さて、
義景生きてた頃の勢力分布は↓こんな感じ。

この
朝倉家は、
戦国大名第1号といわれてる。自分の主人を追い出して
越前守護になって
下克上、社是いや家訓として「
門閥否定」「
実力主義」を標榜したいわばパイオニアなんである。
百年王国の首都・一乗谷その越前
朝倉家が武も文も工も豊かに発展して、
百年王国になろうって頃、当主になったのが
義景@弱冠15歳。
のちに使えねえ呼ばわりされる
勃たずの人生が始まる。
【勃たず序幕】
とても立派だったらしい朝倉館、の跡先代の家来もいてそれなりに優秀でなんとかなってたんだが、
ケチのつきはじめは、室町幕府の政争に負けて亡命してきた
足利義昭から、
「上洛して余を将軍にしてくれ」
と頼まれたとき。
足利義昭マグカップ1200円/ひこね街の駅 戦国丸このとき
朝倉義景@33歳。迷惑顔。
「そんなの大変そうじゃないか。柄じゃないし」
なんてのらりんくらりんしてるうちに、
瞬速で
義昭の話に乗ったのが、美濃を征服して売り出し中の
織田信長。
岐阜駅前で金粉ショーを演じる信長公信長はさっさと京都に乗り込んでさっさと抵抗勢力を追い出すと、
義昭を室町将軍に仕立て、信長は幕府を牛耳るお得なポジションにつく。
義景、別にやる気なかったけど
なんか損した気分。
「名門じゃぞえ」というプライドもめらっとくる。
「なんじゃなんじゃ、織田なんてうちの元主人だった斯波の家来の家来じゃないか。うちは直接家来だったからおまえらより偉いんだ」
そんなの
目くそ鼻くそだが、まあ本人には巨大な違いだろう<しかし
朝倉の門閥にこだわらない家訓はどこへ?
将軍の権威を借りた
信長の
「挨拶に来い」当然も無視。すると
上意違反の名目で激しく侵攻されることに。いきなりピンチ。
しかしここで
信長の妹婿
浅井長政@戦国一の美人妻お市の方の亭主を、

先々代からのよしみで裏切らせるのに成功。
挟み撃ちのチャンスだ。
朝倉まつり 毎年8月開催@一乗谷ずばばばーん!と、ここまではまあ上々の出来。
が、
【勃たず二幕】
退却する
信長と
織田軍をそこそこ追いかけて、
「よしこれで越前の危機は去った、さー帰ろ帰ろ」
朝倉軍あっさり引き揚げちまった。
決死の覚悟で寝返った
浅井長政、
「おいっ、ふつーここで帰るかあ!?
おれ寝返った意味ねえざん!」地団駄踏むのだが。
結果的に
浅井長政の寝返りは、
信長を
びっくりさせただけ、に終わる。
たった2ヶ月後に、さっそくそのしっぺ返し。
【勃たず三幕】
「復讐するは我にあり」
織田信長が
浅井長政の領国
北近江に侵攻してきたんである。早えーよ。
朝倉義景としては立場上、浅井に加勢しないといけない。
姉川の戦い 朝倉・浅井連合VS織田・徳川連合
前半戦は優勢、でも後半フルボッコ
以後、
朝倉と
浅井は、
武田信玄や
石山本願寺、
足利義昭@信長とスピード破局、
比叡山延暦寺と組んで
「信長包囲網」を結成するんだが、
同盟仲間からすると
朝倉っていまいちアテにならんというか、すぐ休戦して引き揚げるわなかなか出てこなくて来たと思ったら帰るわ戦うべき時に戦わんわなんか
本当にやる気あんのか?な消極ぶりである。
【勃たず四幕】
ここで
武田信玄がカタをつけるべく提案。
山梨県みやげ信玄土鈴「西から
朝倉・浅井、東から
武田で、
織田を挟み撃ちにしてくりょう」
「それはよき作戦。(おれはいるだけでいいんだよね)」義景は応じて出兵。
さっそく東から攻めた
信玄は
三方原の戦いで
信長の舎弟
徳川家康を木っ端みじんに粉砕。
「ようし、さ、朝倉どの、次は貴公が西から攻…」と目を向
朝倉軍いなーい。また
越前に帰っちゃった。
「てっめーこら、なに帰ってるんだよ!」
信玄入道怒髪天毛ねえけど。
義景、とくに悪びれず、
「あ、いや雪が降ると大変だから。信玄入道、あとお願い候。春になったらまた来るんで」
「こンの
バカ倉!」
信玄入道、
怒髪天すぎて陣中で死んでしまいました。いや本当は胃の病気かなんかだったらしいけど。
おかげでちっと危なかった
信長はホッ、東の
武田を当面心配しなくてよくなる。

もーね、全力もって
朝倉・浅井をぶっ潰せるわけである。
「え? あれ?
やばい? ひょっとして?」義景、やっと慌て出すがとっくに手遅れ。
【勃たず五幕】
じつを言うとここまでの合戦の数々、
義景本人はほんのちびっとしか出陣してない。
朝倉家には、
「当主が出陣するなんて恥ずかしい也」という変なしきたりがいつの間にかあって、
現場に行くのはたいてい親戚や家老だったりするから。
だめだこりゃ─いかりや長介自伝パイオニアのはずが100年のうちにどうしようもないガチガチの老舗になってた。そんなんで
全身戦争家信長に勝てるはずもない。
信長が信長包囲網に囲まれた
元亀争乱をサバイバルできたのは、じつに敵陣営でこの
義景がサボってくれたおかげありがとうそしてさようなら
義景。
いちおうバカ殿ではなく、
武田戦術とか勉強してたみたいだし、謀略めぐらせて
若狭国をうまく牛耳ったり、いろいろ外交も力入れてたらしい。
でもいかんせん
戦争の本番で役に立たなかった。
逆に
信長の方はなんにしろ電撃的に超迅速。
信玄入道が死んでたった4ヶ月後、
大兵力の織田軍3万に、いきなり
浅井長政の
小谷城が囲まれた。もはや風前の灯火。あきらかに最終決戦の匂いである。
【勃たず六幕】
「ナッキーを助くるぞ!」
なぜか今頃になって
義景はヘンにやる気十分で、
家来の反対を押し切って、自ら軍2万を引き連れて救援に向かう。
でも2万といっても昔ながらの
季節雇いの百姓兵ばかり。
しかも何回もシクってそのたびに家運を傾けてきたもんだからもはや殿様としても信頼度激低で、
「
いやー体がだるくて起きれなくて」とかいって出てこない武将たち続出。
対して
織田軍は365日戦う
常備軍プロ揃い。
もう戦わずして負けてる。
朝倉まつり 毎年8月開催@一乗谷まあともあれ
朝倉軍は
小谷城の近くまで進軍してきた。
おお、さすがに
今度こそ戦うか、
と思いきや、
織田軍がちこっと動いたとたん、
青くなって何もせんまま全員退却。何しに来たんだ。
ヨッシー(-_-;
【勃たず七幕】
しゃて撤退戦というのはじつに難しいらしく。
まあ経験もろくにない
ヨッシーごときにそんな高度な芸当できっこないわけで、退却というより
てんでばらばらの壊走。
「
先にあのクソ馬鹿野郎をぶっつぶす!」
信長自ら先頭立って追いかける
織田軍からすれば入れ食い状態で、
朝倉軍サクサク討ち取られる。
落ち武者カツラ矢付き1890円
【勃たず八幕】
それでもなんとか逃げ切れるかも、くらいには距離が開いた。
ところが、何を思ったか
ヨッシーは、
途中で休憩して、
なんと会議を開くんである。
「どうしようかの、戦おうかの、逃げようかの」
てか殿、そんな悠長なこといってる間にアドバンテージ失われます。
当然、
織田軍に追いつかれ。
もう取り返しつかないくらい壊走。
落ち武者カツラ矢付き1890円義景は必死こいて逃げるが、あとはまー爽快なほど
全滅。2万人もいたのに
残ったのは10人くらい。やられ杉だろ。それこそ這々の体で一乗谷にたどり着く。
これが、
最終決戦におけるヨッシーの華麗なる全戦績だ。ただ来て、戦わず、涙目で逃げ帰っただけ。
朝倉兵が討たれまくった刀根坂でも今回は負けましたねしょぼんだけでは済まない。
織田軍そのまま勢いのって越前に侵攻。一乗谷へと迫る。
家来もとっくに逃げたし、寝返って道案内するやつまでいて、もうだめぽ(古語)。
【勃たず九幕】
すっかりヘコんだ
義景は、重臣でイトコの
朝倉景鏡(かげあきら)に勧められて、その領地へと家族連れで逃げ落ち
れずに、信頼してたイトコ
景鏡にあっさり寝返られて、
切腹させられる羽目になる。
新正堂 切腹最中 190円 >母親も側室も可愛い子どもんたらも哀れ
処刑皆殺し。
産業文化も栄えてた城下町一乗谷は放火されて
三日三晩燃えまくった。
百年王国終了。このあと
織田軍はとって返して、
ついでのように
小谷城も陥落させる。
小谷城陥落 双葉社 CG日本史シリーズ6戦国大攻城戦
こっちは
長政と戦国一の美人妻お市の方の悲しい別れ、

とかドラマいろいろ満載で、それこそ見飽きたわってくらい愁嘆たっぷり描かれるんだが…。
たった数日前のもっと大カタストロフな
朝倉滅亡はたいてい
スルー。
まあ上の滅びっぷりじゃ哀愁を通り越してヘタレすぎて絵にならんのである。
最近歴史考証の新しさがウケてるマンガ『
センゴク』
>では珍しく
朝倉義景の最期までねちねちっこく描いていたけれど、やっぱり
ひ弱なマザコン中年だった。福井県民ちと不機嫌。
▽理想像
三国祭りのめっさ強そうな義景さん山車まあ結果知ってる現代人の目から見ると、なんつー使えんお坊ちゃんじゃ、ということになるけど、
ちょっとだけ
義景の言い分もある。
どの「
勃たず」も当時の常識からそんな外れてない。
天下布武なる長期目標でキャリアプラン立てて動いたのは
織田信長しかいないし、せいぜい小競り合いでガチは避けるのがまあ優秀な戦国大名だった。
だから
信長や
信玄のように振る舞えませんでしたってだけで
義景を低能扱いはちっと可哀想な気がしないでもない。
毛利や
上杉、
薩摩島津、
伊達なんてお馴染みの面々だって
信長が生きてたらやっぱし滅ぼされてたはずで。
ヨッシーの不運はたまたま
信長の手近にいたってのがいちばん大きい。
そう、だからぼくバカじゃない【勃たず終幕】
朝倉義景、辞世の句のはじめは、
「
七転八倒」
いまわの際もまた
義景らしく。
切腹したものの、
誰も介錯してくれなくて死にきれずに辞世の句そのままのたうち回る、とても痛そうな最期。

享年41歳。
「がっははは、おまえらも金粉ショーじゃ」信長は
義景と
浅井久政・長政父子のドクロに金粉つけて盃にした(飲みにくい)。
金粉ドクロこと薄濃(はくだみ老舗大手の
朝倉をたった10日弱で叩きつぶした
信長は、全国から「
強え」と驚かれることになった。
*年表で見る戦国時代 腰の重い越前の大名 朝倉義景 >
*戦国大名越前朝倉氏 >
*CG日本史シリーズ6戦国大攻城戦(双葉社) >
*元亀争乱 >
*NHK大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」>