書に記されていないことを知りたいのです」

「
ディテクティブハチベエ、あなた自身が目にしたこと、
そして、信じたことを」
1948年 昭和23年
1月26日下山事件の
1年半前──
東京都豊島区長崎町帝國銀行椎名町支店
東京大空襲の爪跡深い焼け野っ原。
銀行といっても質屋の木造家屋を借り上げた仮店舗。

曇天。みぞれ上がりの道はぬかるんでいて。
「
都衛生課の者だが」
午後4時──
「あら」
「人が」
「あ、あのう、どうされま──」



「あっ、だ、
大丈夫ですか!」
「……
男が、……
薬を」
村田正子「……みんな、
倒れ、助けて」


帝銀事件の背景と経過、警視庁による捜査は公開された情報にもとづく。
平塚八兵衛はじめ黒字・紫字・赤字はすべて実在の人物だが、
一部の会話や行動はちっとばかし変えている。
彼らの属する国家、官公庁、組織団体もすべて実在する。
またニイタカ・ヤヨイ-カトリーヌは、架空の人物であり、
実在する人物との関わりはすべて創造全開、ソースは妄想である。
帝銀椎名町支店の怪事件
全行員に毒薬を盛る
十一名死亡、犯人はすぐ逃走
戦慄の銀行ギャング?
12名毒殺、5名瀕死
昨夕、帝銀椎名町支店の兇行死亡渡辺義康@
44歳 白井正一@
29歳 西村英彦@
39歳竹内捨次郎@
49歳 沢田芳夫@
22歳(
重体のち
死亡)
内田琇子@
23歳 秋山みや子@
23歳 加藤照子@
給仕@
16歳滝沢辰雄@
小使@
44歳(
重体のち
死亡) 同
りう@
49歳同
タカ子@
19歳 同
吉弘@
8歳重症吉田武次郎支店長代理@
44歳 田中徳和@
20歳村田正子@
22歳 阿久沢洋子@
19歳小使滝沢夫婦の娘
タカ子はふだん郷里で暮らしてたんだが、
このときちょうど両親に会いに来ていて巻き添えという不運。
死者12人 重症4人 ──女子供まで皆殺し上等の
大量毒殺。あまりに
死人が多く、
東大と
慶大の
法医学教室が分担して
法医解剖。このときも
東大古畑と
慶大中館でやっぱり微妙に違う
鑑定結果が出て、モメるんであるが。
最初は
食中毒と思われ、住民も救護に入り込んで現場が荒らされ、
>
帝銀本店が照会集計しに来てやっと、窓口にあった
16万3410円@
百円紙幣1600枚余と
小切手1枚(額面
1万7450円)が無い、と分かったのが翌
27日午後、>各
銀行へ盗難小切手の手配が回ったのがさらに1日おいて翌々
28日。そうやってのんびりやってるからとうぜん手遅れで、
翌日
27日午後、奪われた
小切手が
安田銀行板橋支店でとっくに換金されていた。
換金に来た
「土建屋風の男」は
小切手の知識があまりないのか、
「裏書きの住所がありませんよ」
言われて
男がその場で書き込んだ
板橋の住所はでたらめだった。
これで計
18万とんで
860円が
強奪されたことになる。
貨幣価値がめまぐるしく変わる
戦後インフレ期なんで幅あるけども、
平成の世だと
×100といったとこ。
ただし
小切手は
事件直後になだれ込んだ一般人がちょろまかした可能性も捨てきれず。
という一方で、なぜか、
すぐ近くの机に置いてあった計
44万円、金庫代わりの
土蔵@
無施錠に入っていた
35万円、小切手類もあわせると計
85万円余。
こっちは手つかずのまま。不可解なことに。
一命を取り留め入院中の
4人>
支店長代理吉田武次郎 行員田中徳和 同
村田正子 同
阿久沢洋子によると、
窓口業務が終わってまもなく、
午後3時すぎ──
「
都衛生課の者だが、
支店長は?」
「
消毒班長」の
腕章
「東京都衛生課並厚生省技官厚生部醫員 醫學博士」の
名刺
「この近く
長崎2丁目の
相田方前の井戸を使う者から
4名の
集団赤痢が発生した。
調べたところ、そのうち1人がこの
支店に来ていたと分かった。
もうすぐ
GHQの
ホートク中尉の
消毒班が来るが、
その前に
予防薬を飲んでもらうため一足早く派遣されてきました」
「
GHQの強い
薬なので、歯にふれると
ホウロウ質を傷める」
「飲みかたを教えるから同じように飲んでください」
「
薬は
2種類ある、
最初の薬を飲んで──」
「──
1分後に
つぎの薬を飲むように」


いつのまにか
男はいなくなっていて──
男の
名刺、
男が使った
湯飲み茶碗も見つからず。
名刺を見たはずの
支店長代理吉田は、
名刺にあった
名前を覚えていなかった。
なんで言いなりに
毒を飲まされてんだよこんなんメッチャ怪しいじゃんか
──というのが
平成ニッポン的な感覚だろうけども、
このころの
日本、
衛生環境いとわろしで、
近所軒並み
コレラだ
赤痢だ、
GHQの
消毒班出動ゴー!は日常茶飯事、
シラミ予防の
DDTぶっかけで頭真っ白けーの子どもたちも各地で見られた光景。
なので、もっともらしい話が「
GHQ」という言葉の神通力とともに鵜呑みにされても不思議じゃなかったんである。
「
男の告げた
ホートク中尉が
防疫班にいるかどうか、
GHQに照会中です」
「また近所に
相田という家がじっさいにあり、しかもこの日、
赤痢ではありませんが
チフスの疑いで家人が入院隔離、
GHQの
防疫係や
豊島区の
衛生係も出向いています。結果は
大腸カタルでしたが」
ということから、
GHQの
防疫部門の内情に詳しい者?
生存者の供述と、
法医解剖の結果をみてみると、
第1薬>
犠牲者の胃内を調べ、
>「なんらかの
青酸化合物だが、
青酸カリではないような…よくわからん」
第2薬>湯飲み茶碗を調べ、
>「ただの
水」
>ただし、
食中毒と誤解して救護に入った一般市民が洗った可能性もあり。
犯人も
被害者たちと同じ
薬瓶から注いだ
第1薬を飲んだのになぜ平気だったか?
「
薬瓶の上層は
透明で澄んでいて、下層は
白濁していた」
「
ガソリン臭がちょっとした」
瓶内の液体が比重の違いから上下に分離していた。透明な上層はおそらく
油分。犯人が飲んで見せたのは上層の
油分だけなので効かなかった、のでは?
比重の軽い
油でフタをして
青酸化合物が空気と反応>劣化するのを防ぐ、
旧
日本軍で使われていた手法です。
さらに各
金融機関に手配をかけた結果、
>
帝銀事件以前におきた
激似の
未遂事件2件が判明。
前年
1947年 昭和22年
10月14日
品川区平塚
安田銀行荏原支店
「厚生技官 醫學博士 松井蔚 厚生省豫防局」の
名刺を差し出し、
「近所で
集団赤痢が…」
「
GHQの
パーカー中尉と一緒に
ジープで来て調べた結果…」
「この
銀行の
オールメンバー、
オールルーム、
オールキャッシュ、
または
オールマネーを
消毒しなければならない」
そんな話聞いてないんで、
支店長が念のため
交番に
小使を走らせて確認、
制服警官が自転車で辺りを回ってからやって来て、「そんな様子はなかったが」
が、
「松井蔚」は慌てもせず平然と応じて、
「
警察がそんなことでは困る。もう一度確かめてきなさい」
GHQ関係者に
巡査ごときじゃ逆らえないんで言うなりに引き返していく。
大胆な
犯人で、
巡査を追い返したあと悠々と
行員たちに
薬を飲ませた。
そこまでは
帝銀事件とほとんど同じ手口。
だが、このときは
誰も倒れず、
何も起こらず。
「
消毒班が来るのが遅い。様子を見てくる」
それっきり。さらに年が明けて、
1948年 昭和23年
1月19日
新宿区下落合
三菱銀行中井支店
「厚生省技官 醫學博士 山口二郎 兼東京都防疫課」の
名刺「
下落合の
井華鉱業の寮で
集団赤痢が出て、そこの
大谷という人が今日ここに預金に来たと分かった。
銀行の人、現金、帳簿、各部屋をぜんぶ
消毒しなければならない」
「
大谷という名前の
小為替はありますが、その会社とは違いますね」
「これかもしれない」
「しかしこの1枚のことでそこまでされては困ります」
支店長がしぶると
「山口二郎」はそれ以上無理押しせず、
その
為替の表裏に
消毒液?をふりかけただけで立ち去った。
とくに実害もなかったから
2件とも
警察には通報されず。
安田・
三菱──
2件ともほとんど同じ手口。
そして、
三菱銀行の
未遂からわずか
1週間後──やはり同じ手口によって、
帝銀椎名町支店の
惨劇が起きたのだった。
ピペットの玄人っぽい扱いかた、「
ホウロウ質」など専門用語の使用、
>「
器具や
毒物の知識から
化学、毒物の専門家ではないか」
警官に顔を見られてからも
毒を飲ませようとする無謀なまでの
図太さ、幼い子どもが居合わせても平気で
毒を飲ます
冷血さ、
>「
20人もの
被害者を騙して
毒を飲ませる
慣れた手口、苦しむ
被害者たちの横で現金を物色し、証拠を持ち去る
冷静沈着さからして、
軍人・特務機関員ではないか」
藤田次郎刑事部長 2月7日付
捜査要綱「次のものから更に似より人相者を物色すること。
医師、歯科医師、薬剤師、各種医学・化学・薬学研究所員、帰還将兵中の
医療の心得のあるもの」
まもなく捜査線上に浮かんだのが、
「関東軍防疫給水部本部」こと、

通称
「満州第七三一部隊」
本部長、>
石井四郎陸軍軍医中将医学者や
医師ぞろぞろ
理系エリート集団。任務はその名の通り、
満州国および
支那各地の
防疫給水、
伝染病風土病対策。いかに清潔な飲み水を供給できるかは、この当時の死活問題で。
が、
その裏で
細菌戦の研究開発に取り組み、
ペスト、炭疽菌、チフス、コレラ、赤痢菌、梅毒──支那人、ロシア人、アメリカ人はじめ多様な国々の
捕虜3000人以上に
人体実験、さらに
実戦でも
細菌兵器をばらまいたり、
悪魔の所業、
医学者の
極悪外道、
戦争犯罪の
極北と、
いわれている。なんで断言してないかというと、それは、またのちの話。
部隊長石井は
終戦間際、
ソ連が
中立条約を破棄して
満州侵攻をはじめると、施設や証拠を全て破壊焼却したうえ、マッハの逃げ足で帰国、
戦犯訴追をおそれまくり、故郷で
ニセ葬式までやって死んだふりで逃げ隠れしまくりだったが、
けっきょく
戦犯はまぬがれ。たださすがに
医学界にも戻れず、
新宿で
米将校相手の
連れ込み旅館つまり
売春宿を経営、地味にひそーと暮らしていた。
警視庁に呼び出された
石井は、
「これはかつての私の
部下かもしれない。だが
部下を売ることはできない」
斎藤昇警視総監が動き、
石井に
警視庁嘱託の辞令まで出して協力要請、
石井に
隊員名簿を提出させた。
3月22日付
捜査要綱「
薬学、または
理化学系学歴、知識、技能、経験のある者」
「
軍関係
薬品取り扱い、
特殊学校、同
研究所、およびこれに付属する
教導隊、または
防疫給水部、もしくは
憲兵、
特務機関に従属の経歴を有する者(主として
将校級)」
そういうのは
七三一部隊だけでなく、
その上部機関
陸軍軍医学校防疫研究室、登戸研究所@陸軍第九化学兵器研究所、関東軍軍馬防疫廠@百部隊、北京・南京・広東・シンガポールの各
防疫給水部と、
BC兵器研究をしていた旧
軍部隊は多種多様で。その関係者は膨大な数に。
「なお、
未遂事件で使われた
名刺ですが、
山口二郎という
技官は
厚生省には存在せず、正しくは
厚生技官のところ
厚生省技官となっているなど、
ニセものと分かりました。
銀座の
露天商から通報があり、
1月17日に
『紳士風の男』から
『山口』名刺の印刷を注文され、翌
18日に引き渡した、とのことです。
三菱銀行中井支店で
山口名刺が使われたのは、その翌日
19日であります。
もう1枚の
名刺の
松井蔚という
医学博士は実在し──」
まもなく
3月だったか、
警察が
自治体警察と
国家地方警察の2本立てに変わった。
東京だと
警視庁が
23区で、
八王子やら
青梅やら
立川やらが
市警って枠で独立して、
それ以外の
東京圏は
国警が面倒みることになった。
で、
帝銀事件が起きたとき
警視総監だった
斎藤さんが
国警の
長官に移って、代わりに
東京都経済局長から
総監になったのがいまの
田中さんだ。
警察が2本立てになって何が変わったって、上はどうか知らんが、正直よくわかんねえんだよな。汗かいて靴をはきつぶして這いずり回るのは同じだ。
さて、おれは
地取り班だったんだが、
事件の前後に
長崎町、平塚、下落合界隈、
最寄り駅まで回っても、ちっとも手応えがねえのさ。
だいたい、まだ焼け野っ原でバラックみたいな家がちらほらしかなくて、
聞き込み先なんてすぐ尽きちまったんだ。
おれは内緒で
地取りをさぼって、勝手に
特務機関の線を嗅いでみた。
銀座に元
特務機関員がいてな。
外地じゃ大した羽振り、いまも
顔役だ。
その
顔役の事務所を訪ねて単刀直入に聞いたんだ。
「
大陸でやって来たことを蒸し返されたくないから言うんじゃない、
捜査には協力しよう。しかしね──」
「
銀行員は仕事柄ひとを見る目が肥えている。そういう彼らがそろって
医学博士とだまされたんだから、じっさい
医学博士のように見える風体や振る舞いだったんだろう。
だが
特務機関は
内地で食いつぶしたようなすさんだ連中ばかりでね、
とうてい
医学博士と名乗って通用するような者はいない」
特務機関の線はない、とおれは確信した。
正体不明の毒物?
陸軍の
秘密研究所?
鑑定だって結局なんの
毒かわかってねえんだろ。そんなあやふやなもんアテになるか。
目白署署長官舎「帝國銀行職員殺人事件」捜査会議「なんだとこのヤロー!」
「やる気があるから言ったんだろうがよ!」
「あんたが
忌憚のない意見を言えっていうから
言ったまでだ!それを怒るなんてバカな話があるかい!」
「
なーにが係長だ警部だ! 唐変木め!」
「
名刺班にわざわさ移ってくるとはご苦労さん。
2号部屋(
殺人係)から
タタキ(
強盗係)じゃ
降格だな。
捜査会議で上司にケンカ売ったんだって?」
「あっちがおかしいんです。ブツは
名刺しかねえってのに、
特務機関だの
研究所だの、フワフワした霞みたいなもんばかり追っかけやがって」
「へえ、そんじゃ、うちの
主任とウマが合うかもな」
居木井為五郎@警部補@名刺捜査班長
「ははは、
名刺班は島流しだぞ。
本部じゃ鼻くそ扱いだからな」
未遂事件のうち
安田銀行で
ホシが残していった
名刺「
厚生技官 医学博士 松井蔚」は実在、
名刺も本物だった。
松井博士はいま
仙台在住、
南方で
衛生防疫部門の責任者だったこともある。
ってことで初めのうち
参考人として厳しく取り調べられたが、
博士には鉄板の
アリバイがあってな。
それっきり
捜査本部は
名刺の線に興味を失った。
名刺班を引き継いだおれ以外はな。
「おれはこの
名刺こそ手がかりだと思ってるんだ、
本部からは相手にされないがね」
ふつうなら
役人の
名刺なんてそれこそ追跡できないほどばらまかれてる。
しかし、この
名刺はちっとばかし特殊なんだ。
松井博士に支給された官製の
名刺は字が「
尉」でな。
役所の発注してた
印刷所に
草冠のある
「蔚」の活字がなかったらしい。
松井博士は
草冠付きの
「蔚」名刺を
宮城県庁地下の
印刷所で
100枚刷らせた。
やはり
「蔚」の活字は無く、「
尉」と「
艹」の活字2つ組み合わせて印刷。
官製の「
尉」と自前の
「蔚」名刺の両方を使い分けていた。
博士の手元には交換相手の
名刺が
128枚あった。「
尉」
名刺の分も混じったらしい。
で、まだ配られず
松井博士の手元に残ってた
「蔚」名刺は
8枚。つまり人手に渡った
「蔚」名刺は
92枚。
「この
92枚のうち
1枚が、
安田銀行の
未遂事件で使われたのだ」
──5月下旬 帝銀事件から
5か月目「
いい知らせと
悪い知らせがある。
まず
いい知らせだ。
上の許可が出た。我ら
名刺班は
松井名刺の交換相手
128人を総当たり、
『蔚』名刺を回収、「
尉」名刺か否かも確かめること。
ホシは絶対に
名刺を持っていない。今それは
警察の手にあるんだからな」
「
松井博士は几帳面な性格で、
草冠の
『蔚』名刺を交換した
日時や
場所、相手の
名前までいちいちメモっていた。しかし、
博士は仕事柄、あちこちの
県を回っていてな、
相手も当然
各県に散らばっている。
名刺班で
全国行脚だ」
「うえー」
「つぎに
悪い知らせだが──」
「え、いまの
全国行脚ってくだりが
悪い知らせじゃないんですか」
「なに言ってる、ここからが
悪い知らせだ。
宿にメシはない。米やら味噌やら持参しないと泊めてもらえん。そして
名刺班にはそんな予算がないのだ、あはははは」
「…………」
あの頃は今よりひでえ
物資不足でなあ。
旅館に泊まるにも、
米や
味噌持参じゃねえと追い返されたくらいだ。
名刺班といっても、
班長の
居木井さんとおれ、
飯田さんと
福士くんの実質
よったりだけだった。
ヨッタリ?
あー
4人だ、
4人。おれの在の訛りだ。
松井博士が
『蔚』名刺をつくったのは
昭和22年3月、
松井博士は
陛下御巡幸の下見を仰せつかり、
北海道と
東北6県を回ってたから、
『蔚』名刺もそこで多く配られていた。
おれと
飯田さんが
東北、
居久井さんと
福士くんが
北海道を回った。
これが大変で、交通事情も悪いし、ひととおり回るのにまるまる
1か月かかった。
毎日が移動また移動だから、
洗濯だって自前だ。
列車乗ってる間に
窓で干したりしてな。
「
ああッ、おれのステテコがーっ」
──その結果、
津々浦々で回収できた
「蔚」名刺>
62枚、回収できなかったうち
事件と無関係と分かったのが>
22枚、 >紛失か廃棄で現物が失せ、
「蔚」か「
尉」か定かでないもの>
14枚。そのうち、
ある1枚が──
「あーこれ、
平沢大……えーとなんて読むんだこりゃ?
日へんに
章って」
「あーそれは
雅号だ。
画家先生だよ、
小樽の」
平沢大暲(たいしょう)こと
平沢貞通(さだみち)だった。
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