「
支那民族の
怒りの姿だ」「
眠れる獅子が目を醒まして
咆哮した姿だ」「
冀東地域へ入りこんでいる
日本人に碌な奴はいない。
淫売、ごろつき、事件屋──そんな連中が
兵隊の威をかりて
威張り散らし、
悪辣極まることをして土着民を絞り
虐待」「そういう政策を押し進めている
日本の民度の低さに
罪がある」
@「或る革命家の回想」川合貞吉著犠牲者だけ思いっきしdisっとるやん。さすが
超級売国奴ほつみである。
虐殺者(中国人)>「目を醒ました
獅子」「
怒り」「
咆哮」
犠牲者(日本人)>
「淫売」「ごろつき」「ろくな奴はいない」犠牲者(日本人)>「
悪辣極まる」「
日本の
民度の低さに
罪」
ふーん、まあこれが昔も今もこういう思想の持ち主の本心だろう。
ちなみに
ほっつみーは
近衛内閣ブレーン、
若手官僚&
若手将校にも顔が利き、
政府方針にも影響を与える立場という、
スパイの中でも最も悪質な
政策スパイだからして。
この無責任な
タカ派なりすまし煽りも将来の
日本赤化へむけた布石である。
その狙いは、
日本を
支那と
戦争させ、>からの、
支那利権をめぐって
米欧と対立させ、>
米欧と
戦争させ、>
日本ジリ貧>
日本人民怒る>
人民弾圧、>
革命( ゚Д゚) ウマー通州事件から
真珠湾へ至る展開は
ほつみ的に「
計画通りニヤリ」だったろう。
その前に自分がとっつかまって
死んだが。
通州の
惨劇は、
死者の多さと
猟奇指数の高さから、
第二の尼港事件*【ウルトラ NW之章 第11便】とも呼ばれる。
斬首、
眼球抉り出し、
顔面皮剥、
胸腹断割り、
内臓ぶちまけ、
陰部突刺、
陰部異物挿入、
陰茎切断去勢、
母親の前で
子供切断、
妊婦の
胎児引きずり出し──
──というどこの
ソドムの市だよをぜんぶ
生きたままやるのが
大陸流。さて、この
通州事件と
1928年済南事件、
“南京大虐殺”は最近よくセットで語られる、というかセットで語っても
歴史修正主義とか
陰謀論扱いされなくなったというか。
「日本軍の蛮行」なる
スプラッター描写のオンパレードになーんか違和感あるのは、
それが
日本人の身体感覚とあまりに遠くかけ離れた
殺戮手法だからで、
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むしろあの
ゴア描写の数々は、
チベット、
新疆ウイグル、
天安門事件、そして
法輪講の
虐殺拷問輪姦&
生体臓器ドナー化&
人体の不思議展の
展示物化──
つまり
現在進行形の「ピープル’ズ・リパブリック・オブ・チャイナの蛮行」
と並べた方がしっくりくる。
ある1枚の写真。
月刊誌「
ゼンボウ」
1985年4月号に掲載。
済南事件*で
中国人に
惨殺された
日本女性の
検死写真。オリジナルは
済南病院で
1928年5月撮影。
検死記録と受傷の状態が一致する
「西條キン@24歳」とわかる。この
検死には
中国の
役人も同席していた。
顔は
損傷、衣服も帯くらいしか残ってなくて、
足袋で
日本婦女と判明した、とある。
時事評論誌
ゼンボウ('52年~'98年)はゴリゴリ
反共系、ほぼミニコミ規模だったし、ネット普及以前のご時世で発行部数以上に記事が拡散することはなかった。
*済南事件 : 南軍@蒋介石系列に日本人400人が襲われて死者14人の事件。
ちなみにこのときは日本軍の反攻で支那軍民3000人ほど死んだけどが。上の掲載写真の元はこれ↓である。
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ちなみに
死体に
逆P字開脚させてるのは、死してなお辱めの刑、じゃなくて、「
陰部に約
2糎平方の
木片深さ
27糎突刺」状態を撮影してるからで。
*糎=センチメートル鮮明だと
足袋がよく分かる。当時の
日本女性の普段使いは
足袋が定番だった。
ところが、↓
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南京大虐殺記念館 展示パネルより
さらに、
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YouTube動画
Japan unit731 maruta>/
日本731部隊“
マルタ”
言うまでもなく
ゼンボウに掲載された
済南事件のとまるで同じ写真である。
しかも使い回し。
南京か
731かどっちやねん。
さらにさらに、
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この写真も
医師など人物や場所は、
済南事件の
検死のときと同じ。
顔が
損傷。
足袋を履いていることから
日本女性の
死体とわかる。
*よく↑この写真が「ゼンボウ」に載ったと紹介されるが、
それは誤りで掲載されたのは逆P字開脚写真の方である。ところがこれと同じ写真が、
朝日ジャーナル(1984年11月2日号)に「
日本軍の
細菌実験」として掲載。
ちなみに当時の編集長は
筑紫哲也。
吉林省博物館にも「
七三一部隊細菌戦人体実験」として展示。さらにそれが
1992年に
テレビ朝日で「
七三一部隊の
非人間的な行為」の象徴的に放送された。
さらに
中華人民共和国にかかりますれば、
↓
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@「侵華日軍暴行総録」河北人民出版社@1995年「日本軍百部隊が健康な中国人を細菌実験に」という意味のキャプションひとつをもってして、
しゃらっと
加害者被害者が
日中入れ替わり。
さらに、
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立体化総天然色化されると
七三一部隊の人体実験にも使い回せます!
どうもこれって当時
検死の
撮影係が小遣い稼ぎに
焼き増しして売り飛ばしたらしく、
中国ではこのへんの写真が
キワモノとしてかなり出回っていた模様。
それを
プロパガンダに拝借したんでないかと思われ。
さらに↓こういうのも、
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着物(の残骸)と
日本髪、他写真との連動性で
通州事件犠牲者とわかる
↓ところが、
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「侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館提供」のキャプション付き
まったく同じ写真がキャプション1つちょいちょいっといじるだけで、
日本人犠牲者が、>
南京大虐殺の
中国人犠牲者にすり替わり。
しかもその嘘っぱちをわざわざ
日本語訳して逆輸入である。
どっかのだまされやすい
お花畑な善人(下手な悪人より100倍厄介)か、
善人ヅラの裏で
日本への
悪意満ち満ちた
嘘つきたちの手によって。
またこんなのも、
「土匪之為メ惨殺サレタル鮮人・幼児」と元写真に手書きの表題がある。
「土匪」とは「
土着の
盗賊、無法集団」なので
現地中国人のことだ。
↓が、それが、
このとある某
中国人経営者のメルマガ系ブログでは、
その肝心の
「土匪うんたら」部分がさくっとトリミングで削られて、
しれっと
「日本兵に惨殺された子供達」のキャプションが。
取り違えとか無知とか勘違いじゃなく、明確な
「捏造したれ」っつう
悪意。
正確にはこの
宋という男ではなく、
宋の絶賛する
反日媚中映画制作者
クリス・ネーベの
悪意だろうけども。いやあえて承知のうえで乗っかった
事後共犯かもしれない。
とにかくこういうちまちま細かな刷り込みが膨大なんである。
ちなみに上のインチキ画像は「
尖閣は中国領」的な宣伝映画の一部だ。製作会社の住所から
ハリウッド映画を強調、いかにも
全米が認めてるキリッっつう装いの。
クリス・ネーベといえば、
70-80年代に「
監獄レイプ24時間の恐怖」「
血に飢えた死体マニア」とか「
オカルトポルノ吸血女地獄」とか
変態Z級ムービーつくってたプロデューサー兼監督なんで、まーある意味
ギャップ萌えである。
“国際情勢()に開眼”した後の
ネーベには「
中国のチベット解放サイコー」とか「
731部隊悪いやつ」「
中国の都市ちょっマジかっけー」的な映画もある、
というか
2000年代からはそんなんばっか。タニマチもろ分かりすぎ
ネーベである。
ちなみに
宋のブログは写真にこんなお説教っぽいの↓が添えられている。

ふーん、インチキ受け入れ前提の和解なんていらんアルよ。
もし昨今の
新しい教科書をつくる会の宣言どおり
通州事件が
ユネスコ記憶遺産に登録申請された場合、先に登録された「
南京大虐殺の
証拠」とまるで同じ写真が、出典データ付きで「
通州事件の
証拠」として提出されるだろう。
2016.7.1追記/6月、「通州事件アーカイブズ設立基金」とチベット亡命政府OBが「通州事件」の関連報道や資料群を「20世紀中国大陸における政治暴力の記録」として共同申請。また反-反日団体「なでしこアクション」と在米日系人団体が「従軍慰安婦=性奴隷」論の矛盾と嘘を証明する当時の資料群をユネスコ記憶遺産に共同申請した。ちなみに中韓側の使った同じ写真が真逆の証拠になる模様。
が、それでガラッと風向き変わるかというとまだ難しい。
国際社会に寄生中の
人権ビジネス産業では、
真実なんてどうでもよくというか本音いえば
人権もどうでもよくて、
「南京大虐殺」は
「従軍慰安婦問題」とともに
ジャップにたかれる、もしくはたんまりロビー費ゲットできる便利な打ち出の小槌である。
だから、どんな反論しようが
「歴史と向き合え」と自動音声で返すだけなのは内緒だ。
なので真実さえ知らせれば「ああっそうだったのかー」とみんな目がさめて解決、するわけもなく、むしろ激しく逆ギレするだけだ。メシのタネだし。
“証拠”の
朝日新聞記事が撤回されても開き直る
ラディカ・クマラスワミ@
従軍慰安婦は性奴隷()、
南京大虐殺()を
世界記憶遺産にした
ユネスコ、そしてつい最近わらわらわいてる
国連の人権条約に基づく拷問禁止委略して
国連の方から来た人権委@“日韓慰安婦合意見直し勧告()”、
ジョゼフ・ケナタッチ@“共謀罪で人権ガー()”、
デビッド・ケイ@“表現の自由ガー()”とかの
国連の方から来ました詐欺師特別報告者、
反日ロビイスト
ヒューマンライツ・ナウ──
──手口から逆ギレ含む行動様式までまさにテンプレのまま。
まるでマニュアルでもあるかのように。
この界隈ではどんな正論言おうが真実知らせようが論破しようが証拠突きつけようが一切コミュニケーションとれない。
通じる唯一の言語は
人間愛や
真実や
証拠じゃなく、
ゼニカネ損得勘定だけなんで。
だから
人権ビジネス業界は、現在進行形で人権蹂躙中の国々には決してなんにも言わない。カネになんないんで。てかスポンサーだし。
彼らが正義の刃を振りかざす悪の帝国は安心安全にたかれる
日本だけだ。
「その
“人権商品”に一枚噛んでも
一銭にもならんし逆に
損する」という状況にするのが唯一の解決法だ。
あれだけ傲慢に振る舞っていた
ユネスコが、
日本が拠出金をちょろっと止めただけであっというまに腰砕けになった(そしてお仲間が「政治利用ガー」と騒ぐとこまでテンプレ)。以前はそれすらできない環境だった。
いまやっと、人権屋にやられっぱなしだった
日本が最低限の防御できるようになってきたところ。まだまだ除染は遠いんである。
この
通州事件や
済南事件@1928年の
日本人虐殺や
中国軍が
中国民間人を
虐殺した写真が、ちょちょいっと合成、切り貼り、都合のいいキャプション掛け替えで、


「731部隊」「南京大虐殺」の“
証拠”に早変わり。
中国国民党と
中国共産党と国内外の
“反戦平和主義者()”たちの
反日プロパガンダに
“流用”され、
犠牲者は
二度殺された。
ガチャンッ
キリキリキリキリ…
キリキリキリキリ…そして──

時計の針は
終戦後へとまた巻き戻り──
mid-Sept, 19461946年 昭和21年
9月上旬
2 year 9 months ago from ‘Shimoyama Incident’──下山事件の
33か月前Occupied Tokyo占領下東京
「
日本へようこそ、ミス
ニイタカ」
「初めまして。
GHQ/SCAP公安課の
ユージン・ハットリ中尉です」
「ミスター
ドーマンからあなたのサポートを仰せつかっています」
「飛行時間が長かったしお疲れでしょう。車で宿舎に案内しますので……ん?」

「おや、ミス
ニイタカ、どうされ──」



「…………」

「よろしければお使いください」
「ありがとう、
中尉。優しいんですね」
「いえ……」
「改めて初めまして、
ハットリ中尉。
ヤヨイ-カトリーヌ・ニイタカと申します。
会って早々にお見苦しい姿を見せてしまいました」
「少しも見苦しいことではありませんよ。では宿舎で一旦休息を」
「疲れていませんから、このまま
総司令部へ向かいましょう。
この国にはもうゆっくり休んでいる猶予はないですから」
ガチャガチャッ
キリキリキリキリキリ
キリキリキリキリmid-Aug, 19491949年 昭和24年
8月中旬──
After one and a half months from ‘Shimoyama Incident’──下山事件から
1か月半後
「
梅代さんのことはよく覚えています」
「
終戦直後、
梅代さんは
女学校の
教え子たちを引率して、

混乱する
満州を脱出し、
半島を経て
日本を目指しました。
ほかの
数百万の
引揚者と同じように」
日本降伏直後の
在外邦人引揚事業は史上空前の大規模かつ猛速の民族大移動だった。
日本に残っていた
艦船、
アメリカの貸与した
輸送船・
揚陸艦200隻がフル稼動、
1949年までに
外地から
630万人が
日本に帰国したが、
ソ連軍の
奴隷にされた
シベリア抑留者はその後も帰れず、
引揚事業はじつに
昭和33年まで続いた。
だが
外地の統治機構は霧散。秩序だった引き揚げなんて望めず、
船は出すから港まではおまえら自力で来い、な状態で。
とくに荒れ狂う
大陸からは、命からがらの逃避行だった。
引揚船のなかで
力尽きた者も多く。

家族をすべて
亡くし、親の骨壷ひとつ下げた幼い
引揚者もいた。

どうしろっちゅうねん
外地で生きてきた者は、ほとんど着の身着のままで故郷を追われ、
辿り着いた
日本こそ見知らぬ
異国だった。
なにもかも
外地に残してきた
引揚者は
財産も失い、
日本には
地縁もなく。

そしてもうひとつの
深刻な被害──「
外地は
無法地帯だった」

「
梅代さんと
少女たちにも苛酷な
苦難が待ち受けていたのです」
≫ 続きを読む *2017.08.22update