【事件激情】ウルトラ 最終便 終段─続々々【スターリン暗殺説】








【事件激情】ウルトラ 最終便 終段─続々々【スターリン暗殺説】
「死がすべてを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのである」
──────────────────────────ヨシフ・スターリン


「横浜でもらった暗号文の解読結果、それと養兄のくれた手紙や文書を合わせた結果、ぼやっとですがいろいろとつながったような気がします」


「ニイタカさんがモスクワへ渡ったあと、なにが起きたか」



「そして、わたしはニイタカさんの何なのか?」

広げすぎた大風呂敷がついに畳まれる(はず)。
そこらじゅうにばらまいた伏線は漏れなく回収できるのか?
登場する事件テロ紛争戦争、その捜査活動は公表された情報に基づく。
黒字の人物・赤字の人物・紫字の人物および各国の機関団体部局は実在する。
白鳥百合子、ニイタカ乃至カーチャらこの文字色は架空の人物であり、
実在する人物との関わりも、根拠は創造にしてソースは妄想だが、ある意図がある。







手紙、電文による暗号文は日付は1949年末から1953年4月頃まで。
ニイタカ名義による発信がほとんどだったが、
1953年3月以降、最後の4通はニイタカ本人の名ではなく、


“ボロジン”と“インガ”という現地協力者の男女2人の発信となっていた。
この2人は協力者のなかでもニイタカとの関係が強く、
ネットワークのハブ的存在というか補佐心得的に動いていた。
「どの国にもどの時代にも、コキ使われて絶頂ですみたいなドMはいたんですね」



「たとえばケナン教授やパーシー卿やハットリ中尉やわたしの養父とか黄金町の弁護士先生とか警視みたいに」
「さらっと俺をドMの列に混ぜるな」


モスクワでニイタカは「ミーシォン-エカチェリーナ・シガォ」と名乗っていた。
日本で名乗ったニイタカ・ヤヨイ-カトリーヌをロシア語風中国語風の読みに置き換えただけである。大胆と言えば大胆。


ソ連の情報機関「*NKVD」と軍情報部「**GRU」は、米英および日本(GHQ/SCAP含む)の上級職や諜報部門の中枢にまで

* NKVD 内務人民委員部 KGBの前身
** GRU 連邦軍参謀本部情報総局 特殊部隊スペツナズも麾下にある 日本で活動したスパイリヒャルト・ゾルゲはGRUの手下だった
*** DUPES 本来の単語の意味は「間抜け」「おバカ」。反戦や人権、逆に差別的な優生学や白人優位などへの左右に偏った思い入れを共産主義者にうまく転がされて「本人気づかないまま(無自覚)の協力者」と化したお人好しを指す。生息域は政界から芸能界、文壇まで幅広い。大統領のルーズベルト、カーター、レーガン、映画界のチャップリン、ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール、キャサリン・ヘプバーン、作家のH.G. ウェルズ、バーナード・ショーなどが間抜け例に挙げられている
だが終戦後から米英側の極秘作戦「ヴェノナ」によってエージェント組織を次々と潰されており、米英日のスパイ狩り作戦をマネージした正体不明だが「国籍不詳のスパイ某」の存在までは掴んでいた。*【ウルトラ 9機目-中段】
というか手がかりはそれだけで、人種や年齢、容貌も分からない、その組織たるや片鱗すらつかめない。というかそんなゴーストのような組織が本当に実在するのかどうかも。


ソ連スパイ網は壊滅状態に陥っていたが、かろうじて息してる者もいる。
が、危険を犯して
「国籍不明の大物 スパイ某」の動かしているのは、既存のインテリジェンスコミュニティとまったくリンクしない隔離された集団のようなのだ。そういう相手にはソ連の誇る


とにかくNKVDとGRUは暗殺部隊を西側諸国に放って、サーチアンドデストロイを狙い続けていた。ちーとも見つからんが。
なぜって当の「国籍不明の大物スパイ某」はまさに目と鼻の先、モスクワにいたわけで。


“カーチャ”ことニイタカは中国系ロシア人になりすまし、中華人民共和国の在モスクワ大使館に秘書兼通訳係の職員として入り込んでいた。


当時、ソ連中国は社会主義陣営の二強として、資本主義陣営つまりアメリカその他との冷戦にどっぷり浸かり始めていて、もろもろ一蓮托生である。それでもスターリン当人は毛沢東を小者と見下し、恫喝気味に振る舞ってた模様。ちなみにスターリンは北ベトナムのホー・チ・ミンも露骨にバカにして煽るような嫌がらせをして喜んでいた。
スターリンがじっさいにマブダチ感もってリスペクトしてたのはむしろ、


のちの宿敵となるナチスドイツ総統アドルフ・ヒトラーだった。
「ナチス」とはじつは「国家社会主義ドイツ労働者党 Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」の頭文字がもとになっている。「ソビエト(労働者・農民・兵士代表評議会)社会主義」とは、相容れない主義同士そうでじつは意外と根っこで親戚みたいなもんである。
さらにちなみに「ナチス Nazi」は敵から目線の蔑称で、「ジャップ Jap」とか「ネトウヨ」とかと同じ。ナチス本人は「おらナチス」とは言わない。
ナチスが反共を堂々と掲げてるにもかかわらず、じっさいソ連とは欧州のハブられ仲間として意外と仲良しだったんである。ドイツがWW1の敗戦国として課せられた軍備制限をかいくぐって内緒で再軍備をはかったときもソ連は協力したし、獲物は山分けしようぜとか、独ソ不可侵条約むすぼうぜとか武器の融通し合おうぜとか、
ドイツ軍が欧州で無双してる間もソ連とはウィンウィンが続いていたんである。


「おれらヨッシー、アドルーって呼び合う仲だからね!ドヤ顔」
ただこれはヨッシーの片想いでアドルーのほうはまるで逆だったのは、


その後の【バルバロッサ作戦】が完膚なきまでにQEDしてくださるわけであるが。
さらにちなみに社会主義とか共産主義とか入れ乱れてるけどなんやねん違うもんかいな、って思うかもしれない。
めんどいので1行で言うと、


セイゴとスズキみたいな?
あとは略。どっちにしろ空虚かつハタ迷惑な屁理屈でしかないんでどれも胡散臭い「情報商材」みたいなもんと思っとけばよろし。「1万円を元手に1億万円稼ぐ!」ああいうのと同じだ。
とにかく「シガォ」女史ことニイタカは戦前から中国ソ連に構築していた人脈をフル活用して急速に浸透を深めていった。


彼女は両親の血筋から英国、日本、スラブ系ロシア、フィン系エストニア、インド系アーリア、仏印インドシナ──多人種の血を受け継いでいた。
多人種が融合していたこともあって彼女の容貌はどの国の女にも見えたし、
一方でどの国の女かもはっきりしなかった。


だから身分をカモフラージュするのも容易かったようだ。
ニイタカは巧みにモスクワの政官界に浸透し、中国共産党及びソ連共産党のかなり上層部に気に入られ重用されていたらしい。
だから彼女には多くの特権が与えられ、モスクワ市内で比較的自由に行動することができたようだ。


ニイタカは慎重に工作ネットワーク構築に努めた。関係者にどうやって接近浸透し、どこの誰をどのように懐柔していったかはボロジンもインガも知らない。


ソ連中国の治安機関は「共産スパイ狩りの司令官カマンジール」を血眼になって世界中を捜す一方で、目の前で微笑む美しい大使館員「エカチェリーナ“カーチャ”-ミーシォン・シガォ」を疑いすらしていなかった。


ほんの数年前まで彼女はヴェノナ作戦のブレーンとして暗躍*【ウルトラ 9機目-中段】、日本でもまたGHQ/SCAPウィロビー少将のレッドパージの裏で暗躍*【ウルトラ 9機目-上段】、ソ連の息のかかった共産主義者やシンパどもを血祭りにあげていたんだが。
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ヽっ \ | / ノ /
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しかもまるで煽るかのように容姿もほぼ変えないままで、ちょろっと発音いじっただけの名前を使っていたにもかかわらず。
ソ連の防諜部門は「初老以上の男」「軍もしくは情報機関出身者」をイメージしてたんで、「40代未満」の「女」など視界に入っても認識すらされなかったんである。
東側陣営の防諜部はニイタカの組織の末端スパイの尻尾すらつかめなかった。組織はどの国の政府とも情報機関とも接続してなかったからだ。
もちろん彼女の目的が「赤い皇帝ツァーリ」の強制終了だったことも知りもしない。
1 марта 1953 г.
1th March, 1953
1953年3月1日
昭和28年
воскресенье
Sunday
日曜日


Кремль
Бывший Императорский Русский Дворец и Советская Коммунистическая Партия
Kremlin, Former Imperial Russian Palace and the Soviet Communist Party
旧ロシア皇帝宮殿にしてソ連共産党の中央政庁クレムリン


、から西へ数ブロック離れた郊外寄りのクンツェヴォ区、
この一画に最高指導者スターリンの私邸ダーチャはある。
ダーチャというのは「農園付き別荘」のことで、おもに帝政ロシア貴族のセカンドハウスを指す。日本だと江戸における大名屋敷みたいな感覚。
のちのちダーチャは大衆化して特権感は低くなるんだけども、この頃はまだステイタス高おである。あえて宮殿っぽいラァグジュアリイイイじゃなく、田園の領主の館みたいな素朴なつくりにしてるのが粋なんだそうだ。けっ鼻につくぜ。


ロマノフ朝を滅亡させといて皇宮クレムリンをまんまてめーらの本拠地にしたり、共産党幹部が貴族に成り代わってダーチャの特権も享受したり。
帝政を倒して社会主義爆誕!と口では言ってはいるけども、
フタ開けたら実態的も気持ち的にも単に古い王朝を滅ぼした勢力によって新王朝が開かれて新皇帝と新貴族が入れ替わりました、
っつうのとじつは大差ないウラー!


そのへん中国共産党も似たようなもん。いやもっとどいひーというか。
じっさい毛沢東からして「*党中央委員会主席」である自分を、


「中華を統べる皇帝」と認識していたという書簡が残っている。
もちろんひきつづき人民なんて虫けらみたいなもんである。

* 党主席(党首)は国より上に党がある中国らしく国家主席よりも序列は上になる。結局胡耀邦を最後に1982年で廃止になり、「中央委員会総書記」がいちおうの序列1位扱いの集団指導体制となった。習近平が党主席を復活&就任しようと画策中
輝かしい「革命」の実態はどの国もそんなもんだった。
共産主義がうまくいって幸せをもたらした国は、地球誕生以来ひとつもない。
Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин
Joseph Stalin
ヨシフ・スターリン



ソビエト連邦最高指導者 兼 同首相 兼 同共産党書記長 兼 同人民委員会議議長
共産主義陣営のトップオブザトップオブザトップオブザトッ以下略ソビエト社会主義共和国連邦の最高指導者にして全世界の全共産党を統べる国際組織「コミンテルン」改め「コミンフォルム」の絶対的領袖。
人呼んで “赤い皇帝ツァーリ”
20世紀日本を見舞ったありとあらゆる(少なくとも【ウルトラ】内の)不幸は、すべてこのスターリンという邪悪なグルジア人から発したと言っても過言ではなく、


【ウルトラ】の裏主人公ニイタカがどうやってその落とし前をつけるか、やはり最後の最後でしめくくるのをすーかり忘れてたらないわけにはいかないんである。
もう「最終便」で「終段」にもかかわらず往生際悪く「続々々」まで引っ張りまくってる言い訳だが、じつは「続々々々」まで引っ張るんである。
ちなみに「スターリン」は芸名だ。「鋼鉄の人」ってかっこよさげな意味ウラー!
本名はジュガシヴィリ言いにくい。パパは零細靴職人、ママは農奴の娘。ド下流の貧乏人の子だった思えば遠くへ来たもんだ。


ついでにリアル現実スターリンは、よくみるおなじみの写真や肖像画の威風堂々恰幅よしおではない。あれはかっこよく見えるようにアプリ、はまだないけど思いっきし画像補正して盛りまくってるんである。


じゃリアル現実のスターリンはっつうと。
実像はやせっぽちで貧相な小男でシークレットブーツ常時装着。顔は痘瘡のあばただらけのぼろぼろで、左手は子供時代のケガで麻痺してまったく動かせなかった。


アメリカ大統領ルーズベルトが車椅子の障害者だったのを徹底報道規制して国民に隠してたことといい、
映像メディアが発展途上だった時代だからこそのイケメン権力者演出である。



晩年のスターリンはほとんどこの郊外の私邸ダーチャから出ないでほぼひきこもってたんで、ここクンツェヴォが事実上のソ連の最高権力所在地である。
妻は20年前に自殺してしまい、2男1女との親子関係はいびつで結局遠ざけてしまって身の回りには家族すらおらず、この邸宅には住んでるのはスターリンと使用人たち、当直の警護隊だけである。


1 марта полночь
1st March, midnight
3月1日 夜半──


スターリンは最高幹部たちと朝まで完徹のご会食というか飲み会がお好みだ。


さらに幹部たちをべろべろに泥酔させるのもお好みで。
スターリンは昼起きて夜明け近くに寝る習慣で、好きなように寝坊できるから徹夜もへっちゃらだが、子分衆は朝早く仕事しなきゃいけないんで、つねに寝不足で大迷惑である。
が、スターリンに眠いし二日酔いで大迷惑ですなんて苦情言えるやつなんていない。


同志スターリン曰く「朕の周りの者はことごとく敵である」
ただでさえそんなんだったスターリンは年々どんどん被害妄想が肥大、最晩年にはわりと認知症も入ったらしく。周りの誰も信用せず血を分けた子供たちにすら心を許さず、暗殺や謀反を病的におそれるようになっていた。ダーチャは軍隊に攻められても半月くらいは守り切れる要塞化していたし、毒盛られないよう自分の食材専用の農場のものだけを使わせ、必ず毒味させたものだけを口にした。


この夜、ソ連共産党の最高決定機関「幹部会」10人のうち5人@スターリン含むが殿の飲み会に集って乾杯。

その顔ぶれは↓


Лавре́нтий Па́влович Бе́рия
Lavrentij Pavlovich Berija
ラブレンチー・ベリヤ
ベリヤは一般警察と秘密警察と外国諜報部門と強制収容所ぜんぶ乗せという最強官憲NKVD@内務人民委員部の長官として、


官軍民の大粛清とか、属国属州や少数民族の虐殺とかとか、日本兵ドイツ兵捕虜や政治犯少数民族の奴隷化とかとかとかスターリン治世下の悪名高き所行の数々、


さらにヴェノナ文書 *【9機目】でおなじみ共産スパイ網の親分にして、米国のマンハッタン計画のパクリからの原爆開発まで一手に引き受けてきた「真っ黒い男」である。


Георгий Максимилианович Маленков
Georgy Maximilianovich Malenkov
ゲオルギー・マレンコフ


Николай Александрович Булганин
Nikolai Aleksandrovich Bulganin
ニコライ・ブルガーニン


Ники́та Серге́евич Хрущёв
Nikita Sergeyevich Khrushchev
ニキータ・フルシチョフ
フルシチョフはベリヤやマレンコフの新たなライバルとして絶賛急上昇中の新興勢力。
4人とも副首相かそれに準ずる地位にあり、この夜のソ連てっぺんにいちばん近いカルテットである。「この夜」ってのはスターリン治世下ではいつ失脚(=死刑)するかわからんから。あくまで「この夜は」でしかない。

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さてこのうちいま普通水準の日本人が聞き覚えのある名前はかろうじてスターリン、いちおう世界史の駆け足授業の戦後部分を覚えてる人ならフルシチョフくらいで、ベリヤはかなり怪しいんじゃないかしゃん。マレンコフとブルガーニンはわしも知らんかったしな。ブルガーニンなんてはじめブルガニア人と思い込んでたし。

と付け焼き刃を開き直る【事件激情】である。
──ってくらい正直言ってどいつもこいつも、世界最大国土、人口2億1千万人の赤い超大国を仕切るには小粒ぞろい。それなりの器を持つ大粒は大粛清と権力闘争で殺し尽くされてことごとくいなくなっていた。
なので暴君の下で足の引っ張り合いする内ゲバ部分だけ磨かれた連中しかいない。

手前スターリン、左からマレンコフ、ベリヤ、ブルガーニン

ちなみに、スターリンはソビエト連邦内の“格下民族”扱いのグルジア人、ベリヤはグルジア内のさらに“格下”の少数民族ミングレル人、マレンコフはマケドニア移民、フルシチョフはウクライナ人。いちおう狭義のロシア人はブルガーニンのみ。
並べると、ブルガーニンだけ「ザ・ロシア人」って風貌、あとは…人種の違いだけじゃなくて、なんか…変だ。ってかマレンコフは顎と首の境界線をなんとかしろ。
ロシアの属国属州から成り上がった連中が牛耳るのが50'sソ連だった。


ここまで出世しても、“絶対君主同志”スターリンのご機嫌を損ねたり政敵の罠にかかって銃殺かシベリア送り二択になるか分からない。
今夜呼ばれた4人組だっていつ一発アウトで「反革命分子」にされるか分かったもんじゃなく、日々びくびくしてるのだった。


フルシチョフたち、ベリヤが子飼いの秘密警察を使って
自分たちを逮捕させるんじゃないかとか継続的に震える。


そういうベリヤですら政敵たちの仕掛けた反ユダヤ摘発キャンペーンで黄信号が点滅し始めていた。ベリヤの子分たちにはユダヤ系が多かったからである。スターリンが長年の懐刀ベリヤを近日粛清予定、とも噂されていた。



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一方、“同志皇帝”スターリンも圧倒的に強い立場なのに、べつの恐怖にふるえている。
*“Calm Down Stalin(落ち着けスターリン)”



「下克上こわい」
* “Calm Down Stalin”はスターリンを操作して核戦争を防ぐブラッキーな海外版ゲーム。レビューは大不評だが、意外と当時のスターリンの精神はこんなカオスな感じだったろう、とさえ思う
自分も血で血を洗う権力闘争をサバイバルしてここまでのぼりつめたからして。当然のごとくパラノイアな猜疑心の塊で、みんながおれの首を狙ってる、というもはや異常者の域までいっちゃった強迫観念に囚われている。
問題はその異常者目線を外世界に対しても同じように持ってたことで、基本的に冷戦におけるソ連の行動原理は「みんなで世界革命」なんかじゃなくて、


「囲まれてしまった」
というロシアの原初的な恐怖、これ一点である。


そういうデンジャラスなメンタルの男が、
このとき核攻撃のボタンを握ってたんである。
そういう「臆病な独裁者」のねじくれた思考回路をアメリカ人は理解できず、
スターリン以降も半世紀にわたる地獄のチキンレースが延々と続くんである。
例のジョージ・ケナンはじめ西側陣営の超絶優秀な頭脳が頑張って考えてもどうしてもソ連の行動の真意がつかめなかったのは、



「まさかそんなアホなことが理由だなんて、ひょっとして、いやまさかね」
と優秀な頭脳だけに裏の裏を勘ぐりすぎたからである。裏の裏の読み過ぎっつうか。


分かりやすいのはソ連のアフガニスタン侵攻の理由。西側陣営の戦略家たちは「アラビア海そして太平洋への橋頭堡をつくろうとしている」と推理したけども、
じっさいにソ連共産党の動機はそんな積極的なものではなく、アフガンの左派政権が瓦解してアメリカの傀儡でも置かれて米軍駐留なんぞされたら、ソ連南部のイスラム系のなんとかスタンが陸続きで直接西側陣営と対峙する羽目になる、それに恐怖したから、という意外なしょぼさがソ連解散後に明らかとなった。
ちなみに、



「スターリンは悪党だったけど、初代レーニンは赤い聖人でした」
となぜか力説したがってる人もいまだいたりするんだが、
まったく絶対そんなことは金輪際ないんでそういう詐欺にだまされんように。
初代最高指導者レーニンもスターリンと大差ない権力欲にまみれたDQN野郎だった。スターリンの恐怖政治の象徴「秘密警察」「強制収容所」「粛清」の原型をつくった不幸の元凶はレーニンである。
権力志向まみれのゴロツキどもが始めたのがロシア共産党の素顔だった。



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令和日本に生きるワシら未来人は、ソ連が1991年にあっけなく滅亡したのは知ってるわけだが、つまりソ連がソ連として存続できたのはこの1953年から数えると40年弱である。建国から70年の寿命だった。
これを「70年しか」とみるか「70年も」とみるか微妙。
ソ連が勢いよかったのは、第二次世界大戦後に占領した地域の生産設備やインフラを分捕って、数十万の日独捕虜を奴隷労働させて復興し始めた頃くらいまでだった。
冷戦中、超大国2強といいつつ、1970年代になる頃にはアメリカとソ連の経済規模比は4:1だった。資源豊富だからしてなんとか体面だけは保ててた状態である。
なのでソ連は経済力を重工業と軍需産業に全振り。軍事だけは核兵器の絶対絶滅の相互確証破壊力もあってアメリカとがっぷり四つに組んでにらみ合うことができた。
おかげで軍事以外はぼろんぼろんである。


*【ウルトラ 9機目-中段】のとおりCIAはじめ西側陣営のスパイ組織がことごとく間抜けすぎたのと、ソ連KGBの超絶有能さによって、諜報戦では西側負けっ放しである。たまに小さな局地戦でCIA側が勝った(ように見える)場合は、たいていKGBが大事な内通者が怪しまれず出世させるためにわざと負けるケースがほとんどだった。
ヴェノナ作戦や赤狩りののちも、KGBは米CIAや英SISの幹部クラスを寝返らせ、最重要機密を盗み放題だったのに対して、西側陣営は冷戦の終わるまでずっとまったくソ連の最深部に情報源を確保することができなかった。


だからスパイ映画とかスパイ小説とかで米ソが互角に虚々実々の諜報戦をくり広げるって図は、架空のフィクションの中にしかないファンタジーで。
実態の米ソ情報戦争は常にワンサイドゲームで、ソ連側はアメリカのなにからなにまで精確に把握していたが、アメリカ側はまったくソ連内部の、とくに経済の壊滅的な根腐れっぷりに最後まで気づけなかった。
鉄のカーテンの裏でソ連がやってたことはじつはリスカに次ぐリスカ、自殺行為に次ぐ自殺行為で、「大粛清」であれだけ人材を枯渇させといてよくまああのユナイテッドステイツ相手に半世紀も冷戦やり続けられたもんだ、と逆に感心である。
というと夢もロマンもまーたくないが、東西冷戦の実態はそんなもんである。
ただKGBがアメリカとの体力差を精確につかんだからこそ、ソ連はチキンレースをあきらめ、自ら勝手に自壊したのである。まーそのーある意味、CIAのお手柄というか。よくぞ全力で無能でいてくれたというか。
ただ、ソ連亡き後のロシア、そして中国にも相変わらず同じようにやられてるCIAの安心安定のザル状態は非常に不安ではあるけどが。
ほれ、つい最近も19年11月にもCIAエージェント李振成(Jerry Chun Shing Lee)のっつう中国との二重スパイ事件が発覚、英語圏中国語圏では大ニュースになった。しかしこいつなんとJTの関連法人の社員だったにもかかわらず、日本のマスコミではほとんど報道されていない。さすがマスコミ、我が国の有害無益代表である。




で、もういっぺん運命の1953年3月1日のモスクワに戻りますれば──


徹夜飲み会は同志スターリンがお眠むになったので
お開きになり、腰巾着たちようやく解放。


この寝室っつうのがなかなかにして偏執狂的な産物でありまして、
スターリンは独裁者末期のお約束で病的に暗殺をおそれていて。


分厚い鋼鉄の壁に囲まれ窓もない要塞みたいな安全地帯を造らせた。
この安置は分厚い鋼鉄の壁で完全に隔離され、内部には寝室が複数あって、スターリン自身が寝る直前にどの寝室で寝るかを決める。


安置への唯一の入口は、施錠すると外から解錠できるのは警護責任者だけが持つ鍵@複製不能のみ。そこを抜けても安置内部にはスターリンしか鍵を持っていない内扉が何重にもあって、扉も錠前も日に日に増やされている模様。
スターリンにとってはこの中だけが世界唯一の絶対安置である。
このがっちごちの超絶密室にいる独裁者をどう討ちはたすか。


ニイタカの出した解が、


バイナリ式毒薬ポイズンである。



2種類の無害な化合物を一定時間内に摂取させることで
体内で化学反応→致死毒化する。


かつてワシントンで大統領ルーズベルトを屠ったのと同じ暗殺手法。


【帝銀事件】の“推理”のひとつ、なぜ帝銀毒殺犯が第1薬を被害者たちの目の前で飲んで見せたのに生きていたか。その謎の答えとして、元TBSディレクター“報道のお春”こと吉永春子の唱えた「バイナリ式青酸化合物」と同じような仕組みだ。

“報道のお春”によりますれば、

帝銀事件の犯人がお手本として自ら被害者たちの目の前で飲んでみせた、
第1薬=「毒性なしの青酸化合物」、

つづいて犯人は口にせず被害者の銀行員たちだけが飲んだ、
第2薬=「第1薬を毒性化する酵素」。


この両方を経口摂取させることで消化器内で混じって化学反応、猛毒のシアン化水素@青酸ガスができあがる。この「バイナリ式致死毒説」はけっこうよくできてるが、1948年当時の化学レベルで「酵素」なんてハイカラなもんはたして実用化できてたのかどうか微妙、なので帝銀事件の真相としても微妙、といわれている。
が、とにかくこういう考えかたもあるんで。



ニイタカは世界をめぐって諜報工作向けの毒薬探しの過程で帝銀事件の犯人につらなる人脈とも接触しており、帝銀事件の界隈でニイタカが暗躍していたのもそういう背景があったのだった。


「あ、ボロジン当人はニイタカさんがルーズベルトをぶっ殺したことは知らないですよ、もちろん。わたしがケナン教授や八っちゃんから聞かせてもらった昔語りをわたしが一緒にしてつぎはぎしたんです」


3月1日の夜食会では、バイナリポイズンの「第1薬」が献立いずれかに混入されていた。



もちろんスターリンの口にするものは酒も料理もすべて毒味済み、同席する幹部たちも同じものを飲んだり喰ったりしたが、
「第2薬」と体内で混ざらなきゃまったく無害だからこの時点では何も起こらない。



バイナリポイズンの中でもニイタカの用いる化合物の優れた点は、第1薬と第2薬はそれぞれ単体では無害、そして両薬が体内で合成した完全体の致死毒含めて、数時間から半日で変質ないしは体外へと排出されてしまう特性。
事前も事後も検出される可能性は極めて低く、死後の状態も脳疾患に酷似していることから自然死に見せかけやすいのもニイタカが採用した決め手だった。


「っていうとこも、手に入った情報のもろもろ断片をつぎはぎしてのわたしの想像妄想ですけど、ほぼ解析と言っていいくらいの精度のはずです」



が、
長所と短所は表裏一体というか、有効期限が短時間というのは、時間という制約に縛られることも意味する。つまり第1薬を投与してから体内で変質ないし排出されるまでの数時間以内に第2薬を飲ませることが致死毒化の必須条件。
こんな条件を満たすのがなかなかにして厳しい。ふつうなら。

ところが、この1953年3月1日の夜半──

“同志皇帝ツァーリ”のクンツェヴォ私邸ダーチャは、

暗殺の条件が満たされる希有な空間だったんである。
≫ この続きの後半は2019.12.下旬 更新予定











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