「なんでって、ここ、わたしの自宅ですし」
「そういうことではなく!そしてなぜ体操をする!」
「ジャージ着るとしぜんとこうなりません?」
「まさか脱走してきたのか?」
「
佐々先生に一生に一度のお願いがあります」
「きさまー、急に先生呼ばわりとは、なにを企む」
「ご明察です。
國松長官に会わせてもらおうと企んでいます。それも今すぐ」
「は? なんだと?」
「
佐々先生は
長官と先輩後輩で懇意にしてらっしゃるでしょう。
著書でも先輩ヅラで自慢してますよね」
「
自慢しとらんわい!そして体操をするな!」
「はいはい、そうしときましょう。言い合いしてるヒマないんで。
さ、
長官にアポをお願いします早く早く」
「なんでおれがきさまの命令に唯々諾々と従わんとならんのだ」
「わたし、
零時に帰らないといけませんし」
「ふん、よくもおれに頼み事など。
まあ、これまでの無礼きわまる言動の数々を、
土下座して詫びれば、

考えてやらんでもな

「これでよろしいでしょうか」
「わっ、わっ、
いかん! 待て! ばかもん! おれを女に
土下座させる
卑劣漢にするつもりか!
立て!」
「自分でやれと言っといて、なんで怒るかな」
「
まさかあっさり応じるとは思わんだろふつう!」
「するべきことに比べたら、わたしのおデコを床にくっつけるなんて安いものです」
「ふん、──そら、
これも読んだぞ」
『
オウム真理教の実態について』
「あーっ読んじゃったんですか?
機密文書なのにー」
なにを言うか、そこの『
マリモ大百科』はカバーだけで、中身はこれだったではないか。
マリモの世話にかこつけ、初めからおれに読ませるつもりだろうが。
「それと巷に出回っとる、なんとかの
一考察とかいうくだらん
怪文書も見たぞ」
「あのダっサいのはわたしじゃありませんよ」
「わかっとる。きさまなら、あんな中途半端なものではなく、さらに
ひねこびて陰湿かつ相手が最も苦しみもがくよういやらしくかつ的確に仕掛けるからな」
「なんだかわたし、もの凄い悪いやつみたいですね」
口惜しいが認めよう。おれの認識不足だった。おまえは正しい。
この
オウムとやらは要警戒だ。
なんということか。こんな不埒な
反社会集団をここまで増長するに任せるとは、
城内のアホめ。権力拡大ばかり精出しおるから肝心要がお留守になるのだ。
にしてもだ、
「なんでおまえの
マリモはこんな
バカでかいのだ! 」
でーん「
怖いではないか! 別のなにものかが生まれてきそうだぞ!」
「いやーほめてください、ここまで育てるの大変だったんですから」
「
なにが目的なんだそれは!」
「などと言っておる場合ではない! すぐ出かけるぞ!
いざ出陣!」
「いえ、アポだけでいいですから。
佐々さんは別についてこなくても」
「言っておくが、
國松は
城内ファミリーの次男坊みたいなものだぞ。
城内に敵対しとるおまえは、姿を見せた途端に捕まるかもしれん」
「はい、がんばってみます」
「
國松は温厚な紳士に見えるが、ひと筋縄ではいかんぞ」
「やっぱりジャージじゃまずいですかね」
「家に戻ればスーツあると思ったのに、そういえばこの機会にってぜんぶクリーニングに出してもらっちゃったんでジャージしか残ってなかったんですよ。
佐々さん今お持ちでないですか、婦人用スーツとか」
「ば、
ばかもの! なんでおれが
そんなもん持ち歩いとるのだ!」

「しかしなぜおれに? 言ってはなんだが、
土田先生の方がOBとして格上だぞ」
「
土田先生は、秩序を重んじられる方ですし、やはりOBとしてお立場もありますしね」
「おれなら秩序を重んじんし、OBとしても大したことないような言い方だな」
「え、ちがうんですか?」
「
おっのれええ! なんでおれは、こんなやつの、
言いなりになっておるのだ!
むがー!」
「もーうるさいなー、降ろしますよ?」
國松孝次@警察庁長官わりと「
刑事畑」とみなされ、
刑事警察系列の
長官と説明されるみたいなんだが、
それは一部しか見てないからで、ちょっと華麗なる経歴をひもときますれば、
刑事だけでなく、
警備、
公安、
外事、
警務、
総務、
人事、
広報、ひみつの
チヨダの前身ひみつの
サクラの
理事官、
警視庁の
公安部長もやれば、
警察庁の
刑事局長もやり。
警察庁、
警視庁、大小
県警本部長、さらに
仏大使館出向、
官邸方面。
珍しいくらいまんべんなく経験した
ユーティリティプレーヤーってことが分かる。
スマートな雰囲気から
ザ・官僚みたいに思われがちで、そういう嗅覚も鋭いけども、
一方で
“実戦”も知ってる
戦国武将型でもある。
学園紛争まっただ中、
本富士署署長時代には、
署長室に
火炎瓶を投げ込まれて危機一髪だったり、
神田界隈の市街戦を
機動隊一個中隊だけで乗り切ったり、
あさま山荘事件にも
佐々とともに幕僚団として参加したり、
東大剣道部出身らしいというか
警察の仕事を「
武士道」的に考えてたり。
かつての
警察戦国時代の気風をもつ最終世代の
長官だった。

「──
佐々さん?」

「どうされましたか、こんな時間に危急のご用とは」

ん?
「ふむ、
佐々さんも人が悪い。君は、
白鳥警視だな?」
「はい」
「たしか
警視庁で
監察の管理下に置かれているはずだが、なぜここにいる」
「
長官にじかにお伝えしなければならないことが生じましたので、魔法を少し」
「芋ジャージで失礼します。諸処の事情から衣装まで魔法がいき渡りませんので」
「服務規程違反で禁足中の
警視が脱走してきて、
長官のわたしにいきなり話を聞けと。
常識で考えてそんな甘い話が通用すると思うかな」
「思いません」
「わたしと
城内さんの関係も知っているかな」
「はい、失礼ながら、陰で
3Kと揶揄されるほどご昵懇の仲です」
「君は
警察庁庁舎内の機密部署で
警視庁の
監察官に拘束された。通常ならあり得ないことだ。
長官のわたしが事前になにも知らなかった、と思うかね」
「いいえ。
長官もご存じのうえで、許可を出されたからだと思います」
「つまり、わたしと君は真っ向から対立する位置関係にある」
「はい」
「にもかかわらずわたしが君の話を聞かなければならない理由は?」
「
あります」

「
長官が、
警察官だからです」

「──話したまえ」

「戻りました、ふう」
「どうだった?」
「んーどうでしょう」
「ところで、
長官の
護衛が見当たりませんでしたが、人払いされたんでしょうか」
「
護衛はおらんだろう。いてもせいぜい
秘書官じゃないか」
「え、
長官なのに?」
「
警察官が
警察官に護衛されるのは恥であり士気に関わる、という考えは、
かつて
ゲバ学生や
極左と相まみえた歴代の
長官総監ともに持っていたものだ」
「それは、
自己陶酔とかですか?」
「
言いにくいことをはっきりと言うなきさまは!」
「わたしは
土田先生の
前の奥様が亡くなった事件*1を思い出します。
そんな
武士気どりのかっこつけ、
ばかげてますよ!」
「言うな。正直おれも不賛成だ。武士は武士でも
総大将ともなれば旗本が周りを固めるものだ。
総大将の首はひとつしかないからな」
「珍しく意見が一致しましたね。
佐々さんからも
長官にあぶないからやめてって説教しといてください、いつものように
くどくどと」
「
くどくどが余計だばかもの」
*1=土田邸小包爆弾事件>ハラハラクロック!12発目
「あーやばい時間ないや、
佐々さん、ここで降ろすんで、自力で家に帰ってください」
「きっさまーあっけらかんと恩を仇で返しおって」
「だから
長官にアポさえ取ってくれれば付いて来なくていいですって言ったのに付いてくるからじゃないですか。あ、じゃ、ここで。はい、今夜はご苦労様でした。
あと
マリモの世話、
いましばらくの間、お願いします」
「……む、任せておけ」
「感謝の印に、
マリモと話してたのは内緒にしときますから」
「
話しとらん!」
ふん、相変わらず失敬なやつめ。
ん?
おい、ここはどこだ?
東京か、ここは? 周りに……なにも、ないぞ。
おーい、誰かー、
おーい
午前零時
ぎいいいい
「おお、間に合ったか」
「あんなに走ったのは10年ぶりです。あと10年は一歩たりとも走りませんから」
「外でなにをしてきた?」
「んー? 土下座、とか?」
翌朝──、
人事院ビル合同庁舎に登庁した
國松長官、

まもなく
垣見隆@刑事局長を
長官室に呼び寄せる。
さらに
篠原浩志@刑事企画課長、
南雲明久@(警察庁の)捜査第1課長、
稲葉一次@広域捜査指導官室長、という
刑事局幹部たちも呼ばれて、
長官室にこもってなにやら密談。
9月下旬のこの某朝を境に、
警察の
対オウム捜査は劇的に潮目が変わった。
【第十四解 インファナル アフェア】へとつづく