Clarke, Richard A.リチャード・クラーク@大統領特別補佐官@テロ対策担当@
CSG/国家安保グループ議長「たしかに、こちらでも
アルカイダというキーワードをちらほら耳にしている」
「
オサマ・ビンラディンというキーワードもちらほら耳にしているでしょう?」
「………どこでそれを知ったか話すつもりはあるかな」
「こんなの機密でもなんでもないですよ、
ふつうに資料を読んだら書いてあります」
「図書館に行けば、それの縮小版を誰でも閲覧できますよ」
“アフガニスタンでAl-Qaedaという秘密組織に訓練を受けた”
27歳のヨルダン人民兵は記者に語った。
“Al-Qaedaはジェッダに建設会社を持つ裕福なサウジアラビア人実業家
Ossama ibinLadenが資金を出している”(聞き書きのせいかオサマ・ビンラディンの綴りはテキトーである) ──
AFP@
フランスの通信社
1993年5月30日付 配信記事
これがたぶん
西欧世界にもたらされた最古の
「アルカイダ」報道。
アルカイダは
1988年、
ソ連軍撤退の始まった
アフガニスタンで結成され、
湾岸戦争の前後
1991年から
反米聖戦ジハードを掲げはじめた、
んだが、その首領
オサマ・ビンラディンという男の存在を、標的にされた当の
アメリカが気づいたのはずいぶん遅い。
1993年半ば、
FBIの
情報収集部局が
国際インテリジェンスワールドの端っこでさわさわしてる噂を聞きつける。
「サウジアラビアのさる王子がイスラム過激派を支援している」微妙に精確度ひくい噂だけども。
まもなく
CIAの給湯室の会話でも、
「なんか回ってくる情報に
ビンラディンとかさあ」
「
アルカイダとかもさあ、やたら出てくるようになったけど」
「なんだろーかへー」
さらに同じ
1993年12月、
英インディペンデント紙の中東特派員
ロバート・フィスクによる、
スーダンにいる
オサマ・ビンラディンインタビュー記事が載った。
「対ソ連戦争でアフガニスタンのアラブ義勇兵訓練キャンプを取り仕切ったサウジアラビアの資産家オサマ・ビンラディンが、元義勇兵たちをスーダンに呼び寄せ、道路建設などの平和的な事業に従事させている」という内容。
ここでは
オサマ・ビンラディンは
テロのことなんておくびにも出してない。
いまやすっかり悪目立ちしてしまった
NSA@国家安全保障局@通信ぜんぶを傍受盗み聴き盗み読みできる最強情報機関、も電話傍受で、
「オサマ・ビンラディンという名のテロ資金の提供者がいる(らしい)」ってことまではキャッチしていた。ついでに
「ビンラディンはサウジアラビア随一の大富豪一族の名前」
「ビンラディン一族はアメリカのエスタブリッシュメントと巨額の投資取引などビジネスパートナーとしてウィンウィンの関係にある」ってことも。
でもせいぜいそこまで。
テロ対策の軍師
クラークもふくめて
アメリカ当局は、この
オサマ・ビンラディンという男について、せいぜい
イスラム過激派のシンパかなにかで、うまく乗せられて金づるにされてる
アラブの小金持ちだろうくらいにしか見てなかった。
ぜんぜん違うんだが。
このころ、すでに
イスラム圏の情報ワールドでは、
オサマ・ビンラディンは
「反米」のフレーズと抱き合わせでけっこう有名人。
んだけども、
地中海と大西洋を越えた
アメリカにはそういう活きのいいネタが伝わってなかった。
イスラム諸国の
治安情報機関が知っていながら、
アメリカに流さなかったのが大きい。なぜかというその理由はまたのちほど。
いやそれでも少しは伝わってはいたけども、
肝心の
アメリカ側ではほとんどスパム扱いスルーで。
アメリカは冷戦終了以降やたら増える一方の多種多彩な
テロに振り回されてたし。
そのなかに
アルカイダという新たな潮流の兆しは紛れて見えにくくなってたんである。
1993年1月、
レーガン→
父ブッシュと続いた
共和党から
民主党へ政権交代、
大統領猫 ソックス・クリントン、
チーフ・エグゼクティブ・キャットに就任
ついでに
ソックスの飼い主も
合衆国大統領に就任した。
「ニャンニャンニャニャンニャンウニャニャンニャー
キリッ(自由市場が世界で広がり、アメリカ製品が売れれば、みんなアメリカと同じ価値観になるキリッ)」
こんな具合にスタート時の
クリントン政権は「大事なのは経済でしょキリッ」で、
テロにまーたく関心薄かったんで、
CIAは予算を大幅削減されたあげく、
日米自動車交渉の
日本政府や
トヨタの通話盗聴とか慣れない産業スパイもどきエコノミストもどきみたいな真似事をやらされ、
テロ専門家
リチャード・クラークも追い出し部屋配属かよって扱いだったんだけども。
が、流れが変わる。
政権発足からからまもなく、

'93年1月【CIA本部正門前乱射事件】2月【WTC爆破テロ】4月【父ブッシュ元大統領暗殺計画inクウェート@未遂】6月【NYランドマーク同時爆破テロ計画@未遂】
'94年12月【フィリピン航空434便爆弾テロ】
'95年1月【ボジンカ計画/旅客機11機同時爆破テロ計画@未遂】1月【ボジンカ計画/ローマ法王暗殺計画@未遂】1月【在サウジ米軍リヤド本部爆破テロ】4月【オクラホマシティ連邦政府ビル爆破テロ】
'96年5月【サウジ ホバルタワー爆破テロ】7月【アトランタ五輪爆弾テロ】真っ赤である。
それぞれ下手人は、
外国産テロリスト(
イラク工作員、
イランが黒幕の
ヒズボラ、
1人過激派パキスタン人)そして
ホームグロウン@
国産テロリスト(
在米イスラムの不良子弟、反連邦の
極右、単に社会にぎゃふんといわせたい落伍者、
キリスト教原理主義者)という多種多様な顔ぶれで。
国内外で次から次へと起こる
反米テロで、ヒマしてた
クラークもいきなり売れっ子に。
さらに世界各地で
民族紛争も激化。


クロアチア、
ボスニアヘルツェゴビナ、
コソボ、
ソマリア、
アフガン、
アルジェリア、
ルワンダ、
コンゴ、
シエラレオネ、
リベリア、
タジキスタン、
チェチェン──、
米ソ冷戦のあいだは一応それなりにコントロールされてた
民族宗教対立が、リミッターないままチンチンになるまで加熱したのだった。
大統領猫ソックス・クリントンと飼い主のおっさんクリントン政権もさすがに目が覚める。
慌てて
テロ対策重視に大きくシフト、予算もじゃぶじゃぶ注入しはじめた。
「対テロ戦争」というフレーズを演説で最初に使ったのは
息子ブッシュではなく
クリントンだった。なぜかほぼ報道されてないみたいだが。
当時欧米のメディアも
テロなんてあんま興味なかったんだろう。
──という怒濤の
1996年、の春、
ふたたび
白鳥と
クラークのところに戻りますれば──
「あなた方が今年
2月に捕まえた
ラムジ・ユセフって
人殺しがいますよね」
「とくにどこかの
軍や
テロ組織に属してたわけでも経験があるわけでもないあの男が、どうやってあんなスペシャリストな
軍事技術を身につけたのか、
手繰ってったらこの
訓練キャンプに行き着いたんです」
「なぜ
ラムジ・ユセフを
日本の
警察が調べているんだね?」
「お忘れですか?」
「あの
エセイタリア人野郎が
フィリピン航空をねらったとき、
爆発した座席にいた不運な
犠牲者は
日本人でした。
私の属する部署は
日本人が巻き込まれた
海外テロを捜査する義務があります」
رمزي يوسف、
Ramzi Ahmed Yousef
ラムジ・ユセフこれは"源氏名"で、本名は
アブドルバシトマフムードアブドルカリム長げーよ。
WTC@ワールドトレードセンター地下フロア爆破テロ@1993年の
主犯格でもある。
もともと
WTC爆弾攻撃をねらう計画を立ててたのは、
عمر عبد الرحمن الشيخ أعمى"The Blind Sheikh" Omar Abdel-Rahman"盲目の導師"こと
オマル・アブドッラフマーンとその一味
「イスラム集団」で。
"盲目の導師"@アブドッラフマーンは
エジプト人で、もとは
エジプト国内で
反体制過激派やってた
「イスラム集団」の精神的支柱的頭目だった。
じつは
エジプトは
イスラム原理主義発祥の地で、最も古くから最も激しく
イスラム原理主義者と
世俗主義の
軍事政権が、
テロと
弾圧の応酬を延々やってる国だったりする。
エジプトから政治犯みたいな流れで
アメリカへと逃げてきた
アブドッラフマーンは、庇護してもらっといて
アメリカに思いっきり恩を仇で返す。
ブルックリンの移民の多い地区
リトルエジプトを根城にして、アメリカンドリームになじめず
モスクに入り浸って現実逃避してるボンクラ
ムスリム青年たちを煽って、
「聖戦奨励テロ上等世露死苦!」というかんじの"
ファトワー"を次から次へと景気よく発したんである。
ファトワーとは"宗教的に正解です"っていうイスラム法学者によるお墨付きで。
ただ法学者なら誰でも出せるような軽いもんでなく、資格が要る。
イスラム教は「アッラーの前ではみんな平等」ってことで、聖職者っつう利権的な中間搾取業種はいないって建前だけども、
じっさいにはイスラム法のウラマー(学者)やモスクで礼拝指導をするイマーム(導師)が事実上の聖職者にして絶大な特権階級になってるんで。
宗教はどんな崇高な理想を掲げようがけっきょくそういう形に落ち着くし、みんなさん誰かにあーしろこーしろ言われた方が楽だし。
"盲目の導師"アブドッラフマーンに
ファトワー出せる資格あるどうかは別として、
「人を殺すのは本来ならアッラーの名においてダメ絶対!だけど、
悪のアメリカと戦うために人が死ぬのは立派なポアだ!」こういうお墨付きひとつで、
イスラム過激派は宗教的に安心してどんな残酷きわまる
人殺しもやっちゃえるわけである。ん?どこかでその理屈聞いたような。
でも、「宗教的に安心してる」のと「能力あるなし」はまったく別の話で。やはり注目を集める
テロは
爆弾だ、とは分かってるものの、もとがボンクラの不良たちでは
パイプ爆弾くらいしかというか出来損ないの試作くらいが精一杯で、こんなのを
WTCに仕掛けても巨象を蚊が刺すようなもんだよなー。
いまいちというかぜんぜん目立ってないよな俺ら…。
そんな彼らの前にどこからともなく現れた助っ人が、
義眼の男ラムジ・ユセフ。本名は
アブドルバシトマフムードアブもういいって。
ラムジ・ユセフは、
聖戦上等派でも
イスラム原理主義者でもない。というより大して熱心な
イスラム教徒でもないんで、信仰どっぷりの
アブドッラフマーン一味とはあんまし会話も噛み合わないんだけども、
とにかくこの男、過激派未満の一味に初めて本格的
テロのイロハを伝授した。
そのへんのスーパーやカー用品店で買える
日用品@
経費わずか300ドルを材料に、
高性能爆薬600キロをさくっと調合、
レンタカーのワゴンに積み込んで
ワールドトレードセンター地下駐車場に停め、

1993年2月26日【ワールドトレードセンター爆破テロ】死者6名、
負傷1000名以上。
ラムジはビルの基礎を粉砕して2つの巨塔を倒そうと目論んだが、
地下6階分が巨大クレーターになったにもかかわらず、
地上のタワーは2本とも元気に屹立したまま。
「
WTCすっげー」「
永遠に倒れねー」
←と当時は思われた。FBI科学捜査チームが
爆発地点で飛び散った残骸破片を丹念により分け、
爆弾カーの車種を
フォードエコノラインと特定。
FBIはそれとタレコミをもとに
ニュージャージーの
レンタカー屋までたどりつき、
そこから
イスラム集団一味、芋づる式に親分
アブドッラフマーンもろとも逮捕。
さらに捜査によって
"盲目の導師"一味が、


国連ビル リンカーントンネル ジョージワシントンブリッジ
ホランドトンネル フェデラルプラザ@
NY連邦庁舎をねらっていた
【NYランドマーク同時爆破テロ計画】も発覚。
アメリカ史上最大の
無差別テロが水際で食い止められたとわかる。
"
教官"
ラムジ・ユセフから教わった
爆弾技術がモノをいうはずだった。
ブランチダビディアン教祖コレシュと2ショット"盲目の導師"@アブドッラフマーンは、
オサマ・ビンラディン登場するまで、最も知名度のある
"イスラムテロリストの大ボス"だった。
が、かんじんの
爆弾製造&
実行犯 ラムジ・ユセフはとーっくの昔に高飛び済み。
逃げた
ラムジ・ユセフはいったん
パキスタンに帰る。
じつは女房に2人目の子が生まれるんでね。
こいつら、私生活ではわりと普通に家庭持ちだったりして、
我が子を抱いた同じ手でなんの抵抗感もなく
人殺しするわけである。
こんどは
フィリピン首都
マニラに腰をすえた
ラムジ・ユセフ、
次なる
テロの準備をいそいそ始める。
خطة بوجينكا"Oplan BOJINKA"【ボジンカ計画】ラムジ「予行練習を手近な
フィリピン航空機でやってみた結果」
爆発物を
X線透視や
金属探知機をやりすごして
国際線の機内に持ち込めるか、
ねらいどおり
空中爆発までもっていけるか。
実験台に選ばれたのが、
マニラ発
成田行
フィリピン航空434便ラムジ・ユセフは偽造パスポート
でイタリア人になりすまし、
爆薬ニトログリセリン溶液は
コンタクトレンズの洗浄液に見せかけ、タイマーは
ふつーの腕時計、
起爆用バッテリーと
ケーブルは靴の底に隠し@当時の金属探知機だと靴の底部分まで検知できないんで。
この工夫で
ニノイ・アキノ国際空港のセキュリティーを難なく突破。
飛行中の機内トイレで手早く組み立てて、
即席時限爆弾完成。
5時間後にタイマーの時刻をセット、
「
26列K席」底の救命胴衣のとこに突っ込む。
ボーイング747の26列の床下には
燃料タンクがあるんで、
爆破→
燃料タンクに引火→
誘爆→
空中大爆発をねらったんである。
経由地
セブ島で
ラムジ・ユセフはそそくさと降りる。
そのあと「
26列K席」に座った不運な男は、
日本人の
池田春樹@
24歳。
1994年12月11日【フィリピン航空434便爆破テロ】が、
ラムジ・ユセフの期待した
ジェット燃料誘爆はおこらなかった。
じつは26列下の燃料タンク、安全上の規則で
空っぽだったんである。
燃料は27列下以降のタンクに入ってたんで、
座席1列分の差で空中爆発をまぬがれた。ただし、
爆発で操縦桿─方向舵をむすぶケーブルがぶっち切れて>針路変更不能、
真っ直ぐしか飛べねー! 大ピンチに。
空軍上がりの
エド・レイエス機長らクルーは絶体絶命ほとんどない選択肢から
「ジェットエンジンの出力を手動で左右微妙に変える」
っつう神ワザ的操縦でみごと
那覇空港方面へ旋回するのに成功、
434便はヨレヨレになりつつもなんとか
那覇空港に緊急着陸。
乗員乗客
292名生還。
日本人乗客1名ほぼ
即死、
重軽傷10人。フィリピン警察・
沖縄県警・
FBIが協力して捜査を開始する。
機が墜落しなかったおかげでいろいろ手がかりや目撃証言が集まり、
偽イタリア人=
WTC爆破犯ラムジ・ユセフが浮上。
さらに年が明けて
1月初旬、
マニラで捜査が大きく動く。
秘密アジトの
ラムジ・ユセフが化学調合をミスり、
絶対ふつうじゃねーよって
化学的な色の煙がもくもく外に噴き出したんである。
マニラ市警「もしや
ラムジ・ユセフのアジトじゃないか」
で、
警官隊踏み込む、>
ラムジの
爆弾工房でした。>
434便テロの証拠出ました。
例によって
ラムジ・ユセフ本体は逃げ足早く高飛びしてたが。
が、アジトに残されたPCの暗号データを解くと
【ボジンカ計画】発覚。
なんと予定は
1週間後。決行寸前だった。
第1段階 : 大統領猫ソックス・クリントンの飼い主が訪
マニラしたところを
暗殺第2段階 : 成田・
ソウル・
台北・
シンガポール・
マニラ・
香港・
バンコク発
→
米西海岸行きの
旅客機11機を太平洋上で
同時爆破第3段階 : 爆弾満載のセスナで
CIA本部に突っ込む
──ぜんぜん脈絡ないけどやたら派手げな計画だった。
さすがに
アメリカ大統領の警護は超厳しいみたいなんで断念、
ローマ法王ねらいにチェンジして
聖職者コスプレまで用意してた。
このとき
米連邦航空局FAAも各空港で厳戒体制を敷いたし、
拠点を失ってたのもあって
【ボジンカ計画】は未遂に終わった。
その
1か月後、
クラークのもとに舞い込んできたタレコミ情報、
"イスラマバード@パキスタン首都にラムジ・ユセフが現れた"「今度こそ高飛び前に押さえろ」
当時
シカゴ副支局長から
FBI本部テロ対策部長に異動したての
ジョン"
一発ヤル太郎"
オニール特別捜査官が就任初仕事として逮捕劇を仕切った。
しょっぱなの
一発ヤル太郎扱いでお笑い担当になっちまったけども、
ほんとはやればできる子
オニールである。
現地駐在の
FBI捜査官は1人しかいないんで、
タイの
FBI方面捜査官、
麻薬取締局DEAや
国務省外交保安局DSSの駐在員、
パキスタン軍人も助っ人にかき集めて、
潜伏先に速攻突入、
ラムジ・ユセフのスピード捕獲成功。
【ボジンカ計画】の共犯者
ユセフ・アブドル・ハキム・ムラドちなみに1人の名前だは
マニラで、
ワリ・カーンも
クアラルンプールで逮捕された。
「おれは
テロリストで、それを誇りにしている」
ラムジ・ユセフ>
終身刑+
禁錮250年。
"盲目の導師"@アブドッラフマーンも>
終身刑確定。
「
ラムジ逮捕の早業はおみごとでした」
「気になったのは一連の
事件で
ラムジの手口が玄人じみてるってことです。工学出身とはいえ未経験の素人が独学でいきなりプロ並の
テロは無理でしょう。
といって背景を調べても
イランや
イラク、
リビアとか
反米国家が手伝った様子もない。
ラムジ・ユセフはどこかで
爆弾テロを体系的に学んだんです。
それが
ここです」
───-↓
アルカイダ軍事訓練キャンプ@
アフガニスタン「
ラムジ・ユセフはこの
テロリスト学校の卒業生。ここで本格的な
テロリスト養成講座一式を受けていたのはまず確実です」
「
ラムジ・ユセフの両親は
パキスタン人と
パレスチナ人、本人は
クウェート育ち。
今も昔もとくに熱心な
イスラム教徒じゃないです。
むしろ動機は
母親@
パレスチナ人つながりの
イスラエルと
アメリカ憎しでしょう。
パレスチナ過激派と
聖戦ジハード大好きの
原理主義者はあまり接点ないんですね。
その両者の出会いの場となり、"
敵の敵は味方"ってかんじで共闘したきっかけが、
この
アルカイダ訓練キャンプじゃないかと思うんです」
「そしてこの
キャンプのオーナーが
オサマ・ビンラディンというわけか」
「うーん、答えはイエスでもありノーでもあるような…、
彼も資金の一部は差し出してたみたいですけど、出資者は他にも何組かいたようですよ。
なかでもこの
テロリスト養成キャンプにおカネ出してる一番の
大口スポンサーが──」
「ユナイテッドステイツ」
「オブ、アメーリカー」≫ 続きを読む