【事件激情】乙女の祈り。:前篇【宝塚中3女子自宅放火事件】


前篇 中篇 後編
■■ アカデミー賞女優の隠したい乙女時代

走る走る、
2人の乙女走る。
のどかな田舎の小道を、
走る走る。
でも、顔にも、服にも、
手にも、足にも、

返り血がたっぷりついて。
2人の乙女は血まみれで、
走る走る。
「大変、大変よおおお!」

「ママが!ママが崖から落ちたの!」
「血まみれよおお!どうしよおお!」
っていうのが、
映画「乙女の祈り」のオープニング。

ピーター・ジャクソン、というとフツーは「ロード・オブ・ザ・リング」の監督ってことなんだろうが、そのPJのあんまり大きな声でいわない出世作なんである。
「タイタニック」でブレイクする3年前めっさ若いケイト・ウィンスレットのデビュー作にして血まみれで絶叫中。ちなみにケイスレの出演歴のなかでもコレはわりとスルーされるんである。すげえ映画なのに。ああだからか。

「乙女の祈り」は、1954年、ニュージーランドで起きた殺人事件の映画化だ。
ニュージーランドって幼稚園児がうろ覚えで描いた日本列島みたいな形してるんだが、その間違った日本のちょうど岩手あたりが事件の舞台になった街クライストチャーチ。

クライストチャーチのクライストチャーチ大聖堂
ニュージーランド第2の都市。
ってなんでまた南半球のどっかの街のことたらたら書いてるかというと、
この「乙女の祈り」が、つうかそのモデルのクライストチャーチ事件が、宝塚の少女たちの事件とあまりにも構図と底流に流れるマグマが似てるんである。
クライストチャーチの乙女2人は、
ポーリーン・パーカー ジュリエット・ヒューム
という。未成年でも思いっきり実名実顔である。日本と違って。
ポーリーンは地元の下宿屋の娘@15歳。生活レベルは中の下くらい。
ジュリエット(ケイスレ演じる)はロンドンから越してきたお嬢様@16歳。パパは大学学長で毛並みもよろしくてよ。
陰気でブスったれて友だちなしのポーリーン、
美少女で明るくて賢くて小生意気なジュリエット、
ホモサピエンスとしてまるで正反対、同じ空気を吸うことすらなさそうな、
なのに2人の乙女は冒頭のような目も当てられん惨劇に向かってひた走るわけだが……
ここでとつぜん1952年のニュージーランドから2010年の日本国兵庫県宝塚市へと時空を超えてタイムワープするんである。
21世紀極東の島国に生きる、
女学生手帖 大正・昭和乙女らいふ (らんぷの本)
もうひと組の乙女2人のもとへと。
■■ 乙女海を渡る
さて、宝塚の2人。未成年だと名前も出しにくいし、ネバダ的な通称もないんで両方とも「彼女」になっちまうんだが、せっかく「乙女の祈り」があるので、
こっちの乙女たちも「ポーリーン」と「ジュリエット」と名付けてみ
あーそっかクライストチャーチのオリジ版と区別つかんな、んー、
んじゃ、
ポー子とジュリ江だ。なんつー緊迫感ない名前。
さて、宝塚市といえば、
宝塚歌劇団
グローリー、グローリー、グローリー
タ・カ・ラ・ヅ・カ、グローリー!
であるが、
なにも男装の麗人劇場と競馬場しか文明がないわけじゃなく、
大阪と神戸のどっちにも電車30分のベッドタウン、
そして格差社会がとてもビジュアルで味わいやすい街でもある。
文字通り山の手は閑静なる高級住宅と高級マンション、その一方で中低所得者層がそのセレヴィーな天上界を仰ぎ見る、そんな図。
そんな宝塚に新しい住民としてブラジル人が加わった。
3Kイメージのブルーカラーに人が集まらない。というかもっと安くこき使いたい、
という企業のご要望にお応えした日本政府の旗振りで入管法を緩和、手っ取り早く労働力が“輸入”された。
ブラジル、ペルー、アルゼンチン──日系南米人。
戦前から経済成長前で人手がだぶついてた祖国日本から半ばだまされて海を渡り、向こうでさんざ苦労した日本人移民の子どもたち孫たちひ孫たち。
今でこそブラジルはBRICsとかネクスト11なんていわれちゃって高度経済成長中だけども、
かつてはインフレ率2500%という超弩級最悪の状態。2兆7500億分の1という驚異のデノミを決行。通貨クルゼイロをやめてレアルに変えなきゃヤバいほどひどかった。
さらに通貨危機まで泣きっ面に蜂で国家破綻秒読み、失業者が国中にあふれていた。
こんな風に踊ってる場合じゃなくて
だからじいさんひいじいさんの祖国日本へのデカセーギは、
遠く海を渡ってきても惜しくないほど恵まれた高収入だったんである。
ポー子の母親も1997年、サンパウロから日本にやって来た。
当時20歳そこそこ。
なのにすでにバツイチで娘@2歳がいた。
ブラジル版ヤンママ。
娘ポー子はポーママの元亭主とブラジルで暮らしてたんだが、
2年後、ポーママが「一緒に暮らしたい」と日本に呼び寄せる。
ミレニアム直前。
このときポー子@4歳。
この11年後、
「ブラジル国籍の長女」「女子生徒(15)」「少女(15)」「長女A子」などと限りなく回りくどい呼び名で報道されるなんて思いもしない。
さて、異国で暮らすようになった母娘を取り巻く世界は──、
宝塚でも市南部にコンビニ向け食品工場ができた頃から、ブラジリアン労働者とその家族が急速に増えた。まあ増えたといっても、コリアンの2200人にくらべて350人弱。圧倒的マイノリティ。だから社会的地位も組織力も資金力も政治力も弱い。

日本の慣習も法律もよく知らずあまり知ろうともせず。なにかと日本人のご近所さんとモメやすい。ゴミ出し、違法駐車に深夜の騒音、どこでもおなじみのコース。
宝塚でもやっぱり日本人住民とブラジリアンにはギスギスな空気があった。
そんな異国の地で暮らし始めたポー子。
やがてポー子に新しいパパができる。
ポー継父
日系ブラジル人2世、日本語堪能で、請負会社の派遣社員。大阪のパン工場で通訳や労務管理、書類申請の代行をしていた。デカセーギ組でもワンランク上の立場。職場でもブラジリアンコミュでも頼りにされるアニキ的存在だった。
そのアテがあったからポーママは日本に行ったし娘を呼び寄せたのかもしれない。
一家は宝塚市南部の住宅地で一戸建てに住むようになる。
■■ 乙女、困る
さてそのポー子は日本語で苦労していた。
4歳で来日したんならなんとかなりそうなもんだが、それは親がしっかりしてての話で。
ポーママの日本語レベルは何年経ってもカタコト程度。家ではもっぱらポルトガル語。
そんな家庭だから、ポー子は日常会話はできるようになったものの、読み書きでつまずいた。

日本語がハンデになってどんどん勉強できなくなるポー子みたいな子は多い。
よほど将来考えてる親でなければ、子どもの教育なんてのに興味がない。デカセーギのブラジリアン家庭はポーママみたいに10代半ばで母親になったヤンママが多くて、母親が子どもみたいなもんだし子育てもよく分かってない。喰ってくのに精いっぱい。
学校の先生が親と話し合おうとしてもポルトガル語しか話せなくて意思の疎通すら怪しいなんてこともある。ポーママがまさにそう。
だけでなくポー継父も日本語堪能だったはずだしポー子が小学校に上がる前に同居してたんだけども、やっぱり娘の教育方面を軽んじてたと思われ。
ブラジリアン向けのナショナルスクールもあるにはあったりするけども、月謝が高い。だから初めから選択肢になく。まあなりゆきまかせ。
ポー子も学区の公立小学校に入れられた。
さらにポー子の家庭で大きな変化が。
妹が生まれたんである。
6歳違いの異父妹だった。
以来、お姉さんポー子は妹に愛憎半ばの複雑な感情をもつようになるんである。
にしてもこの家族の関係はややこしいんである。いちおう図にしてみると、

◆ポー継父 @39歳 事実婚
◇ポーママ @31歳
□ポー子 @15歳 ポーママ連れ子
□ポー妹 @9歳 ポー継父×ポーママの実子
実際夫婦なのに事実婚なのは、母国ブラジルの
主流宗教カトリックが離婚を禁じる宗旨だから
で、法律上ポーママは別れた元亭主と夫婦のま
まだったんじゃないかと思われ。
こんな感じ。
じつをいうと、ポー子はポーママの実の子じゃないかもしれず。
少なくともポー子は「自分は孤児で拾われた子かも」と思ってたらしい。
どこのアホーがそんないらんこと吹き込んだのかしらんが、ポーママもはっきりさせた様子がないし、日本に来たら戸籍もないからよけいに不明。
16歳の小娘がわざわざ孤児を引き取るかよ?とふつうなら思うけれども、幼いポー子はそんなことまでアタマは回らん。
だからポー子のアイデンティティは宙ぶらりん。
そこに妹までできた。こっちはポーママと継父の“血を分けた子”。
ポー子的には自分だけ仲間はずれ感がじわじわと。
それでも小学校では、
言葉の壁で成績も悪くてガイジンとかいじめられたものの、友だちもそれなりにいて淡い片思いなんかもしてそれなりにうまくスクールライフをやっていた。
やがて中学に進学。
それと前後して専業主婦してたポーママも働くようになった。
親が共働きになったこのころから家族はひずみ出す。
中1の夏休み、ポー子は頑張っていた部活動のバレー部を退部した。
理由は「家庭、金銭的な事情」
ポー子はよく笑う、人なつこくて明るい子で、礼儀もきちんとしてたから、先輩からもかわいがられていた。
部をよほどやめたくなかったのかポー子は退部のあとも顧問を何度も訪ねては泣いた。

それからみるみるおかしくなった。言葉も荒っぽくなった。自分を「おれ」と呼ぶし。
おお、「オレっ娘」か!
さらにナイフを持ち歩いて見せびらかすようになった。髪も染めた。
部活を(たぶん親の命令で)辞めたのが破局の始まり、というのは佐世保のネバダとも似ている。
で、その時期と合わせるように教室もつらい環境になった。
いじめですな。差別ですな。
ポー子は見た目からして日本人的でなく、彫りが深くて髪はウェーブがかっている。まあこういう目立つ外見をしてるだけで学校では徹底的にいじめられますね。

ガキなんつーのは大人の思う以上に頭が固くて保守的でサディストで、弱みのある相手を常にアンテナ張って探してるんでね。
さらに家庭では親たちが外国人の悪口をぺらぺら口にしてる。大人のお墨つきを得たようなもんだ。
「いぢめていいんだ(>∀<)キャハ」
しかもバレー部をやめてポー子はメンタル弱ってる。
ガキどもにとっちゃ餌食にしていいよと子羊を差し出されたようなもんだ。

「キモイ!」「ブラジルに帰れ!」「臭い!」
クラスでぽつん。
■■ 乙女痛い目に遭う
家庭でもポー子はつらいかんじ。
「妹ばかりひいきされて、わたしにだけ厳しい」
まあ姉妹はどっちかがそういう不公平感をグツグツたぎらせるのがデフォで、じっさいそうだったか単なる思い込みか分からんけども、少なくともポー子にはハッピーな環境じゃなかった。
さらに成績が悪いんで「勉強しい」とやたら怒られる。怒られるだけでなくて痛い目にも遭わされる。
ポー継父はどうやらドメスティックバイオレンス性豊かな男で、いまいちなじまない距離感を父の権威と腕力で埋めようとしていた。埋まらんそれではというか逆に遠くなるぜ。
職場やコミュニティで人格者でも家庭でそうとは限らないんである。
04年、製造業への派遣規制が緩和。
加藤智大ほか日本人を安く使えるようになると、
日系ブラジル人はその分追いやられ。
さらにもっと安い中国人に押されてさらに追いやられ。
さらにさらに08年、景気がおかしくなって秋はリーマンショック。慌てて企業は景気よくリストラに走って。
日本人の派遣社員はもちろんブラジリアンたちもばっさばっさ切られ。
そんな不安定な状態だからしてポー継父の“しつけ”はどんどん「八つ当たり」部分が増えていっただろう。
ポー子はそんな大人の憂さ晴らし対象にうってつけの責めどころがたくさんある娘だった。

んじゃポーママはどうかというと、娘をかばったり木の陰から覗いて泣いたりするどころか、
完全にもう一人の敵と化していた。
「わたしだけ母親から叩かれる」
ご近所さん@日本人です聞き耳立ててますは母子の言い争いをよく聞いた。最初は日本語なのが途中からポルトガル語と日本語の怒鳴り合いになる。
こういう親子はよくあるパターンらしく、親が日本語できない一方、日本で生まれたり育ったりした子どもは日本語ネイティブで価値観も日本的。
言語の壁がそのまま気持ちのすれ違い>あつれき>暴力へと。
ポーママはまったく日本語が上達しなかった。というよりかたくなに日本を拒否っていた。ブラジリアンとだけ付き合って日本人と接するのをいやがった。学校の行事にも行きたがらず。
こういういびつなブラジリアンの親は珍しくない。というよりかなり多い。
「妹ばかりかわいがられる」
中3にもなって小4の妹へのこのひがみっぷりってちっと幼いんじゃねだが、たぶんポー子の心の成長レベルは小学生くらいで芽生え始めた自尊心を踏みつぶされ続けて止まっちゃってた。子どもから大人への階段をしょっぱなから上がりそこねて膝打って痛いー。
ポー子のバレー部退部も「金銭的理由」だけじゃなくて、成績が悪いくせに部活で生き生きしてる娘の姿に、ポーママかポー継父かその両方ともかがイラッときて、「やめろ」と命じて娘が涙目になりつつ従うのを見てスッキリってところだろう。
ポー子も敏感にその悪意を感じとる。ますます憎悪を燃やす。
家庭では「わたしって憎まれっ子」でアローン、学校ではイジメられてアローン、
そんな暗黒時代、
唯一仲良くしてくれた救世主が、
ジュリ江。
彼女がマスコミで「少女の共犯の少女(14)」「同級生(14)」「友人の女子生徒(14)」などとこれまたどれが誰なんだ的にややこやしく書かれる“共犯者”になる。
やっとジュリ江登場。
【中編につづく】
*乙女の祈り 1994年 監督/ピーター・ジャクソン 出演/メラニー・リンスキー、ケイト・ウィンスレット
*緊急報告 宝塚自宅放火事件「二人の予兆」/神戸新聞
*【宝塚女子中学生放火・殺人未遂】/産経ニュース

ピーター・ジャクソン、というとフツーは「ロード・オブ・ザ・リング」の監督ってことなんだろうが、そのPJのあんまり大きな声でいわない出世作なんである。
「タイタニック」でブレイクする3年前めっさ若いケイト・ウィンスレットのデビュー作にして血まみれで絶叫中。ちなみにケイスレの出演歴のなかでもコレはわりとスルーされるんである。すげえ映画なのに。ああだからか。

「乙女の祈り」は、1954年、ニュージーランドで起きた殺人事件の映画化だ。
ニュージーランドって幼稚園児がうろ覚えで描いた日本列島みたいな形してるんだが、その間違った日本のちょうど岩手あたりが事件の舞台になった街クライストチャーチ。

クライストチャーチのクライストチャーチ大聖堂
ニュージーランド第2の都市。
ってなんでまた南半球のどっかの街のことたらたら書いてるかというと、
この「乙女の祈り」が、つうかそのモデルのクライストチャーチ事件が、宝塚の少女たちの事件とあまりにも構図と底流に流れるマグマが似てるんである。
クライストチャーチの乙女2人は、
ポーリーン・パーカー ジュリエット・ヒューム

という。未成年でも思いっきり実名実顔である。日本と違って。

ポーリーンは地元の下宿屋の娘@15歳。生活レベルは中の下くらい。
ジュリエット(ケイスレ演じる)はロンドンから越してきたお嬢様@16歳。パパは大学学長で毛並みもよろしくてよ。

陰気でブスったれて友だちなしのポーリーン、

美少女で明るくて賢くて小生意気なジュリエット、
ホモサピエンスとしてまるで正反対、同じ空気を吸うことすらなさそうな、
なのに2人の乙女は冒頭のような目も当てられん惨劇に向かってひた走るわけだが……
ここでとつぜん1952年のニュージーランドから2010年の日本国兵庫県宝塚市へと時空を超えてタイムワープするんである。
21世紀極東の島国に生きる、

もうひと組の乙女2人のもとへと。
■■ 乙女海を渡る
さて、宝塚の2人。未成年だと名前も出しにくいし、ネバダ的な通称もないんで両方とも「彼女」になっちまうんだが、せっかく「乙女の祈り」があるので、
こっちの乙女たちも「ポーリーン」と「ジュリエット」と名付けてみ
あーそっかクライストチャーチのオリジ版と区別つかんな、んー、
んじゃ、

ポー子とジュリ江だ。なんつー緊迫感ない名前。
さて、宝塚市といえば、

宝塚歌劇団
グローリー、グローリー、グローリー

タ・カ・ラ・ヅ・カ、グローリー!
であるが、
なにも男装の麗人劇場と競馬場しか文明がないわけじゃなく、

大阪と神戸のどっちにも電車30分のベッドタウン、
そして格差社会がとてもビジュアルで味わいやすい街でもある。

文字通り山の手は閑静なる高級住宅と高級マンション、その一方で中低所得者層がそのセレヴィーな天上界を仰ぎ見る、そんな図。
そんな宝塚に新しい住民としてブラジル人が加わった。
3Kイメージのブルーカラーに人が集まらない。というかもっと安くこき使いたい、
という企業のご要望にお応えした日本政府の旗振りで入管法を緩和、手っ取り早く労働力が“輸入”された。
ブラジル、ペルー、アルゼンチン──日系南米人。

戦前から経済成長前で人手がだぶついてた祖国日本から半ばだまされて海を渡り、向こうでさんざ苦労した日本人移民の子どもたち孫たちひ孫たち。
今でこそブラジルはBRICsとかネクスト11なんていわれちゃって高度経済成長中だけども、
かつてはインフレ率2500%という超弩級最悪の状態。2兆7500億分の1という驚異のデノミを決行。通貨クルゼイロをやめてレアルに変えなきゃヤバいほどひどかった。
さらに通貨危機まで泣きっ面に蜂で国家破綻秒読み、失業者が国中にあふれていた。

だからじいさんひいじいさんの祖国日本へのデカセーギは、
遠く海を渡ってきても惜しくないほど恵まれた高収入だったんである。

ポー子の母親も1997年、サンパウロから日本にやって来た。
当時20歳そこそこ。
なのにすでにバツイチで娘@2歳がいた。
ブラジル版ヤンママ。
娘ポー子はポーママの元亭主とブラジルで暮らしてたんだが、
2年後、ポーママが「一緒に暮らしたい」と日本に呼び寄せる。
ミレニアム直前。

このときポー子@4歳。
この11年後、
「ブラジル国籍の長女」「女子生徒(15)」「少女(15)」「長女A子」などと限りなく回りくどい呼び名で報道されるなんて思いもしない。
さて、異国で暮らすようになった母娘を取り巻く世界は──、
宝塚でも市南部にコンビニ向け食品工場ができた頃から、ブラジリアン労働者とその家族が急速に増えた。まあ増えたといっても、コリアンの2200人にくらべて350人弱。圧倒的マイノリティ。だから社会的地位も組織力も資金力も政治力も弱い。

日本の慣習も法律もよく知らずあまり知ろうともせず。なにかと日本人のご近所さんとモメやすい。ゴミ出し、違法駐車に深夜の騒音、どこでもおなじみのコース。
宝塚でもやっぱり日本人住民とブラジリアンにはギスギスな空気があった。
そんな異国の地で暮らし始めたポー子。
やがてポー子に新しいパパができる。

ポー継父
日系ブラジル人2世、日本語堪能で、請負会社の派遣社員。大阪のパン工場で通訳や労務管理、書類申請の代行をしていた。デカセーギ組でもワンランク上の立場。職場でもブラジリアンコミュでも頼りにされるアニキ的存在だった。
そのアテがあったからポーママは日本に行ったし娘を呼び寄せたのかもしれない。

一家は宝塚市南部の住宅地で一戸建てに住むようになる。
■■ 乙女、困る
さてそのポー子は日本語で苦労していた。
4歳で来日したんならなんとかなりそうなもんだが、それは親がしっかりしてての話で。
ポーママの日本語レベルは何年経ってもカタコト程度。家ではもっぱらポルトガル語。
そんな家庭だから、ポー子は日常会話はできるようになったものの、読み書きでつまずいた。

日本語がハンデになってどんどん勉強できなくなるポー子みたいな子は多い。
よほど将来考えてる親でなければ、子どもの教育なんてのに興味がない。デカセーギのブラジリアン家庭はポーママみたいに10代半ばで母親になったヤンママが多くて、母親が子どもみたいなもんだし子育てもよく分かってない。喰ってくのに精いっぱい。
学校の先生が親と話し合おうとしてもポルトガル語しか話せなくて意思の疎通すら怪しいなんてこともある。ポーママがまさにそう。
だけでなくポー継父も日本語堪能だったはずだしポー子が小学校に上がる前に同居してたんだけども、やっぱり娘の教育方面を軽んじてたと思われ。

ブラジリアン向けのナショナルスクールもあるにはあったりするけども、月謝が高い。だから初めから選択肢になく。まあなりゆきまかせ。
ポー子も学区の公立小学校に入れられた。
さらにポー子の家庭で大きな変化が。

妹が生まれたんである。
6歳違いの異父妹だった。
以来、お姉さんポー子は妹に愛憎半ばの複雑な感情をもつようになるんである。
にしてもこの家族の関係はややこしいんである。いちおう図にしてみると、




◆ポー継父 @39歳 事実婚
◇ポーママ @31歳
□ポー子 @15歳 ポーママ連れ子
□ポー妹 @9歳 ポー継父×ポーママの実子
実際夫婦なのに事実婚なのは、母国ブラジルの
主流宗教カトリックが離婚を禁じる宗旨だから
で、法律上ポーママは別れた元亭主と夫婦のま
まだったんじゃないかと思われ。
こんな感じ。
じつをいうと、ポー子はポーママの実の子じゃないかもしれず。
少なくともポー子は「自分は孤児で拾われた子かも」と思ってたらしい。
どこのアホーがそんないらんこと吹き込んだのかしらんが、ポーママもはっきりさせた様子がないし、日本に来たら戸籍もないからよけいに不明。
16歳の小娘がわざわざ孤児を引き取るかよ?とふつうなら思うけれども、幼いポー子はそんなことまでアタマは回らん。

だからポー子のアイデンティティは宙ぶらりん。
そこに妹までできた。こっちはポーママと継父の“血を分けた子”。
ポー子的には自分だけ仲間はずれ感がじわじわと。
それでも小学校では、

言葉の壁で成績も悪くてガイジンとかいじめられたものの、友だちもそれなりにいて淡い片思いなんかもしてそれなりにうまくスクールライフをやっていた。

やがて中学に進学。
それと前後して専業主婦してたポーママも働くようになった。
親が共働きになったこのころから家族はひずみ出す。

中1の夏休み、ポー子は頑張っていた部活動のバレー部を退部した。
理由は「家庭、金銭的な事情」
ポー子はよく笑う、人なつこくて明るい子で、礼儀もきちんとしてたから、先輩からもかわいがられていた。
部をよほどやめたくなかったのかポー子は退部のあとも顧問を何度も訪ねては泣いた。

それからみるみるおかしくなった。言葉も荒っぽくなった。自分を「おれ」と呼ぶし。
おお、「オレっ娘」か!
さらにナイフを持ち歩いて見せびらかすようになった。髪も染めた。
部活を(たぶん親の命令で)辞めたのが破局の始まり、というのは佐世保のネバダとも似ている。
で、その時期と合わせるように教室もつらい環境になった。

いじめですな。差別ですな。
ポー子は見た目からして日本人的でなく、彫りが深くて髪はウェーブがかっている。まあこういう目立つ外見をしてるだけで学校では徹底的にいじめられますね。

ガキなんつーのは大人の思う以上に頭が固くて保守的でサディストで、弱みのある相手を常にアンテナ張って探してるんでね。
さらに家庭では親たちが外国人の悪口をぺらぺら口にしてる。大人のお墨つきを得たようなもんだ。
「いぢめていいんだ(>∀<)キャハ」
しかもバレー部をやめてポー子はメンタル弱ってる。
ガキどもにとっちゃ餌食にしていいよと子羊を差し出されたようなもんだ。




「キモイ!」「ブラジルに帰れ!」「臭い!」
クラスでぽつん。
■■ 乙女痛い目に遭う
家庭でもポー子はつらいかんじ。

「妹ばかりひいきされて、わたしにだけ厳しい」
まあ姉妹はどっちかがそういう不公平感をグツグツたぎらせるのがデフォで、じっさいそうだったか単なる思い込みか分からんけども、少なくともポー子にはハッピーな環境じゃなかった。
さらに成績が悪いんで「勉強しい」とやたら怒られる。怒られるだけでなくて痛い目にも遭わされる。

ポー継父はどうやらドメスティックバイオレンス性豊かな男で、いまいちなじまない距離感を父の権威と腕力で埋めようとしていた。埋まらんそれではというか逆に遠くなるぜ。
職場やコミュニティで人格者でも家庭でそうとは限らないんである。
04年、製造業への派遣規制が緩和。
加藤智大ほか日本人を安く使えるようになると、
日系ブラジル人はその分追いやられ。
さらにもっと安い中国人に押されてさらに追いやられ。
さらにさらに08年、景気がおかしくなって秋はリーマンショック。慌てて企業は景気よくリストラに走って。

日本人の派遣社員はもちろんブラジリアンたちもばっさばっさ切られ。
そんな不安定な状態だからしてポー継父の“しつけ”はどんどん「八つ当たり」部分が増えていっただろう。
ポー子はそんな大人の憂さ晴らし対象にうってつけの責めどころがたくさんある娘だった。

んじゃポーママはどうかというと、娘をかばったり木の陰から覗いて泣いたりするどころか、
完全にもう一人の敵と化していた。

「わたしだけ母親から叩かれる」
ご近所さん@日本人です聞き耳立ててますは母子の言い争いをよく聞いた。最初は日本語なのが途中からポルトガル語と日本語の怒鳴り合いになる。
こういう親子はよくあるパターンらしく、親が日本語できない一方、日本で生まれたり育ったりした子どもは日本語ネイティブで価値観も日本的。
言語の壁がそのまま気持ちのすれ違い>あつれき>暴力へと。
ポーママはまったく日本語が上達しなかった。というよりかたくなに日本を拒否っていた。ブラジリアンとだけ付き合って日本人と接するのをいやがった。学校の行事にも行きたがらず。
こういういびつなブラジリアンの親は珍しくない。というよりかなり多い。

「妹ばかりかわいがられる」
中3にもなって小4の妹へのこのひがみっぷりってちっと幼いんじゃねだが、たぶんポー子の心の成長レベルは小学生くらいで芽生え始めた自尊心を踏みつぶされ続けて止まっちゃってた。子どもから大人への階段をしょっぱなから上がりそこねて膝打って痛いー。
ポー子のバレー部退部も「金銭的理由」だけじゃなくて、成績が悪いくせに部活で生き生きしてる娘の姿に、ポーママかポー継父かその両方ともかがイラッときて、「やめろ」と命じて娘が涙目になりつつ従うのを見てスッキリってところだろう。
ポー子も敏感にその悪意を感じとる。ますます憎悪を燃やす。
家庭では「わたしって憎まれっ子」でアローン、学校ではイジメられてアローン、
そんな暗黒時代、
唯一仲良くしてくれた救世主が、

ジュリ江。
彼女がマスコミで「少女の共犯の少女(14)」「同級生(14)」「友人の女子生徒(14)」などとこれまたどれが誰なんだ的にややこやしく書かれる“共犯者”になる。
やっとジュリ江登場。
【中編につづく】
*乙女の祈り 1994年 監督/ピーター・ジャクソン 出演/メラニー・リンスキー、ケイト・ウィンスレット
*緊急報告 宝塚自宅放火事件「二人の予兆」/神戸新聞
*【宝塚女子中学生放火・殺人未遂】/産経ニュース
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