【事件激情】ウルトラ : 13機目【帝銀事件】









「どうだ、調子は」

「お尻が、非常に痛いです」
「もうちっとズレて腸や動脈いってたらやばかったんだぞ。ケツで運よかったんだ」

「寝巻きや布団がちょっとばかし男臭えのは、この家に住んでる金井って野郎が独り身で男所帯だからだ、まあ我慢してくれ」

「あんたのメガネな、折れてたんで継いでみた。
不格好だが応急ってことで勘弁してくれや」

「ありがとうございます。おー糸と楊枝で。努力は認めて差し上げましょう」
「なんで上から目線なんだ」

「で、着るもんどうする。服は血だらけだし、手術のとき切っちまったからな。カミさんのあてがっとけと思ったが、そういやあんたと背の高さが違いすぎら」
「ずっと看病してくださったんですね」
「しゃーねーだろ。病院も警察もMPもダメだっつうから。あいにくおれんちは長屋なんでな。あんたみたいなの連れ込んだらすぐ向こう三軒両隣に知れわたっちまう」

「奥様はよいのですか、夫がほかの女と一夜を共にして」
「誤解を招く言い方すんな。ま、カミさんもガキも田舎の土浦に疎開してるよ」
「ソカイ? 空襲はもう無いのに?」

「ついでにモノも無いからな。あっちならまだ食い物には苦労しねえし」

「うー私としたことが恥ずかしい。あなたを助けるつもりがお尻撃たれて、
あなたに助けられたあげく、あなたにお尻まで見られてしまいました」
「ば、バカ野郎てめー、治療のためやむを得ずだ、助平な目でなんて見てねえぞ」

「いいケツしてたでしょう?」
「そりゃあまあ──ってバカ言わせんなこら! つか女がいいケツとか言うな!」

「で、あの日系の米兵どもはなんなんだ? なんで俺をねらった」
「彼らはGHQのなかであなた方の特高に似た部隊ですね。
何人か下働きの日本人も混じっていたようですけど」
「あなたの捜査の一部が、敏感なところをかすめていったので、脅してやめさせようと思ったんでしょう。なにかいいとこ見せようと焦ってるんですよあそこのボスが」
「キャノンとか言ってたやつか」
「でも痛い目に遭わせるくらいで命まで奪うつもりはなかったと思いますよ。
彼らは人を殺す権限まで与えられてませんし。軍人は与えられた任務以外の行動は固く禁じられてますから。皆さんの思うより軍隊ってそのへん窮屈で融通きかないので」
「ますますあんたがただの通訳や秘書とは思えねえな。
そういう剣呑な連中をへらへら喋るだけでびびらせてただろ」
「私はそんな偉い人ではないですよ。ただどこを押したら車輪が回るか、
人よりちょっと多めに知ってるだけです」
「そういうあんたが、下山事件にいろいろ首突っ込んできてる。
あいつらにニイタカがおさめる、とか啖呵も切ってた。ありゃどういう意味だ」
「その言葉のとおりですよ、おさめるつもりです」
「どうするって言うんだそりゃ。あ、前にたしか、俺を一番の敵だのぬかしてたよな」
「今回はあなたにとても大きな借りができましたね、ディテクティブハチベエ」
「ま、あんたのおかげで俺も助かったし、これでチャラだ」
「チャラ?」
「お互いに借りつくったから差し引き貸し借りなしで一から始めようぜってこった」
「なるほど、チャラ、勉強になります」
「このメモを裏書きの場所に届けてください。然るべき所に渡って対応してくれます」
「結び文かよ。あんた外国育ちのくせになぜか和式のもんに器用だな。こんなもん今どきの日本の女にゃできねえぞ。
じゃ、そこらで遊んでるガキを小銭とアメ玉で釣ってやらせよう」
「これで少し時間ができました。チャラのついでに質問してもいいですか」
「なんだ」
「あなたがなぜ帝銀事件の犯人を平沢貞通と確信しているのか、聞かせてください」
「またそれか。どうせ捜査報告も読んでるんだろ、それ以外言うことなんてねえよ」
「いいえ、公文書に記されていないことを知りたいのです」

「ディテクティブハチベエ、あなた自身が目にしたこと、
そして、信じたことを」
1948年 昭和23年
1月26日
下山事件の1年半前──

東京都豊島区長崎町
帝國銀行椎名町支店

東京大空襲の爪跡深い焼け野っ原。
銀行といっても質屋の木造家屋を借り上げた仮店舗。

曇天。みぞれ上がりの道はぬかるんでいて。
「都衛生課の者だが」
午後4時──
「あら」
「人が」
「あ、あのう、どうされま──」



「あっ、だ、大丈夫ですか!」
「……男が、……薬を」
村田正子
「……みんな、倒れ、助けて」


帝銀事件の背景と経過、警視庁による捜査は公開された情報にもとづく。
平塚八兵衛はじめ黒字・紫字・赤字はすべて実在の人物だが、
一部の会話や行動はちっとばかし変えている。
彼らの属する国家、官公庁、組織団体もすべて実在する。
またニイタカ・ヤヨイ-カトリーヌは、架空の人物であり、
実在する人物との関わりはすべて創造全開、ソースは妄想である。

帝銀椎名町支店の怪事件
全行員に毒薬を盛る
十一名死亡、犯人はすぐ逃走

戦慄の銀行ギャング?
12名毒殺、5名瀕死
昨夕、帝銀椎名町支店の兇行
死亡
渡辺義康@44歳 白井正一@29歳 西村英彦@39歳
竹内捨次郎@49歳 沢田芳夫@22歳(重体のち死亡)
内田琇子@23歳 秋山みや子@23歳 加藤照子@給仕@16歳
滝沢辰雄@小使@44歳(重体のち死亡) 同りう@49歳
同タカ子@19歳 同吉弘@8歳
重症
吉田武次郎支店長代理@44歳 田中徳和@20歳
村田正子@22歳 阿久沢洋子@19歳
小使滝沢夫婦の娘タカ子はふだん郷里で暮らしてたんだが、
このときちょうど両親に会いに来ていて巻き添えという不運。
死者12人 重症4人 ──女子供まで皆殺し上等の大量毒殺。
あまりに死人が多く、東大と慶大の法医学教室が分担して法医解剖。このときも東大古畑と慶大中館でやっぱり微妙に違う鑑定結果が出て、モメるんであるが。
最初は食中毒と思われ、住民も救護に入り込んで現場が荒らされ、
>帝銀本店が照会集計しに来てやっと、窓口にあった16万3410円@百円紙幣1600枚余と小切手1枚(額面1万7450円)が無い、と分かったのが翌27日午後、
>各銀行へ盗難小切手の手配が回ったのがさらに1日おいて翌々28日。
そうやってのんびりやってるからとうぜん手遅れで、
翌日27日午後、奪われた小切手が安田銀行板橋支店でとっくに換金されていた。
換金に来た「土建屋風の男」は小切手の知識があまりないのか、
「裏書きの住所がありませんよ」
言われて男がその場で書き込んだ板橋の住所はでたらめだった。
これで計18万とんで860円が強奪されたことになる。
貨幣価値がめまぐるしく変わる戦後インフレ期なんで幅あるけども、
平成の世だと×100といったとこ。
ただし小切手は事件直後になだれ込んだ一般人がちょろまかした可能性も捨てきれず。
という一方で、なぜか、
すぐ近くの机に置いてあった計44万円、
金庫代わりの土蔵@無施錠に入っていた35万円、
小切手類もあわせると計85万円余。
こっちは手つかずのまま。不可解なことに。
一命を取り留め入院中の4人>
支店長代理吉田武次郎 行員田中徳和 同村田正子 同阿久沢洋子によると、
窓口業務が終わってまもなく、午後3時すぎ──
「都衛生課の者だが、支店長は?」
「消毒班長」の腕章
「東京都衛生課並厚生省技官厚生部醫員 醫學博士」の名刺
「この近く長崎2丁目の相田方前の井戸を使う者から4名の集団赤痢が発生した。
調べたところ、そのうち1人がこの支店に来ていたと分かった。
もうすぐGHQのホートク中尉の消毒班が来るが、
その前に予防薬を飲んでもらうため一足早く派遣されてきました」
「GHQの強い薬なので、歯にふれるとホウロウ質を傷める」
「飲みかたを教えるから同じように飲んでください」
「薬は2種類ある、最初の薬を飲んで──」
「──1分後につぎの薬を飲むように」


いつのまにか男はいなくなっていて──
男の名刺、男が使った湯飲み茶碗も見つからず。
名刺を見たはずの支店長代理吉田は、名刺にあった名前を覚えていなかった。
なんで言いなりに毒を飲まされてんだよこんなんメッチャ怪しいじゃんか
──というのが平成ニッポン的な感覚だろうけども、
このころの日本、衛生環境いとわろしで、
近所軒並みコレラだ赤痢だ、GHQの消毒班出動ゴー!は日常茶飯事、
シラミ予防のDDTぶっかけで頭真っ白けーの子どもたちも各地で見られた光景。
なので、もっともらしい話が「GHQ」という言葉の神通力とともに鵜呑みにされても不思議じゃなかったんである。
「男の告げたホートク中尉が防疫班にいるかどうか、GHQに照会中です」
「また近所に相田という家がじっさいにあり、しかもこの日、赤痢ではありませんがチフスの疑いで家人が入院隔離、GHQの防疫係や豊島区の衛生係も出向いています。結果は大腸カタルでしたが」
ということから、GHQの防疫部門の内情に詳しい者?
生存者の供述と、法医解剖の結果をみてみると、
第1薬>犠牲者の胃内を調べ、
>「なんらかの青酸化合物だが、青酸カリではないような…よくわからん」
第2薬>湯飲み茶碗を調べ、
>「ただの水」
>ただし、食中毒と誤解して救護に入った一般市民が洗った可能性もあり。
犯人も被害者たちと同じ薬瓶から注いだ第1薬を飲んだのになぜ平気だったか?
「薬瓶の上層は透明で澄んでいて、下層は白濁していた」
「ガソリン臭がちょっとした」
瓶内の液体が比重の違いから上下に分離していた。透明な上層はおそらく油分。
犯人が飲んで見せたのは上層の油分だけなので効かなかった、のでは?
比重の軽い油でフタをして青酸化合物が空気と反応>劣化するのを防ぐ、
旧日本軍で使われていた手法です。
さらに各金融機関に手配をかけた結果、
>帝銀事件以前におきた激似の未遂事件2件が判明。
前年1947年 昭和22年
10月14日
品川区平塚
安田銀行荏原支店
「厚生技官 醫學博士 松井蔚 厚生省豫防局」の名刺を差し出し、
「近所で集団赤痢が…」
「GHQのパーカー中尉と一緒にジープで来て調べた結果…」
「この銀行のオールメンバー、オールルーム、オールキャッシュ、
またはオールマネーを消毒しなければならない」
そんな話聞いてないんで、支店長が念のため交番に小使を走らせて確認、
制服警官が自転車で辺りを回ってからやって来て、「そんな様子はなかったが」
が、「松井蔚」は慌てもせず平然と応じて、
「警察がそんなことでは困る。もう一度確かめてきなさい」
GHQ関係者に巡査ごときじゃ逆らえないんで言うなりに引き返していく。
大胆な犯人で、巡査を追い返したあと悠々と行員たちに薬を飲ませた。
そこまでは帝銀事件とほとんど同じ手口。
だが、このときは
誰も倒れず、
何も起こらず。
「消毒班が来るのが遅い。様子を見てくる」
それっきり。
さらに年が明けて、
1948年 昭和23年
1月19日
新宿区下落合
三菱銀行中井支店
「厚生省技官 醫學博士 山口二郎 兼東京都防疫課」の名刺
「下落合の井華鉱業の寮で集団赤痢が出て、そこの大谷という人が今日ここに預金に来たと分かった。銀行の人、現金、帳簿、各部屋をぜんぶ消毒しなければならない」
「大谷という名前の小為替はありますが、その会社とは違いますね」
「これかもしれない」
「しかしこの1枚のことでそこまでされては困ります」
支店長がしぶると「山口二郎」はそれ以上無理押しせず、
その為替の表裏に消毒液?をふりかけただけで立ち去った。
とくに実害もなかったから2件とも警察には通報されず。
安田・三菱──2件ともほとんど同じ手口。
そして、三菱銀行の未遂からわずか1週間後──
やはり同じ手口によって、
帝銀椎名町支店の惨劇が起きたのだった。
ピペットの玄人っぽい扱いかた、「ホウロウ質」など専門用語の使用、
>「器具や毒物の知識から化学、毒物の専門家ではないか」
警官に顔を見られてからも毒を飲ませようとする無謀なまでの図太さ、幼い子どもが居合わせても平気で毒を飲ます冷血さ、
>「20人もの被害者を騙して毒を飲ませる慣れた手口、苦しむ被害者たちの横で現金を物色し、証拠を持ち去る冷静沈着さからして、軍人・特務機関員ではないか」
藤田次郎刑事部長 2月7日付 捜査要綱
「次のものから更に似より人相者を物色すること。医師、歯科医師、薬剤師、各種医学・化学・薬学研究所員、帰還将兵中の医療の心得のあるもの」
まもなく捜査線上に浮かんだのが、
「関東軍防疫給水部本部」こと、

通称「満州第七三一部隊」
本部長、>石井四郎陸軍軍医中将
医学者や医師ぞろぞろ理系エリート集団。
任務はその名の通り、満州国および支那各地の防疫給水、伝染病風土病対策。
いかに清潔な飲み水を供給できるかは、この当時の死活問題で。
が、
その裏で細菌戦の研究開発に取り組み、
ペスト、炭疽菌、チフス、コレラ、赤痢菌、梅毒──
支那人、ロシア人、アメリカ人はじめ多様な国々の捕虜3000人以上に人体実験、
さらに実戦でも細菌兵器をばらまいたり、
悪魔の所業、医学者の極悪外道、戦争犯罪の極北
と、いわれている。
なんで断言してないかというと、それは、またのちの話。
部隊長石井は終戦間際、ソ連が中立条約を破棄して満州侵攻をはじめると、施設や証拠を全て破壊焼却したうえ、マッハの逃げ足で帰国、戦犯訴追をおそれまくり、故郷でニセ葬式までやって死んだふりで逃げ隠れしまくりだったが、
けっきょく戦犯はまぬがれ。たださすがに医学界にも戻れず、
新宿で米将校相手の連れ込み旅館つまり売春宿を経営、地味にひそーと暮らしていた。
警視庁に呼び出された石井は、
「これはかつての私の部下かもしれない。だが部下を売ることはできない」
斎藤昇警視総監が動き、石井に警視庁嘱託の辞令まで出して協力要請、
石井に隊員名簿を提出させた。
3月22日付 捜査要綱
「薬学、または理化学系学歴、知識、技能、経験のある者」
「軍関係薬品取り扱い、特殊学校、同研究所、およびこれに付属する教導隊、または防疫給水部、もしくは憲兵、特務機関に従属の経歴を有する者(主として将校級)」
そういうのは七三一部隊だけでなく、
その上部機関陸軍軍医学校防疫研究室、登戸研究所@陸軍第九化学兵器研究所、関東軍軍馬防疫廠@百部隊、北京・南京・広東・シンガポールの各防疫給水部と、BC兵器研究をしていた旧軍部隊は多種多様で。その関係者は膨大な数に。
「なお、未遂事件で使われた名刺ですが、山口二郎という技官は厚生省には存在せず、正しくは厚生技官のところ厚生省技官となっているなど、ニセものと分かりました。
銀座の露天商から通報があり、1月17日に『紳士風の男』から『山口』名刺の印刷を注文され、翌18日に引き渡した、とのことです。
三菱銀行中井支店で山口名刺が使われたのは、その翌日19日であります。
もう1枚の名刺の松井蔚という医学博士は実在し──」
まもなく3月だったか、警察が自治体警察と国家地方警察の2本立てに変わった。
東京だと警視庁が23区で、八王子やら青梅やら立川やらが市警って枠で独立して、
それ以外の東京圏は国警が面倒みることになった。
で、帝銀事件が起きたとき警視総監だった斎藤さんが国警の長官に移って、代わりに東京都経済局長から総監になったのがいまの田中さんだ。
警察が2本立てになって何が変わったって、上はどうか知らんが、正直よくわかんねえんだよな。汗かいて靴をはきつぶして這いずり回るのは同じだ。
さて、おれは地取り班だったんだが、事件の前後に長崎町、平塚、下落合界隈、最寄り駅まで回っても、ちっとも手応えがねえのさ。
だいたい、まだ焼け野っ原でバラックみたいな家がちらほらしかなくて、
聞き込み先なんてすぐ尽きちまったんだ。
おれは内緒で地取りをさぼって、勝手に特務機関の線を嗅いでみた。
銀座に元特務機関員がいてな。外地じゃ大した羽振り、いまも顔役だ。
その顔役の事務所を訪ねて単刀直入に聞いたんだ。
「大陸でやって来たことを蒸し返されたくないから言うんじゃない、
捜査には協力しよう。しかしね──」
「銀行員は仕事柄ひとを見る目が肥えている。そういう彼らがそろって医学博士とだまされたんだから、じっさい医学博士のように見える風体や振る舞いだったんだろう。
だが特務機関は内地で食いつぶしたようなすさんだ連中ばかりでね、
とうてい医学博士と名乗って通用するような者はいない」
特務機関の線はない、とおれは確信した。
正体不明の毒物? 陸軍の秘密研究所?
鑑定だって結局なんの毒かわかってねえんだろ。そんなあやふやなもんアテになるか。
目白署署長官舎「帝國銀行職員殺人事件」捜査会議
「なんだとこのヤロー!」

「やる気があるから言ったんだろうがよ!」
「あんたが忌憚のない意見を言えっていうから言ったまでだ!
それを怒るなんてバカな話があるかい!」
「なーにが係長だ警部だ! 唐変木め!」
「名刺班にわざわさ移ってくるとはご苦労さん。
2号部屋(殺人係)からタタキ(強盗係)じゃ降格だな。
捜査会議で上司にケンカ売ったんだって?」
「あっちがおかしいんです。ブツは名刺しかねえってのに、特務機関だの研究所だの、フワフワした霞みたいなもんばかり追っかけやがって」
「へえ、そんじゃ、うちの主任とウマが合うかもな」
居木井為五郎@警部補
@名刺捜査班長
「ははは、名刺班は島流しだぞ。本部じゃ鼻くそ扱いだからな」
未遂事件のうち安田銀行でホシが残していった名刺
「厚生技官 医学博士 松井蔚」は実在、名刺も本物だった。
松井博士はいま仙台在住、
南方で衛生防疫部門の責任者だったこともある。
ってことで初めのうち参考人として厳しく取り調べられたが、
博士には鉄板のアリバイがあってな。
それっきり捜査本部は名刺の線に興味を失った。
名刺班を引き継いだおれ以外はな。
「おれはこの名刺こそ手がかりだと思ってるんだ、本部からは相手にされないがね」
ふつうなら役人の名刺なんてそれこそ追跡できないほどばらまかれてる。
しかし、この名刺はちっとばかし特殊なんだ。
松井博士に支給された官製の名刺は字が「尉」でな。
役所の発注してた印刷所に草冠のある「蔚」の活字がなかったらしい。
松井博士は草冠付きの「蔚」名刺を宮城県庁地下の印刷所で100枚刷らせた。
やはり「蔚」の活字は無く、「尉」と「艹」の活字2つ組み合わせて印刷。
官製の「尉」と自前の「蔚」名刺の両方を使い分けていた。
博士の手元には交換相手の名刺が128枚あった。「尉」名刺の分も混じったらしい。
で、まだ配られず松井博士の手元に残ってた「蔚」名刺は8枚。
つまり人手に渡った「蔚」名刺は92枚。
「この92枚のうち1枚が、安田銀行の未遂事件で使われたのだ」
──5月下旬 帝銀事件から5か月目
「いい知らせと悪い知らせがある。
まずいい知らせだ。
上の許可が出た。我ら名刺班は松井名刺の交換相手128人を総当たり、
『蔚』名刺を回収、「尉」名刺か否かも確かめること。
ホシは絶対に名刺を持っていない。今それは警察の手にあるんだからな」
「松井博士は几帳面な性格で、草冠の『蔚』名刺を交換した日時や場所、相手の名前までいちいちメモっていた。しかし、博士は仕事柄、あちこちの県を回っていてな、
相手も当然各県に散らばっている。名刺班で全国行脚だ」
「うえー」
「つぎに悪い知らせだが──」
「え、いまの全国行脚ってくだりが悪い知らせじゃないんですか」
「なに言ってる、ここからが悪い知らせだ。宿にメシはない。米やら味噌やら持参しないと泊めてもらえん。そして名刺班にはそんな予算がないのだ、あはははは」
「…………」
あの頃は今よりひでえ物資不足でなあ。旅館に泊まるにも、
米や味噌持参じゃねえと追い返されたくらいだ。
名刺班といっても、班長の居木井さんとおれ、
飯田さんと福士くんの実質よったりだけだった。
ヨッタリ?
あー4人だ、4人。おれの在の訛りだ。
松井博士が『蔚』名刺をつくったのは昭和22年3月、松井博士は陛下御巡幸の下見を仰せつかり、北海道と東北6県を回ってたから、『蔚』名刺もそこで多く配られていた。
おれと飯田さんが東北、居久井さんと福士くんが北海道を回った。
これが大変で、交通事情も悪いし、ひととおり回るのにまるまる1か月かかった。
毎日が移動また移動だから、洗濯だって自前だ。
列車乗ってる間に窓で干したりしてな。
「ああッ、おれのステテコがーっ」
──その結果、
津々浦々で回収できた「蔚」名刺>62枚、
回収できなかったうち事件と無関係と分かったのが>22枚、
>紛失か廃棄で現物が失せ、「蔚」か「尉」か定かでないもの>14枚。
そのうち、ある1枚が──
「あーこれ、平沢大……えーとなんて読むんだこりゃ? 日へんに章って」
「あーそれは雅号だ。画家先生だよ、小樽の」
平沢大暲(たいしょう)こと平沢貞通(さだみち)だった。
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何人か下働きの日本人も混じっていたようですけど」

「あなたの捜査の一部が、敏感なところをかすめていったので、脅してやめさせようと思ったんでしょう。なにかいいとこ見せようと焦ってるんですよあそこのボスが」
「キャノンとか言ってたやつか」
「でも痛い目に遭わせるくらいで命まで奪うつもりはなかったと思いますよ。
彼らは人を殺す権限まで与えられてませんし。軍人は与えられた任務以外の行動は固く禁じられてますから。皆さんの思うより軍隊ってそのへん窮屈で融通きかないので」

「ますますあんたがただの通訳や秘書とは思えねえな。
そういう剣呑な連中をへらへら喋るだけでびびらせてただろ」

「私はそんな偉い人ではないですよ。ただどこを押したら車輪が回るか、
人よりちょっと多めに知ってるだけです」
「そういうあんたが、下山事件にいろいろ首突っ込んできてる。
あいつらにニイタカがおさめる、とか啖呵も切ってた。ありゃどういう意味だ」

「その言葉のとおりですよ、おさめるつもりです」
「どうするって言うんだそりゃ。あ、前にたしか、俺を一番の敵だのぬかしてたよな」


「今回はあなたにとても大きな借りができましたね、ディテクティブハチベエ」
「ま、あんたのおかげで俺も助かったし、これでチャラだ」
「チャラ?」
「お互いに借りつくったから差し引き貸し借りなしで一から始めようぜってこった」
「なるほど、チャラ、勉強になります」

「このメモを裏書きの場所に届けてください。然るべき所に渡って対応してくれます」
「結び文かよ。あんた外国育ちのくせになぜか和式のもんに器用だな。こんなもん今どきの日本の女にゃできねえぞ。
じゃ、そこらで遊んでるガキを小銭とアメ玉で釣ってやらせよう」

「これで少し時間ができました。チャラのついでに質問してもいいですか」
「なんだ」

「あなたがなぜ帝銀事件の犯人を平沢貞通と確信しているのか、聞かせてください」
「またそれか。どうせ捜査報告も読んでるんだろ、それ以外言うことなんてねえよ」

「いいえ、公文書に記されていないことを知りたいのです」

「ディテクティブハチベエ、あなた自身が目にしたこと、

そして、信じたことを」
1948年 昭和23年
1月26日
下山事件の1年半前──

東京都豊島区長崎町
帝國銀行椎名町支店

東京大空襲の爪跡深い焼け野っ原。
銀行といっても質屋の木造家屋を借り上げた仮店舗。

曇天。みぞれ上がりの道はぬかるんでいて。


「都衛生課の者だが」

午後4時──



「あら」

「人が」

「あ、あのう、どうされま──」






「あっ、だ、大丈夫ですか!」

「……男が、……薬を」

「……みんな、倒れ、助けて」









帝銀事件の背景と経過、警視庁による捜査は公開された情報にもとづく。
平塚八兵衛はじめ黒字・紫字・赤字はすべて実在の人物だが、
一部の会話や行動はちっとばかし変えている。
彼らの属する国家、官公庁、組織団体もすべて実在する。
またニイタカ・ヤヨイ-カトリーヌは、架空の人物であり、
実在する人物との関わりはすべて創造全開、ソースは妄想である。


帝銀椎名町支店の怪事件
全行員に毒薬を盛る
十一名死亡、犯人はすぐ逃走

戦慄の銀行ギャング?
12名毒殺、5名瀕死
昨夕、帝銀椎名町支店の兇行
死亡
渡辺義康@44歳 白井正一@29歳 西村英彦@39歳
竹内捨次郎@49歳 沢田芳夫@22歳(重体のち死亡)
内田琇子@23歳 秋山みや子@23歳 加藤照子@給仕@16歳
滝沢辰雄@小使@44歳(重体のち死亡) 同りう@49歳
同タカ子@19歳 同吉弘@8歳
重症
吉田武次郎支店長代理@44歳 田中徳和@20歳
村田正子@22歳 阿久沢洋子@19歳
小使滝沢夫婦の娘タカ子はふだん郷里で暮らしてたんだが、
このときちょうど両親に会いに来ていて巻き添えという不運。

死者12人 重症4人 ──女子供まで皆殺し上等の大量毒殺。
あまりに死人が多く、東大と慶大の法医学教室が分担して法医解剖。このときも東大古畑と慶大中館でやっぱり微妙に違う鑑定結果が出て、モメるんであるが。

最初は食中毒と思われ、住民も救護に入り込んで現場が荒らされ、
>帝銀本店が照会集計しに来てやっと、窓口にあった16万3410円@百円紙幣1600枚余と小切手1枚(額面1万7450円)が無い、と分かったのが翌27日午後、
>各銀行へ盗難小切手の手配が回ったのがさらに1日おいて翌々28日。
そうやってのんびりやってるからとうぜん手遅れで、
翌日27日午後、奪われた小切手が安田銀行板橋支店でとっくに換金されていた。
換金に来た「土建屋風の男」は小切手の知識があまりないのか、
「裏書きの住所がありませんよ」

言われて男がその場で書き込んだ板橋の住所はでたらめだった。
これで計18万とんで860円が強奪されたことになる。
貨幣価値がめまぐるしく変わる戦後インフレ期なんで幅あるけども、
平成の世だと×100といったとこ。
ただし小切手は事件直後になだれ込んだ一般人がちょろまかした可能性も捨てきれず。
という一方で、なぜか、

すぐ近くの机に置いてあった計44万円、
金庫代わりの土蔵@無施錠に入っていた35万円、
小切手類もあわせると計85万円余。
こっちは手つかずのまま。不可解なことに。

一命を取り留め入院中の4人>
支店長代理吉田武次郎 行員田中徳和 同村田正子 同阿久沢洋子によると、
窓口業務が終わってまもなく、午後3時すぎ──


「都衛生課の者だが、支店長は?」

「消毒班長」の腕章

「東京都衛生課並厚生省技官厚生部醫員 醫學博士」の名刺

「この近く長崎2丁目の相田方前の井戸を使う者から4名の集団赤痢が発生した。
調べたところ、そのうち1人がこの支店に来ていたと分かった。
もうすぐGHQのホートク中尉の消毒班が来るが、

その前に予防薬を飲んでもらうため一足早く派遣されてきました」


「GHQの強い薬なので、歯にふれるとホウロウ質を傷める」

「飲みかたを教えるから同じように飲んでください」

「薬は2種類ある、最初の薬を飲んで──」

「──1分後につぎの薬を飲むように」











いつのまにか男はいなくなっていて──
男の名刺、男が使った湯飲み茶碗も見つからず。

名刺を見たはずの支店長代理吉田は、名刺にあった名前を覚えていなかった。
なんで言いなりに毒を飲まされてんだよこんなんメッチャ怪しいじゃんか
──というのが平成ニッポン的な感覚だろうけども、
このころの日本、衛生環境いとわろしで、
近所軒並みコレラだ赤痢だ、GHQの消毒班出動ゴー!は日常茶飯事、

シラミ予防のDDTぶっかけで頭真っ白けーの子どもたちも各地で見られた光景。
なので、もっともらしい話が「GHQ」という言葉の神通力とともに鵜呑みにされても不思議じゃなかったんである。
「男の告げたホートク中尉が防疫班にいるかどうか、GHQに照会中です」
「また近所に相田という家がじっさいにあり、しかもこの日、赤痢ではありませんがチフスの疑いで家人が入院隔離、GHQの防疫係や豊島区の衛生係も出向いています。結果は大腸カタルでしたが」
ということから、GHQの防疫部門の内情に詳しい者?

生存者の供述と、法医解剖の結果をみてみると、
第1薬>犠牲者の胃内を調べ、
>「なんらかの青酸化合物だが、青酸カリではないような…よくわからん」
第2薬>湯飲み茶碗を調べ、
>「ただの水」
>ただし、食中毒と誤解して救護に入った一般市民が洗った可能性もあり。

犯人も被害者たちと同じ薬瓶から注いだ第1薬を飲んだのになぜ平気だったか?
「薬瓶の上層は透明で澄んでいて、下層は白濁していた」
「ガソリン臭がちょっとした」

瓶内の液体が比重の違いから上下に分離していた。透明な上層はおそらく油分。
犯人が飲んで見せたのは上層の油分だけなので効かなかった、のでは?
比重の軽い油でフタをして青酸化合物が空気と反応>劣化するのを防ぐ、
旧日本軍で使われていた手法です。
さらに各金融機関に手配をかけた結果、
>帝銀事件以前におきた激似の未遂事件2件が判明。
前年1947年 昭和22年
10月14日

品川区平塚
安田銀行荏原支店

「厚生技官 醫學博士 松井蔚 厚生省豫防局」の名刺を差し出し、
「近所で集団赤痢が…」
「GHQのパーカー中尉と一緒にジープで来て調べた結果…」

「この銀行のオールメンバー、オールルーム、オールキャッシュ、
またはオールマネーを消毒しなければならない」
そんな話聞いてないんで、支店長が念のため交番に小使を走らせて確認、

制服警官が自転車で辺りを回ってからやって来て、「そんな様子はなかったが」
が、「松井蔚」は慌てもせず平然と応じて、
「警察がそんなことでは困る。もう一度確かめてきなさい」
GHQ関係者に巡査ごときじゃ逆らえないんで言うなりに引き返していく。
大胆な犯人で、巡査を追い返したあと悠々と行員たちに薬を飲ませた。
そこまでは帝銀事件とほとんど同じ手口。
だが、このときは
誰も倒れず、
何も起こらず。

「消毒班が来るのが遅い。様子を見てくる」
それっきり。
さらに年が明けて、
1948年 昭和23年
1月19日

新宿区下落合
三菱銀行中井支店

「厚生省技官 醫學博士 山口二郎 兼東京都防疫課」の名刺
「下落合の井華鉱業の寮で集団赤痢が出て、そこの大谷という人が今日ここに預金に来たと分かった。銀行の人、現金、帳簿、各部屋をぜんぶ消毒しなければならない」
「大谷という名前の小為替はありますが、その会社とは違いますね」
「これかもしれない」
「しかしこの1枚のことでそこまでされては困ります」

支店長がしぶると「山口二郎」はそれ以上無理押しせず、
その為替の表裏に消毒液?をふりかけただけで立ち去った。
とくに実害もなかったから2件とも警察には通報されず。
安田・三菱──2件ともほとんど同じ手口。
そして、三菱銀行の未遂からわずか1週間後──
やはり同じ手口によって、
帝銀椎名町支店の惨劇が起きたのだった。

ピペットの玄人っぽい扱いかた、「ホウロウ質」など専門用語の使用、
>「器具や毒物の知識から化学、毒物の専門家ではないか」

警官に顔を見られてからも毒を飲ませようとする無謀なまでの図太さ、幼い子どもが居合わせても平気で毒を飲ます冷血さ、
>「20人もの被害者を騙して毒を飲ませる慣れた手口、苦しむ被害者たちの横で現金を物色し、証拠を持ち去る冷静沈着さからして、軍人・特務機関員ではないか」

藤田次郎刑事部長 2月7日付 捜査要綱
「次のものから更に似より人相者を物色すること。医師、歯科医師、薬剤師、各種医学・化学・薬学研究所員、帰還将兵中の医療の心得のあるもの」
まもなく捜査線上に浮かんだのが、
「関東軍防疫給水部本部」こと、

通称「満州第七三一部隊」

本部長、>石井四郎陸軍軍医中将
医学者や医師ぞろぞろ理系エリート集団。
任務はその名の通り、満州国および支那各地の防疫給水、伝染病風土病対策。
いかに清潔な飲み水を供給できるかは、この当時の死活問題で。
が、
その裏で細菌戦の研究開発に取り組み、
ペスト、炭疽菌、チフス、コレラ、赤痢菌、梅毒──
支那人、ロシア人、アメリカ人はじめ多様な国々の捕虜3000人以上に人体実験、
さらに実戦でも細菌兵器をばらまいたり、
悪魔の所業、医学者の極悪外道、戦争犯罪の極北
と、いわれている。
なんで断言してないかというと、それは、またのちの話。
部隊長石井は終戦間際、ソ連が中立条約を破棄して満州侵攻をはじめると、施設や証拠を全て破壊焼却したうえ、マッハの逃げ足で帰国、戦犯訴追をおそれまくり、故郷でニセ葬式までやって死んだふりで逃げ隠れしまくりだったが、
けっきょく戦犯はまぬがれ。たださすがに医学界にも戻れず、
新宿で米将校相手の連れ込み旅館つまり売春宿を経営、地味にひそーと暮らしていた。
警視庁に呼び出された石井は、

「これはかつての私の部下かもしれない。だが部下を売ることはできない」
斎藤昇警視総監が動き、石井に警視庁嘱託の辞令まで出して協力要請、
石井に隊員名簿を提出させた。

3月22日付 捜査要綱
「薬学、または理化学系学歴、知識、技能、経験のある者」
「軍関係薬品取り扱い、特殊学校、同研究所、およびこれに付属する教導隊、または防疫給水部、もしくは憲兵、特務機関に従属の経歴を有する者(主として将校級)」
そういうのは七三一部隊だけでなく、
その上部機関陸軍軍医学校防疫研究室、登戸研究所@陸軍第九化学兵器研究所、関東軍軍馬防疫廠@百部隊、北京・南京・広東・シンガポールの各防疫給水部と、BC兵器研究をしていた旧軍部隊は多種多様で。その関係者は膨大な数に。

「なお、未遂事件で使われた名刺ですが、山口二郎という技官は厚生省には存在せず、正しくは厚生技官のところ厚生省技官となっているなど、ニセものと分かりました。
銀座の露天商から通報があり、1月17日に『紳士風の男』から『山口』名刺の印刷を注文され、翌18日に引き渡した、とのことです。
三菱銀行中井支店で山口名刺が使われたのは、その翌日19日であります。
もう1枚の名刺の松井蔚という医学博士は実在し──」

まもなく3月だったか、警察が自治体警察と国家地方警察の2本立てに変わった。
東京だと警視庁が23区で、八王子やら青梅やら立川やらが市警って枠で独立して、
それ以外の東京圏は国警が面倒みることになった。
で、帝銀事件が起きたとき警視総監だった斎藤さんが国警の長官に移って、代わりに東京都経済局長から総監になったのがいまの田中さんだ。
警察が2本立てになって何が変わったって、上はどうか知らんが、正直よくわかんねえんだよな。汗かいて靴をはきつぶして這いずり回るのは同じだ。

さて、おれは地取り班だったんだが、事件の前後に長崎町、平塚、下落合界隈、最寄り駅まで回っても、ちっとも手応えがねえのさ。
だいたい、まだ焼け野っ原でバラックみたいな家がちらほらしかなくて、
聞き込み先なんてすぐ尽きちまったんだ。
おれは内緒で地取りをさぼって、勝手に特務機関の線を嗅いでみた。

銀座に元特務機関員がいてな。外地じゃ大した羽振り、いまも顔役だ。
その顔役の事務所を訪ねて単刀直入に聞いたんだ。

「大陸でやって来たことを蒸し返されたくないから言うんじゃない、
捜査には協力しよう。しかしね──」

「銀行員は仕事柄ひとを見る目が肥えている。そういう彼らがそろって医学博士とだまされたんだから、じっさい医学博士のように見える風体や振る舞いだったんだろう。
だが特務機関は内地で食いつぶしたようなすさんだ連中ばかりでね、
とうてい医学博士と名乗って通用するような者はいない」

特務機関の線はない、とおれは確信した。
正体不明の毒物? 陸軍の秘密研究所?
鑑定だって結局なんの毒かわかってねえんだろ。そんなあやふやなもんアテになるか。
目白署署長官舎「帝國銀行職員殺人事件」捜査会議
「なんだとこのヤロー!」

「やる気があるから言ったんだろうがよ!」

「あんたが忌憚のない意見を言えっていうから言ったまでだ!
それを怒るなんてバカな話があるかい!」

「なーにが係長だ警部だ! 唐変木め!」

「名刺班にわざわさ移ってくるとはご苦労さん。
2号部屋(殺人係)からタタキ(強盗係)じゃ降格だな。
捜査会議で上司にケンカ売ったんだって?」
「あっちがおかしいんです。ブツは名刺しかねえってのに、特務機関だの研究所だの、フワフワした霞みたいなもんばかり追っかけやがって」
「へえ、そんじゃ、うちの主任とウマが合うかもな」
居木井為五郎@警部補
@名刺捜査班長

「ははは、名刺班は島流しだぞ。本部じゃ鼻くそ扱いだからな」

未遂事件のうち安田銀行でホシが残していった名刺
「厚生技官 医学博士 松井蔚」は実在、名刺も本物だった。
松井博士はいま仙台在住、
南方で衛生防疫部門の責任者だったこともある。
ってことで初めのうち参考人として厳しく取り調べられたが、
博士には鉄板のアリバイがあってな。
それっきり捜査本部は名刺の線に興味を失った。
名刺班を引き継いだおれ以外はな。

「おれはこの名刺こそ手がかりだと思ってるんだ、本部からは相手にされないがね」
ふつうなら役人の名刺なんてそれこそ追跡できないほどばらまかれてる。
しかし、この名刺はちっとばかし特殊なんだ。
松井博士に支給された官製の名刺は字が「尉」でな。

役所の発注してた印刷所に草冠のある「蔚」の活字がなかったらしい。
松井博士は草冠付きの「蔚」名刺を宮城県庁地下の印刷所で100枚刷らせた。

やはり「蔚」の活字は無く、「尉」と「艹」の活字2つ組み合わせて印刷。
官製の「尉」と自前の「蔚」名刺の両方を使い分けていた。
博士の手元には交換相手の名刺が128枚あった。「尉」名刺の分も混じったらしい。
で、まだ配られず松井博士の手元に残ってた「蔚」名刺は8枚。
つまり人手に渡った「蔚」名刺は92枚。

「この92枚のうち1枚が、安田銀行の未遂事件で使われたのだ」
──5月下旬 帝銀事件から5か月目
「いい知らせと悪い知らせがある。
まずいい知らせだ。
上の許可が出た。我ら名刺班は松井名刺の交換相手128人を総当たり、
『蔚』名刺を回収、「尉」名刺か否かも確かめること。
ホシは絶対に名刺を持っていない。今それは警察の手にあるんだからな」

「松井博士は几帳面な性格で、草冠の『蔚』名刺を交換した日時や場所、相手の名前までいちいちメモっていた。しかし、博士は仕事柄、あちこちの県を回っていてな、
相手も当然各県に散らばっている。名刺班で全国行脚だ」
「うえー」
「つぎに悪い知らせだが──」
「え、いまの全国行脚ってくだりが悪い知らせじゃないんですか」

「なに言ってる、ここからが悪い知らせだ。宿にメシはない。米やら味噌やら持参しないと泊めてもらえん。そして名刺班にはそんな予算がないのだ、あはははは」
「…………」
あの頃は今よりひでえ物資不足でなあ。旅館に泊まるにも、
米や味噌持参じゃねえと追い返されたくらいだ。
名刺班といっても、班長の居木井さんとおれ、
飯田さんと福士くんの実質よったりだけだった。
ヨッタリ?
あー4人だ、4人。おれの在の訛りだ。
松井博士が『蔚』名刺をつくったのは昭和22年3月、松井博士は陛下御巡幸の下見を仰せつかり、北海道と東北6県を回ってたから、『蔚』名刺もそこで多く配られていた。
おれと飯田さんが東北、居久井さんと福士くんが北海道を回った。
これが大変で、交通事情も悪いし、ひととおり回るのにまるまる1か月かかった。
毎日が移動また移動だから、洗濯だって自前だ。
列車乗ってる間に窓で干したりしてな。

「ああッ、おれのステテコがーっ」
──その結果、
津々浦々で回収できた「蔚」名刺>62枚、
回収できなかったうち事件と無関係と分かったのが>22枚、
>紛失か廃棄で現物が失せ、「蔚」か「尉」か定かでないもの>14枚。
そのうち、ある1枚が──

「あーこれ、平沢大……えーとなんて読むんだこりゃ? 日へんに章って」
「あーそれは雅号だ。画家先生だよ、小樽の」

平沢大暲(たいしょう)こと平沢貞通(さだみち)だった。
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