【事件激情】ウルトラ : 4機目【シモヤマ インシデント】






July 10,1949
1949年7月10日付

GENERAL HEADQUARTERS
SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS
連合国軍最高司令官総司令部@GHQ/SCAP 文書

MEMORANDUM FOR: Major General Willoughby
ウィロビー少将宛

The report on the status of the investigation
捜査状況報告

“Shimoyama JNR president fatal accident”
下山事件

ジリジリジリジリ……
"東京警視庁の捜査本部は、轢断事故発生現場での捜索および
日本国有鉄道関係者への聴取を引き続き執り行い──"

「ミーチューミーチューとくらぁ、あ、畜生このやろ」

下山事件の背景と経過、警視庁による捜査は公開された情報にもとづく。
平塚八兵衛はじめ黒字・紫字・赤字は実在の人物だが、
一部の会話や行動はちっとばかし変えている。
またこの色の名前は、架空の人物である。


ジリジリジリジリ……
ケケケケケ……
平塚八兵衛@巡査部長@警視庁捜査1課刑事

セミうるせえ、クソ暑さひとしおだぜ。
捜査員だけでなく周辺住民までわらわら東武線ガード付近は宝探し大会に。

(ん?)


(あのむやみに背の高けえ女は──)



(やーっぱりあの女か、うろちょろしやがって)

(あ、このやろこっち見んな)

(つーか、なんでニヤニヤするんだよ!)

(こら手を振るな手を! なんなんだおめーはよ!)
ジリジリジリジリ……
ケケケケケケ……

「ん? 関口さん、捜2の連中は何やり出したんすか」
関口由三@警部補@捜査1課主任

「ロープ小屋の柱に血痕らしきもの見つけたんだと。柱ごと鑑識に持って行くらしい」

「へーえ、ご苦労さんなこった。でも鑑識の部屋に入るのかね、あの柱」

東武線ガード西側「ロープ小屋」は、扉や柱など17カ所にこびりついた血痕から、
陰謀団がここで下山を殺害とか、陰謀団が死体を運んできて一旦置いた、とか、
他殺説でおなじみの"名所"となる。
だが、見つかった血痕はかなり古く、扉の血は、以前ここを借りていた釣り糸業者が誤って怪我したときについたものとすぐ分かるし、

さらにロープ小屋の壁は一部だけで外から丸見えスケルトンだし、すぐ裏は持ち主の家だしで、およそ殺人やら死体の処理やらの荒事には向いてないんであるが。
ケケケケケ……

(っていつの間にかあの女いねーし)

なんなんだあいつは。
↓ここから八兵衛の回想──
──なあ、ニイタカさんよ、

なんだよ、GHQの通訳様がおれになんか用か。

いいえ、とくに用はないです。
はぁ?
でも、まずご挨拶だけでもと思って。

ディテクティブ ハチベエ、

きっとあなたとは近くお相手する日が来るでしょうから。
──八兵衛の回想終了

ありゃどういう意味なんだ。おれに惚れたのか。←壮大なる勘違い


「では、目撃者から」

「えー、五反野駅近くの末広旅館の主人から、下山総裁の失踪した日の昼過ぎから夕方まで数時間、総裁らしき人物が休憩していったと通報がありました」
「主人の長島勝三郎氏は、皆さんご存じかもしれません。長島氏は以前、警視庁で特高の係でして、退職後は工場の役員などを務め、いまは旅館を経営しています。

下山総裁らしき人物を接客したのは長島氏の妻で旅館の女将フクとその四男です。両名の調書はすでにとっております」
さらにザリガニ父とカラス麦おばさんは自ら「下山さんらしい人をガードの近くで見た」と派出所に名乗り出ている。
そこで、末広旅館を起点にガード下付近あたりまで聞き込みを展開すると、








住民ら計17名が、夕方から深夜にかけて東武線ガード近くをうろうろしてた下山総裁とおぼしき人物を目撃していたと分かる。
下山の顔写真は報道で出まくっているため、
目撃者に先入観が植えつけられてるおそれがあったんで、

そこで事情聴取の面割りでは、
あえて下山の顔がほとんど見えず、しかも背広男数人と並ぶ写真を見せた。
すると、>目撃者全員が「"紳士"はこの人だった」
どんぴしゃ下山を選んだんである。
さらに、金井刑事が、

「あーあこういう汚れ仕事っておればっかりだよなあ」
下山の上着@血だらけ肉片だらけ油まみれを
屋上で乾かして石鹸で洗おうとしたところ、ポケットから、
「ん?」

カラス麦の実を発見。

「カラス麦をいじってた」というカラス麦おばさんの証言とも合致する。
っておい遺留品の服洗っちゃうのかよって現代的には思うけども、当時の鑑識技術からして、それより夏だし猛烈な腐臭をなんとかするのを優先した模様。
のち「ワイシャツは血だらけなのに、上着だけ全然血がついてない! 別の場所で殺された証拠にち以下略キリッ」という陰謀論が。
晩年の金井「うん、そりゃついてないよ。だって洗ったんだから」
「次、失踪前の下山総裁の様子」

失踪の前々々日の7日2日土曜から4日月曜にかけて、
あまりにも奇ッ怪な下山の行動↓

どうもここ数日、下山の様子は普通じゃなかったらしい。心ここにあらず的な。
7月2日 土曜日──人員整理について労使交渉に出席。

国労幹部と向き合ってた下山、とつぜん交渉打ち切りを宣言。
国労側は怒るが、下山そのまま困り顔で退出。
大量クビ切りはもはや国の政策で進んでるんで、下山の一存じゃなんも変わらんのだが。初代総裁の仕事は最前線に立ってひたすらフルボッコになることだった。
昼過ぎに、よく使う永田町の貸席にふらりと現れ、食事を注文。
ひと口食べては外を眺め、食事が喉を通らない様子。
この日、GHQに人員整理の報告に行く予定だったが、下山すっぽかした。

3日 日曜日 深夜──すっぽかされたGHQのCTS@民間運輸局国鉄担当エーミス・シャグノン中佐が顔真っ赤で自宅に押しかけてきて、

「月曜には整理を発表しろ!」
すごんだ。
そして失踪前日、4日 月曜日──
この日=アメリカ合衆国独立記念日だったりする。
連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の声明。

「日本は共産主義進出阻止の防壁である」
「共産党の非合法化もあり得る」
占領初期の右派保守排斥 容共民主化>反共 右派保守復帰>レッドパージへ、
超絶手のひら返しが明言されたんである。
日本共産党\(^o^)/オワタ GHQ内左派\(^o^)/オワタ

「人員整理の名簿が国労側に洩れて、騒ぎ出してます」
国鉄幹部たちが心配なのは、身の危険とかよりもこちらの大将下山の挙動不審ぶりで、
下山の様子は引き続きというか加速的におかしく。
労組が押しかけてきたとき、ここ何日かキテレツな下山がヘタな反応するとまずい、
と安全を建前に外出を勧めるが、

「ぼくは逃げない! 討ち死にの覚悟はできている!」
……やっぱあかん。
加賀山副総裁と局長たちで
「政府の方々に報告に回られる必要が」とかなんとか言いくるめて説き伏せ、

下山は忠実なる大西運転手のビュイックで
正午──

下山、首相官邸に現る。が、吉田茂は首相と外相を兼任してて、
この日は芝白金台の外相公邸の方にいた。
増田官房長官「じゃ一緒に行きましょう」

白金台の外相公邸到着、あいにく吉田首相には先客が。
「待ちましょう」

「いえ、会議があるので失礼します」

この日の下山、とくに会議の予定はないんだが。
午後1時──

下山、こんどは人事院ビル合同庁舎@旧内務省庁舎にふらりと現れる。
ここには人事院総裁、国家地方警察長官、建築院総裁といった下山の顔見知りがいるんだけども、下山はその誰にも会わず。
たまたま人事院の事務総長が、便所で下山とばったり会ったのが唯一。
「(人員整理で)大変ですね」

「……ああ」

生返事だけで、とくに反応もなく去る。
政府要人のいる界隈を行ったり来たりしてるんだが、報告はまったくしてない。
その後、呉服橋で薬屋寄って胃薬買って、>

「このとき窓口での入出金はなかったようです。ただ、下山総裁はここに私金庫を借りておりまして、失踪前日も失踪当日も私金庫を開けています。

アメリカ製の金庫で、本人用と銀行用の2つの鍵で開く仕組みでありまして。
鍵を開けた行員はすぐその場を立ち去ったので、金庫の中身も総裁が何を出し入れしたかも見ていません。
こんど遺族の立ち会いのもと私金庫の中を検めることになっております」

さて下山は、銀行を出てから、一瞬、国鉄本庁に戻っ
たと思いきや、すぐ出かけて

>こんどは桜田門の警視庁へ。
田中警視総監には来客があったけどもお構いなしに入っていき。
「あのときはありがとう」
総監(え、なんだっけ。ああ一昨日、国鉄本庁前のデモを押さえ込んだ件か)

「知らない子供の手紙で『お父さんをクビにしないでください』と書いてあってね」
総監(゚⊥゚)と客(゚⊥゚)「……はあ」

次に法務庁から改編されたばかりの法務府@現法務省へ。
なぜか前の総裁官房長佐藤藤佐を名指し。いまの官房長は柳川真文ですと受付が教えても、なんだか納得できない顔。

ともかく官房長室に通されると、迎えた柳川に挨拶もせず「電話を貸してくれ」
そこから国鉄の木内秘書に電話してなにか話したと思ったら、

「僕の父も裁判官だったから、苦労は分かっている」
柳川(゚⊥゚)「……はあ」
とりとめもなくどうでもいいことをぶつぶつ言って。
とくに親しいわけでもなかった柳川官房長はぽかん。

(何しに来たんだ? あの人)
午後3時──
国鉄、第一次人員整理3万700人発表。夕方予定だったのを名簿が新聞に漏れて夕刊でスッパ抜かれそうとみて、繰り上げてのフライング公表。
総裁不在でも粛々と式次第は進むんである。
午後3時半過ぎ──

下山、またまた首相官邸に現る。
ただし、こんどは20分くらいでビュイックに戻って去る。
このとき官邸内で会った人間がいたかどうかは不明。

「新橋へ行ってくれ」

だが新橋では降りないで、けっきょく国鉄本庁に戻った。

松岡@運輸保安課長、総裁室前で下山とばったり。
でも下山が総裁室に入ろうとするでもなくそのまま突っ立ってるので、課長しかたなく立ち話状態で人員整理通告後の運行状況を報告、
が、大事な話なのに下山はめんどうそうにそっぽ。聞いてるのか聞いてないのか。

午後5時──

有楽町の交通協会ビル内レールウェイクラブに下山現る。
この日、国鉄幹部たちは、本庁に押しかけてきそうな労組から避難してここで息をひそめてる、はずだった
が、誰もいねーし。

田坂秘書室長「ここに集まるのは取りやめです。公安局長室に何人かおられます」

で、下山は東京駅へ向かった。
鉄道公安局長室は東京駅2階にあるんで。

そこではちょうど芥川局長と課長たち会議中。
「あ、これは総裁(何しに来たの?)」

下山はぼんやりして、局長のお茶を飲んでしまう。
「給仕、総裁にお茶をお出ししなさい」

「いらんッ」なぜ急に怒声。

まもなくアイスクリームが配られる。当時はけっこうな高級洋菓子。
まだいた下山は自分に出されたアイスをあっちゅうまに平らげ、ついでに席を外した課長のアイスまでもりもり平らげ。
しかもだらだらスーツにこぼして平気な様子で。

(大丈夫かこの人…)
ちょうど届いた新聞夕刊の見出しを見て、

「なに、3万700! そんなにやってしまったのか」
(いやあんたもトップとして決めたんだが。なんで他人事みたいなの?)
夕方──

「白木屋の方だ」
で、日本橋交差点あたりで、「ちょっと待ってくれ」

この日本橋交差点で「ちょっと待ってくれ」はいつものことで、下山はたいてい小一時間、長いときは3時間くらい平気で大西運転手を待たせるのである。
だがこの日はいつもより早く30分ほどで戻ってきた。

「交通協会へ」

下山、ふたたび有楽町のレールウェイクラブに現る。

すでにクラブは閉まっていたが、事務局の職員に鍵をもらい、誰もいないクラブ内で一人、どこかに電話したり、取り寄せた弁当を食べてみたり。
夜8時──

下山、また国鉄本庁に戻る。総務課の会議に少し顔を出して、まもなく帰った様子。
自宅に着いたのは夜10時過ぎだった──
──これが失踪前日のできごと。
「行き当たりばったりというか、まったく意味不明だな」
なお、この4日失踪前日、島秀雄@工作局長に、
「明日は他の所を回るので出社は遅れる」と伝えていたのも分かる。

島秀雄はD-51の設計者で、のち湘南電車や新幹線を開発、「国鉄の父」みたいな人。
下山とは東京帝国大工学部時代から親友、仲良く鉄道省に入省、さらに島が在外研究員として世界各地を2年間回ったときも、下山は誘われて同行してるほど仲良しで。
島局長は「国鉄幹部なら鉄道通勤だろ」っつう職人気質的ポリシーだったが、下山から総裁専用車で一緒に通勤しようとやたら誘われるし、しかたないので島も何度かお付き合い的にビュイックに便乗していた。
たぶん下山「だから明日はビュイックに乗せられないから」と言いたかったと思われ。
てことは、すでに失踪前日から下山は、朝一番の会議もすっぽかして、無断遅刻するつもりだった、ということに。
なんでか理由は分からないが。
「次、病院の方は」

「えー、総裁就任の6月1日その日に、
東京鉄道病院で神経衰弱症と胃炎の診断を受けています」
15日──「スト問題で疲れ」>疲労回復のビタミンおよびブドウ糖液の注射。
19日──「まだ疲労」>ふたたびビタミン+ブドウ糖注射。
「眠れない」>睡眠薬ブロバリン0.5g10包を処方。

「1日1包、就寝30分前に服用して下さい」
22日──胃部疾病と診断され、胃薬を処方。
また「眠れない」>ブロバリン5包追加。
26日──さらにブロバリン10包を追加。

「それ睡眠薬飲みすぎじゃないか?」
「その通りでして。通常ブロバリンは1包0.3gで眠くなるそうですが、慢性ということで多めに0.5g処方されていました。なのに5日で10包飲んでしまってるわけで、よほど不眠がひどかったのではと、医者が言っておりました」
轢断現場で見つかった上着のポケットにもブロバリン2包入っていた。
末広旅館ではコップに水をもらっている。ブロバリンを飲むためではないか。
それで昼2時から夕方6時まで寝てたと思われ。

下山の上着から発見された手帳。

几帳面に毎日あったことやメモでぎっしりだったが、
6月28日のページに、乱れた筆跡で「エーミスに早く首を切れと叱られた」とだけ。

以降のページは白紙。

下山総裁は、労組とGHQの板挟みで精神的に追い込まれ。
それがひどい不眠や7月3日と4日の奇妙な振る舞い、
そして5日朝の失踪につながったのではないか。

「他殺の線はないのか」
「今のところ、それらしき手がかりは出ていません」
こりゃ自殺かもなあ。
そんな空気が捜査会議に流れる。

(ちっ、GHQが来てやがるな)

(んにゃろ、お目付の参観付き会議かよ、尻がもぞもぞするぜ)

(おりゃ?)

(このやろニイタカめ、通訳にかこつけてしれっと混じってやがるし)

(ん、なんだ、おれに文句あんのか)

(あ、ニヤニヤするなコノヤロ)

(だから手を振るなっつうの!)

都内中心の焼け残ったビル群は、GHQ/SCAPが片っ端から接収、
本来の住人たちを追い出して
マッカーサー総司令部が陣取った有楽町の第一生命館はじめ、
東京海上ビル 松屋銀座本店 山王ホテル 日石ビル 野村ビル 農林中央金庫 八重洲ビル 明治生命館 東京証券取引所 九段会館 三井本館 丸の内三菱村 日本青年館──

丸の内お堀端にある7階建ての郵船ビルもまた、
総司令部参謀第2部、ラヂオ局ボイスオブアメリカが占有中。

GHQ/SCAP>CIS@Civil Intelligence Section>PSD@Public Safety Division
連合国軍最高司令官総司令部>民間諜報局>公安課

GHQ公安課は日本の警察行政を管理監督する部署で。

社会的大事の下山事件捜査の進み具合にもとうぜん目を光らせて、

ボスに下山事件捜査会議の模様をつぶさに報告するわけである。
「………ご苦労、下がってよし(英語」
「サー、イエッサー!(英語」

「……むう(英語」

Major General Charles Andrew Willoughby
@Chief of Staff (General Staff Section2) and Director of CIS
チャールズ・ウィロビー少将
@情報参謀第2部@G-2部長 兼 民間諜報局@CIS局長


桜田門前 警視庁

「──ニイタカ? 日本人か?」

「本人いわくイギリスと日本の混血だそうだ。2課なら探る伝手もあると思ってな。どうだい、頼めるかい」
この当時、刑事部捜査2課は、今のような知能犯・経済犯罪担当というよりも、公安仕事が主だった。日本で正式に公安警察が復活するのはもっと後のこと。

「ふうん、しかし平塚、GHQの通訳なんて調べてどうしたいんだ」
「まあちっとな。恩に着るぜ」

「そういや捜1の見立ては自殺に傾いてるようだな」
「今んとこな。2課は逆張りだろ」
「いちおう2係の吉武係長が労組やアカ方面の情報を集めてる」
いかにも刑事捜査ーってかんじの捜1とはべつに、捜査2課は総裁とその家族、国鉄・労組、さらに失踪場所の日本橋三越、五反野一帯の人々の思想や前歴、人間関係から洗うという、のちの公安らしい情報捜査をせっせとやっていた。
「今んとこ流言飛語っつうの? 裏取りするだけムダのゴミクズばっかだけどな。ま、地検が他殺にこだわってるしさ」

「あー検事か。ありゃあまだ警察をアゴで使える下働きと思ってやがる。目撃者でよ、ほれ上等の靴を覚えてた清掃係の聴取、あれ課長に報告しに行ったら、
横にいたチビのなんちゃらいう検事に怒鳴られてよ、『そんなバカげたことあるかっ』てな。おれに怒ってもしゃーねーだろっての」
「検事に机投げないようにな」
「なあ、平塚、ぶっちゃけあんたはどっちだと思う?」
「まー、白状するがおれん中じゃまだ五分五分なんだよな」
1948年@昭和23年、GHQ主導の警察法改正で、それまで検察官が捜査を指揮して警察はその補助だった旧制度を改め、>捜査は警察官の領分、と切り替わる。これで内務省の下働きに過ぎなかった警察が捜査専従役所に格上げされるんだが、そんなの急に格上げられてもなにぶんまだ不慣れである。
だからまだ検事がいろいろ口出してくるのが昭和24年の今日この頃。

問題の
下山の弟常夫と行員、刑事の立ち会いで鍵を開けると。
私金庫の中身↓
自邸の登記証書、貴金属いくばくか、
そして現金>百円札の束で3万円分。

さてこの3万円、いまの価値で何円くらいかというと──、
じつはこの頃政府はインフレ対策として、新円切替を強行>旧貨幣無効宣言>強制預金>預金封鎖 引出制限というエグい手で国民の手持ち現金を没収>「銭」を廃止、「円」の価値も10分の1以下に落とすデノミ決行。
なので物価もあんまし参考にならんけども、
いちおう大卒初任給が3千円、上級官僚だった下山の月給1万8千円。下山的にも3万円は給料2か月分でまあまあ大金ということで。

末広旅館で使われた"古い百円紙幣"というのも一致。新円切替の新百円札印刷が追っつかず、応急的に証紙を貼った仮紙幣が流通していた。
下山が家を出たときの所持金と、遺品の財布に残っていた金額、失踪後の切符代や宿代で使ったであろう金額推計を差し引くと、
失踪の朝、2500円くらい私金庫から取り出したのではと思われ。

この私金庫の謎の現金も出所や目的がはっきりせず、
「取り出した2500円は下山が個人的に雇った情報提供者に渡すカネだった」とか「政府のウラ金の一部」とか陰謀論的な尾びれ背びれが勝手についていく。
さらに──
「春画?」

「はぁ、戦後に描かれたらしき粗悪な安物ですが」
フィルムが高かった時代なんで、こういうエロイエッサイムもまだ写真じゃない。
のちのポルノ写真、そのちょっとのちのビニ本、さらにのちのアダルトビデオ、いまだと18禁動画のような位置付け。
自宅だと家族がいるしなにかと置いときにくいから?
「私金庫の春画」について、弟の常夫は「そんなものは無かったキッパリ」
警察もそのへんは調書にも書かず、曖昧にしている。
やっぱり国鉄総裁の名誉的にも春画はよくないだろ、と伏せていたらしく。

轢断現場ではまだ祭りが続く。下山総裁のロイド眼鏡を見つけるため、土手の雑草も刈って、電波探知機まで登場。だがいっこうに見つからず。

下山はメガネ無しだと 3 3 ←こういう目で「メガネメガネメガネ」になるんで、自分で歩いて現場まで来たのならいつものロイド眼鏡をかけてたはず。
それが見つからないということは、本人自ら来たんではなく別の場所でころ以下略

7月10日──例の末広旅館前の用水路に、ゴムシートが捨てられているのが見つかる。
これにロイド眼鏡が包まれていたことから、
「下山の死体を包んで運んだシート!」と騒ぎに。
だがメガネだけでなくぶどう酒瓶や割れたパイプとかも雑多に包まれてたし、
そもそもこの時代ロイド眼鏡かけてるやつは多いし、

こりゃロイドでも違うロイドだよな、となるチャンチャン。
そもそも現場から末広旅館まで1キロ離れてて、間に水門もあって、ゴムシートが現場から自然に流れ着くはずもない。誰かが現場から持ち去ったとして5日も経ってからわざわざ捨てるのも意味わからんし。これは無関係だろということでチャンチャン。
7月12日── 事件から1週間後
国鉄は予定どおり第二次人員整理対象6万3000人を発表。第一次の倍である。
こんどこそ労組の暴発を心配した警察は各地国鉄施設を警戒。
下山事件特捜本部の刑事たちも捜査を名目に各地の機関区に送り込まれた。
といってもそこでやることもないんで、職員の名簿づくりで時間つぶしである。

まったくよ、時間のムダだぜ、ぶー。
はーれったそらー、そーよぐかぜー、

あーなんちゃら、どーらのねたのしー、
んーみーちゅーみーちゅー、あ、くそっこのやろ。


さてそんな特捜本部の平熱に戻りつつある流れとは真逆的に、
マスコミそして世間では「他殺説」が圧倒的人気。
ちなみにこの頃インターネットはもちろんテレビ放送もまだ日本に無い。
情報媒体といえばラヂオか新聞か雑誌そしてビラ配布である。
そしてマスコミが今よりもうちっとばかり国民から信用されていた。
じゃ当時のマスコミが素ン晴らしかったかというと、
やってることは今とあんまり差はなかったんだけども。
朝日新聞は例の矢田記者をダイナモとしてその旗振り役に。
ちなみにこの頃の朝日新聞はまだ左旋回する前で、
いまのアカヒだの売国だの呼ばわりと立ち位置が違う。でもそれはまたべつの話。

7月7日「他殺説が決定的」
7月8日「背後関係つかむ 発見した手帳から判明」「特殊な関係の知人」
7月9日「自殺説は消滅 複雑・巧妙な殺人」「ひかれたのは死体」「け殺し説有力」

7月10日「自殺説の不合理」「その夜見た怪しい一団」
讀賣新聞も──
7月7日「他殺と認定 犯人の捜査を開始」「政治的暗殺の可能性」
7月8日「若い男女の話声 四十分位前に現場付近で」「不穏分子の動静把握を指令」
7月9日「轢断三時間前に絶命」「凶行は現場付近か」

毎日新聞も──
7月7日「他殺説有力 死んでから運ぶ」
が、大手で唯一毎日新聞だけ、
7月8日「現場近くの旅館主"総裁に似た人が私の処で休んだ"」
7月9日「傘も持たない男、しょんぼり線路脇の電柱に」
日を追うごと微妙に記事が変わっていく。
これがのちのマスコミ総軍対毎日の他殺自殺戦争に発展するんだが、
朝日讀賣の鬼畜クズっぷりは、また別の話。
ところで、GHQ謀殺論なんてこの頃カケラもなし。
もしそう思った人がいてもジの字も言わない。
そんなのチラとでも匂わせようもんなら速攻で発行停止だし。
人気のGHQ陰謀論があふれんばかりにあふれるのは、
占領が終わって、>GHQが去り、>60年安保もあって>
>左翼ががぜん元気になる1960年。
問題の松本清張著『日本の黒い霧』が世に出てからである。
が、それもまた別の話。
とかやってるあいだに、さらに大事件が起こる。

下山事件からわずか10日後──
7月15日 月曜日

夜9時23分@サマータイム──
国鉄中央本線三鷹電車庫

ギ、ギギ──

ガコン──

ガタン、ガタン──



【三鷹事件】
すっかり女子高生ストーカー殺人の通称になってしまったが、
本家三鷹事件はこちらである。

三鷹車庫の電車@7両編成が無人のまま60キロで暴走、
三鷹駅の車止めブっ飛ばして脱線、商店街に突っ込んだ。
死者6人、負傷20人。大惨事に。

「また国鉄か」
ざわざわざわ。
事故──ではなく、

電車のマスターコントローラーことマスコン@主幹制御器は、運転士が手でレバーを押さえていないとバネで出力ゼロに戻る。これで無人暴走を防ぐ仕組みなんだが、
このマスコンのカギを何者かが外したうえ、レバーがゼロ出力に戻らないよう針金で縛って固定していた。下山事件とちがって疑いようもなく人の手による犯罪である。
つい3日前の国鉄の第二次人員整理と関係あり、とみなされ、
警察ははじめっから「共産党員のしわざ」として捜査を開始した。

一方、平塚八兵衛はというと──

「ぬーむ」
下山総裁失踪の日、東調布署から刑事が下山邸に派遣、下山夫人ら家族の警護についていた。で、その刑事に夫人の言動をたしかめたんだが、
まだ死体が発見される前の時点で、下山夫人はこう口にしていた。

高木さんのようにならなければいいけれど。
"高木さん"っつうのは、たぶん高木子爵のこったな。
![]()
高木正得子爵
貴族院議員。昆虫学者。お父さんは譜代大名 丹南藩最後の藩主。
次女は皇族に嫁いで三笠宮崇仁親王妃に。
華族といっても高木子爵はきほん金欠で、詐欺まがいやらかして告訴されそうになったり、風船売りで生活費稼いだり、女学校の先生やったり──
昨年7月、「自然と融合するのみ」と書き置きを残して失踪。![]()
11月、奥多摩山中で白骨死体が見つかった。
戦災で生きがいだった蔵書や昆虫標本すべて焼けてしまい、
さらに華族廃止で爵位すら失って、>人生絶望>白骨と思われ。
つまり、下山夫人は亭主が自殺しても不思議じゃない、と感じていたと。
じゃ、なんでおれたちが行ったときは

自殺するような人ではありません。
になってたんだ? 一日も経たねえうちに何があった?
以後の報道でも下山夫人「変わったそぶりは見えぬ」「自殺は信じられない」
まあブンヤなんて都合に合わせて平気で事実ねじ曲げるから話半分だけども。
おかしいと言えば、国鉄の連中もおかしい。

「鉄道マンは鉄道自殺はしない、職員が轢死体の後始末に苦労すると知っているから」「総裁が精神不安定だったということはない。むしろ張り切っていたといってもいい」

いやどう贔屓目にみても下山のやることなすこと不安定でございだったろうがよ。
なんで急にしらじらしい嘘を言い出したか、だ。
さらに「下山にとって五反野は土地カンもなく知らない場所」「なぜわざわざそこへ行って自殺するのか」って声も内外でわいてるんだが、
下山には土地カンありましたがなにか?というのが答え。

昔っから五反野の東武線ガード付近は飛び込み自殺がやたらおきてて、
地元で「早まるな」的な立て札をつくろうとしたことがある。
これに鉄道局が縁起でもないからやめよとねじ込んでモメた。
で、当時鉄道局長だった下山がその収拾に出向いたことがある。
だから下山は五反野に行ったことがあるし、見通し悪い東武線ガード付近が自殺の名所で、じっさい"成功率"の高い環境だとも知っていたんである。
国鉄側はそのへん承知で「自殺はあり得ない」と言ってるのかどうか──。

「平塚、ちょっといいか。例の頼まれた通訳の件だがな」
「おう、なんか分かったか」

「やめとけ」
「は?」
「詮索しない方が身のためってことだ。あの女、突っつくとまずい。
おれもこの件は聞かなかったことにするから、

おまえも忘れろ」

「んなこと言ってもよ、向こうから勝手に寄ってくるからしゃあねえだろ」

ケケケケケケ……
ジリジリジリ………
チ、チ、チ、チー……

「こんにちわ、ディテクティブ ハチベエ」
ほれ、こんな具合によ。
「なんなんだおまえさんは、おれの行く先々でへらへらと。おれが好きか」
「ふふふ、どう思います?」

「ハチベエさん、いま下山夫人を問い詰めても、返ってくる答えは同じですよ」
「あ、先回りしやがって。気味が悪いなおめえは」

「ハチベエさんはアカハタを読んでますか?」
「おれぁアカじゃねえよ、そんなもん読むか」
「じゃ、この記事はごぞんじないですね」

7月7日付 "自殺と直感 よし子夫人談"
アカハタは日本共産党の機関紙なんで、とうぜん共産党員が下山事件の有力容疑者にされてる空気感をなんとかしようと「自殺」を孤軍奮闘的にさけびまくってるところ。

"夫は自殺したと思います"

「それ、"よし子夫人談"ってありますけど、
アカハタの記者が夫人に直接聞いたわけじゃありません。
記者にそれを話したのは、近所に住む吉松くんという学生です」

吉松富弥 下山総裁の長男定彦の友人で、
下山家と家族ぐるみで懇意だった早稲田大生で。
これよりずっっっと未来の平成元年@1989年、
毎日新聞「下山事件から40年 『自殺』と夫人語った 親交の当時学生」に登場、
「夫人から口止めされていた」と明かした。

──ああ、富弥さん、ちょっと早く中へ。
──大西さん、どうしたんですか。警察の車がたくさんいますけど。

──いやあの、総裁が亡くなりまして。
いま奥様は2階に。すぐ行ってあげてください。

──おばさん、なにがあったんですか。
──富弥さん、お父さんが、亡くなったのよ。

──じつは自殺したんだと、私はそう思ってる。
いま定彦が五反野という所まで確認に行っているけど、
私はお父さんは自殺したと思っています。

──だけど富弥さん、このことは一切人に言わないで下さいね。
──分かりました。
で、そのあとずっと新聞記者につきまとわれるわ夜討ち朝駆けでいろいろ追っかけられたけども、夫人との約束を守って決して誰にも言わなかった、
と吉松富弥当時学生は晩年の取材で明かした。
が、この富弥当時学生くん、じつはいっちばん最初の最初で、

アカハタの記者に手もなくぽろっとしゃべっちゃってるんである。
彼は晩年の証言テープとか聞いても誠実でいいひとだったっぽいけど、その反面ちっとうっかりさんつうか、やらかし感もあった模様。

さすがにすぐやばっと思ったのか、
「いまの話は書かないでくれ」と記者に頼んで、それで安心したらしい。でもブンヤそれも共産党のブンヤがそんな口止めスルーするの当たり前で、
アカハタに「自殺を直感 よし子夫人談」が載ってしまったんである。
吉松はアカハタを読んでないんで、載らなかったと思ってたのか、大新聞じゃない共産党の機関紙に書かれても大して広まらないと思ったのか、
しゃべったこと自体すぐ忘れてしまったらしい。
大手紙も後追いしてないし、「夫人談」は世間にも広がらなかった。

だが記録にはたしかに残った。
下山総裁が失踪したとき、そして悲報がもたらされたとき、
長年生活を共にしていた夫人が、
「夫は自殺した」と確信してたということの。

「しかし、下山夫人は決してそれを認めないでしょう。
その記事も決め手になりません。共産主義者の新聞ですし」
「ニイタカさんよう──」

「いまの内幕話はアカハタ読むだけじゃわかんねえよな。
その記者当人かアカハタ関係者から聞き出さない限り。
いくらGHQでもただの通訳やただの秘書にできるこっちゃねえやな」

「あんた何者だ。何でこの事件を嗅ぎ回ってるんだ」
「うふふ、大人としてそれはそういうことだと聞き流すものでしょう?」
「あいにくまだガキなんでね」

「ハチベエさん、私のことを調べようとしてましたね」
「地獄耳だな」
「ぢご?」
「ヘル・イヤー@超直訳。要らんことまでよっく聞こえる怖えー耳ってこった」

「あーなるほど。ヘル・イヤー。勉強になりました。
私はですね、ハチベエさん、あなたに興味があるのですよ」
「なんだと?」
「ディテクティブ ハチベエ」

ジリジリジリジリジリ……

ケケケケ……
「去年、あなたが解決した事件」
チ、チ、チー──、チ、チ……

「あなたは今も、
帝銀事件の犯人は、平沢貞通だと思っているのですか?」

ジリジリジリジリ……
ケケケケケケケケケケケケ───
【5機目 ビンラディンの作り方レシピ @911アメリカ同時多発テロ】へとつづく




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